第11話 確信のほくろ
時間という概念が、ノートパソコンの液晶画面からこぼれ落ちる青白い光の中に溶けて、消えてしまったかのようだった。スクロールバーをゆっくりと引き下げる指の動きは、いつしか感情の伴わない、機械的な反復作業と化していた。ページを更新するたびに、マスクをつけた女たちの、魂を抜き取られたかのような身体が、私の網膜に焼き付いては流れ、そして消えていく。一人、また一人と、無個性な肉の塊がディスプレイの上を滑っていく光景は、まるで巨大な食肉工場のベルトコンベアを延々と見せられているかのようだった。
最初は、その一つ一つの画像に怜の面影を探そうと、必死に目を凝らしていた。身体のラインは? 髪の長さは? 肌の色は? だが、その作業は、大海の中から、たった一粒の、特徴のない砂を探し出すような、絶望的なものだった。私の目は、次第に画面の光に焼かれて痛み始め、思考は粘性を増した泥のように、鈍重になっていく。
もう、やめようか。こんなものは、ただの狂った妄想だったのだ。怜が、いくら常識から逸脱した天才だとはいえ、こんな世界の底辺にまで、自らその身を堕としていくはずがない。これは、私の、怜に対する歪んだ独占欲が見せた、醜い悪夢に過ぎないのだ。そう、必死に自分に言い聞かせた。安易な自己正当化の言葉を心の中で虚しく並べ立て、この自ら招いた悪夢から覚めるために、ブラウザを閉じるための赤い×印に、震えるカーソルを合わせようとした、まさにその瞬間だった。
私の指が、まるで意志を持ったかのように、ぴたり、と止まった。
画面の隅に表示されていた、ありふれた動画タイトル。その、品のないゴシック体で書かれた文字列が、まるで巨大な磁石のように、私の視線を引きつけて、決して離さなかった。
『絶頂未経験のJD、初めての快楽開発ドキュメント file.07 千尋』
絶頂、未経験。その言葉が、熱した鉄の꼬챙이のように、私の心臓を貫いた。あの日の、怜の言葉が、耳の奥で、温度のないクリアな声で再生される。『オーガズムという生理現象に、以前から興味があった』『自己での再現も試みたが、結果は芳しくなかった』。偶然か? いや、この言葉の符合は、ただの偶然で片付けるには、あまりにも出来すぎていた。
心臓が、一度大きく止まり、次の瞬間には、今までの比ではないほどの猛烈な速度で、破裂しそうなほどの鼓動を再開した。どく、どく、どく、と、肋骨を内側から破壊するような、痛みを伴う衝撃。私は、まるで何かに導かれるように、その禍々しいサムネイル画像をクリックした。画面が切り替わり、動画の詳細ページが表示される。そこには、先程よりも大きく、より鮮明な画像が数点、無慈悲に掲載されていた。
私は、息を呑んだまま、食い入るようにその画像を見つめた。拘束台の上に、大の字に横たえられている、一人の女。両の手足は、鈍い光を放つ革のベルトで、ベッドの四隅に固く固定されている。顔には、目元を深く覆い隠す、銀色のシンプルなマスクが装着されていた。その身体は、私が焦がれるほどに見つめ続けてきた、怜の身体のラインと、不気味なまでに、そして絶望的なまでに、完全に一致していた。無駄な贅肉が一切なく、ストイックなまでに鍛えられた、うっすらと縦筋の浮かんだ腹部。しなやかに伸びる、長い手足。
だが、まだだ。まだ、確信するには早い。これは、ただの似た他人かもしれない。そう、必死に自分に言い聞かせ、最後の希望にすがりつくように、私は画像をさらに拡大した。PCモニター特有の、ピクセルの粗い粒子が、女の肌をざらついた非現実的な質感に変える。その、デジタル化された皮膚の上を、私の視線が、まるで鑑識官のように、ミリメートル単位で、舐めるように走査していく。
そして、見つけてしまった。
女の、わずかに見える、左胸の下。その、透き通るように白い肌の上に、ぽつんと、存在する、小さな、茶色の点。
ほくろ。
その瞬間、私の記憶が、閃光のように弾け飛んだ。高校時代の夏、市民プールの、塩素の匂いが充満した女子更衣室。眩しい西日が差し込む中で、少し恥ずかしそうに、スクール水着に着替える怜。その時、確かに見たのだ。彼女の左胸の下にある、小さな、愛らしいほくろを。誰にも言ったことのない、私だけが知っているはずだった、怜の身体の、ささやかな、愛おしい秘密。
全身の血が、沸騰し、逆流するような、おぞましい感覚に襲われた。呼吸が、喉の奥でひきつり、浅く、不規則になる。指先は、急速に血の気が引いて、死人のように冷たい。もう、疑う余地は、どこにもなかった。
これは、怜だ。
その確信は、親友が陵辱されているという絶望的な恐怖と、そして、彼女の秘密を、彼女のすべてを、私が見つけてしまったという、おぞましいまでの興奮を、同時に私の身体にもたらした。私の記憶の中にある、怜の肌の、滑らかで、少しひんやりとした質感が、画面の向こうの、ざらついたピクセルの集合体と、重なって、バチバチと火花を散らす。私の知らない場所で、私の知らない誰かが、すでに、怜の、この秘密の場所まで、知ってしまっている。その事実が、私を、狂おしいほどの嫉妬の炎で焼き尽くそうとしていた。
私は、画面に映る、拘束された親友の姿から、もう、一瞬たりとも、目を離すことができなかった。
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