第17話 適応能力の限界


 未知の兵器が、怜の身体の、最も柔らかな一点に、触れた。

 その瞬間、怜の身体は、まるで雷に打たれたかのように、大きく、激しく、跳ね上がった。


「ッ、ぅ……!」


 拘束された手足が、革のベルトを軋ませ、ぎりぎりと悲鳴のような音を立てる。それまで、冷たい大理石の彫像のように静かだった身体が、生命を取り戻したかのように、しかし、それは、あまりにも苦しげな形で、台座の上でのたうち回った。背中が、ありえない角度にまで弓なりに反り、鍛えられた腹筋は、まるで硬い石の板のように、くっきりとその輪郭を浮かび上がらせていた。マスクの下から、今まで必死に堪えてきた、くぐもった呻き声が、初めて、はっきりと漏れ出た。


 凄まじい威力だった。私が、あの古めかしいマッサージ器で、三十分という時間をかけても、全くこじ開けることのできなかった鉄壁の要塞が、この、ウーマナイザーという名の兵器の前では、たったの数秒で、その防御を、いとも簡単に、そして暴力的に、貫かれてしまったのだ。画面の中の男たちが、満足げに、そして、下卑た笑みを浮かべているのが見えた。彼らの征服欲が満たされていく様が、手に取るようにわかる。


 私は、その光景に、釘付けになっていた。怜の、苦しむ姿。理性が、得体の知れない快感と苦痛の奔流によって、無理やり洗い流されていく様。その、あまりにも無防備で、あまりにも陵辱的な光景に、私の身体の芯は、罪悪感とは裏腹に、じゅわりと、熱く、濡れていくのを感じていた。もっと。もっと、見たい。怜の、すべてが、壊れていく、その瞬間を。この目で、見届けたい。


 だが、怜は、まだ、終わってはいなかった。


 数分が、経過しただろうか。あれほど激しく痙攣を繰り返していた彼女の身体の動きが、ほんの少しずつ、その振幅を、小さくしていっていることに、私は気づいた。台座の上で、荒れ狂う嵐のようだった彼女の呼吸もまた、徐々にではあるが、そのリズムを、意識的に取り戻し始めている。


 驚くべきことだった。怜の、あの天才的な頭脳は、この、極限の状況下ですら、まだ、死んではいなかったのだ。彼女は、自分の身体を襲う、未知の刺激のパターンを、その、圧倒的な情報処理能力で、分析し、学習し、そして、予測し始めていた。一定のリズムで繰り返される、吸引と振動の波。その、規則性を見抜いた彼女の脳は、神経系に必死に命令を送り、その刺激に、身体を、強制的に「適応」させようとしていたのだ。


 その、常軌を逸した、驚異的な適応能力。それは、もはや、人間のそれではないかのようだった。私は、畏怖の念に打たれ、画面の中で、静かに反撃を開始した親友の姿を、呆然と見つめていた。男たちも、その異変に気づいたようだった。彼らの顔から、先程までの、余裕の笑みが、すう、と消えていく。


「……マジかよ、こいつ……慣れてきてやがる……」


 一人の男が、呆れたように、そして、どこか感心したように、そう呟くのが聞こえた。


 そうだ、怜は、そんなに、簡単な女じゃない。お前たちなんかに、やすやすと、支配されてたまるものか。そんな、歪んだ誇りのような感情が、私の胸を満たした。だが、その誇りは、次の瞬間に、男が放った一言によって、粉々に打ち砕かれることになる。


「……面白い。なら、こいつはどうだ?」


 男は、にやり、とサディスティックな笑みを浮かべると、ウーマナイザーの本体にある、小さなボタンを、一つ、押し込んだ。


 途端に、機械の動作音が、変わった。

 それまでの、ブゥゥン、という、規則正しい連続音ではない。ブッ、ブブッ、……ブゥゥゥン、という、全く予測のできない、不規則なリズム。強弱が、ランダムに、変化するモード。


 その瞬間、私は、悟ってしまった。怜の、唯一にして、最大の弱点を。

 彼女の強さは、その、驚異的な分析能力と、予測能力にある。ならば、彼女を打ち破る方法は、ただ一つ。分析も、予測も、一切通用しない、完全な、混沌。完全な、無秩序。


 怜の身体が、再び、今まで以上に、激しく、台座の上で跳ね上がった。


 そして、その光景を前にした私の心に、ふつふつと、湧き上がってきたのは、怜の身を案じる気持ちではなかった。


「……怜のこと、一番、わかってるのは、私なのに」


 それは、優越感と、そして、強烈な嫉妬が、どろどろに混じり合った、おぞましい感情だった。怜の、その弱点を、私以外の、こんな、得体の知れない男たちが、発見し、そして、今、まさに、その手で、暴こうとしている。その事実が、私には、許せなかった。怜を、壊す権利があるのは。怜の、すべてを、知る権利があるのは。この私、だけ、なのに。


 私の、歪んだ独占欲が、嫉妬の炎となって、燃え盛る。画面の中で、怜の身体は、ランダムな刺激の奔流に、なすすべもなく、翻弄され始めていた。彼女の、驚異的な適応能力は、今、その限界点を、完全に、超えようとしていた。

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