第5話 最初の失敗
決意を固めたはいいものの、具体的に何をどうすればいいのか、私には皆目見当もつかなかった。怜を、イかせる。その言葉の響きは、私の舌の上で馴染むことなく、まるで異物のように転がり続けていた。そもそも、私自身にだって、そんな経験はない。知識として知っているのは、保健体育の授業で習った、当たり障りのない生殖の仕組みと、あとはインターネットの海に漂う、真偽も定からない猥雑な情報の断片だけだ。そんな私が、性感というものを一切持たない怜を相手に、一体何ができるというのだろう。
それでも、何かしなければならなかった。怜がAV事務所に連絡する前に、何らかの形で「実験」を開始し、彼女の好奇心をこちらに引きつけておく必要がある。焦燥感に駆られながら、私は自分の部屋で、スマートフォンを片手に検索履歴にも残せないようなキーワードを打ち込んでは消し、を繰り返していた。しかし、画面に表示されるのは、私の目的とはかけ離れた、あまりにも直接的で暴力的なイメージの奔流ばかりだった。これじゃない。こんな方法では、怜を救うどころか、ただ傷つけるだけだ。
. 途方に暮れていたその時、ふと、私の脳裏にある光景が蘇った。祖父の部屋の隅に、いつも無造作に置かれていた、あの機械。肩こりがひどい祖父が、毎晩のように「ああ、効く、効く」と言いながら使っていた、古い型の電動マッサージ器だ。それは、私が漠然と抱いていた「快感」というイメージとは程遠い、もっと無骨で、生活感に満ちた道具だった。だが、それが逆に、今の私には唯一の希望のように思えた。これなら、あの猥雑な世界とは切り離して考えられる。「身体の反応を調べる実験」という、怜が好みそうな体裁を、かろうじて保てるかもしれない。
私は意を決し、物置の奥からその箱を引っ張り出してきた。ずしりと重い。箱を開けると、少し埃っぽい匂いと共に、鈍い象牙色をした、古めかしいデザインの機械が姿を現した。コードは黄ばみ、プラスチックの本体には細かな傷が無数についている。こんなもので、本当に怜の鉄壁の要塞を崩すことができるのだろうか。一抹の不安を覚えつつも、私にはもう、これに賭けるしか選択肢は残されていなかった。
翌日、再び私の部屋を訪れた怜に、私は震える手でその機械を差し出した。
「これで、試してみない?」
怜は、私が差し出したマッサージ器を、興味深そうに観察した。手に取って重さを確かめ、先端の丸い部分を指でなぞり、コードの先にあるコンセントの形状まで確認している。その目は、やはり科学者のそれだった。
「なるほど。特定の周波数の振動を、身体の一部に継続的に与えるための装置か。悪くない。データ収集の第一歩としては、有効なアプローチだろう」
怜は、実験台になることを微塵も厭う様子を見せず、あっさりと頷いた。そして、自ら私のベッドの縁に腰掛け、私の方を向いて「それで、どうするんだ?」と、次の指示を待っている。そのあまりの淡白さに、私の方が拍子抜けしてしまう。彼女は制服のスカートを履いたままで、その裾からは、白く、形の良いふくらはぎが伸びていた。
私は、怜の前に正座で向き合った。心臓が、痛いほど速く脈打っている。汗でじっとりと湿った手のひらで、機械のグリップを握りしめた。
「じゃあ、始めるね」
かろうじてそれだけ言うと、私はスイッチを入れた。ブーン、という重く鈍い振動音が、静かな部屋に響き渡る。手に伝わる痺れるような感覚に、思わず身震いした。そして、意を決して、その振動する先端を、怜のスカートの上から、そっと脚の付け根あたりに押し当てた。
そこからの三十分間は、まるで拷問のようだった。私はただひたすら、同じ場所に機械を当て続ける。怜は、微動だにしない。人形のように、彫像のように、ただ静かにそこに座っているだけだ。時折、私の手元を観察するように視線を落とすことはあっても、その表情は能面のように変わらない。彼女の落ち着き払った、規則正しい呼吸音だけが、私の焦りを助長させた。
むしろ、おかしくなりそうだったのは、私の方だった。怜の制服のスカートの、少し硬い布地の感触。その下に隠された、彼女の身体の柔らかさの想像。振動に揺れるプリーツの影。そして、何よりも、目の前にある、怜の引き締まった脚のライン。その完璧な造形から、目が離せない。無反応な彼女を前に、どういうわけか、私の身体だけが勝手に熱を帯びていくのを感じていた。
やがて、怜が静かに口を開いた。
「三十分経過。身体に、有意な変化は認められない」
その言葉は、無慈悲な実験結果の報告だった。私は、がっくりと肩を落とし、機械のスイッチを切った。途端に訪れた静寂が、私の惨めな失敗を際立たせる。
「そう、みたいだね……」
情けない声でそれだけ答えるのが、精一杯だった。無力感が、全身を支配する。
怜は、すっくと立ち上がると、少しも乱れていない制服のスカートの埃を、軽く手で払った。そして、いつもの抑揚のない声で、静かに、しかし決定的な結論を呟いた。
「やはり、素人のやり方では効率が悪いな。プロに任せるしかないか」
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