第2話

作戦は、神代信が転売ヤーに接触し、米の転売をやめるよう説得を試みるというものだった。

義玄は遠方から様子を窺い、必要に応じて駆けつける役割を担っていた。


ついに転売ヤーとの対面を果たした神代信は、潟ノ原村で転売ヤーに直接お願いをするのであった。


「転売ヤーさん、あなたは金儲けのために米の転売をしているのでしょう。しかし、米不足の中で転売されると、多くの人が困ってしまいます。どうかやめていただけませんか。」


「神代信君だったかな。悪いが、僕にも引けない理由がある。これからも米の転売は続けるつもりだ。悪く思わないでくれ。これも自由経済、資本主義の一環だからね。」


「自由経済だと?資本主義だと?そんな理屈で、人々の命がかかった必需品を売りさばくのか!

お前のやっていることはただの強欲でしかない!

苦しむ人々の声を、少しでも聞いたことがあるのか!

今すぐ米の転売をやめろ!」


「お前の言うこともわかるが、これが現実だ。俺たちだって生活のために必死なんだ。

需要と供給のバランスの中で動いているだけで、悪意があるわけじゃない。

自由市場で生きていく以上、これは避けられないことだ。」


「生活のためだと?それなら正当な手段で生きろ!

人々の生活を脅かしてまで金儲けをするのは許されない。

お前のその行為は、社会のルールを踏みにじる暴挙だ。必ず責任を取らせる!」


「社会のルールだと?笑わせるな。

社会のルールを守っているだけでは、食べていくことも、生きていくこともできないんだ。

お前は共産主義の世界で生きたいのか?」


「共産主義って何だよ。それはどうでもいい。

とにかく、転売行為は多くの人に迷惑をかけている。

食べることに困っている人が大勢いるんだ。

もしやめないなら、力ずくでもやめさせてやる!」


「共産主義も知らないのか。残念だよ、君は実に勉強のできない人間だ。

いや、すべき時に勉強しなかった人間と見た。」


その言葉が、神代信の胸に工藤陸の言葉を突き刺した。


「俺は将来自分の非力さに嘆きたくないんだ。

だから今、大事な時に勉強している。

勉強しなければ、絶対に苦労するからな。」


その言葉が胸に刺さり、神代信の心は揺れ動いた。

自分自身の無力さ、そしてこれまで避けてきた現実が一気に押し寄せてきたのだ。


しかし、動揺を振り払うように深く息を吸い込み、彼は改めて決意を固めた。

自分が変わらなければ、何も変わらないと――。


怒りに任せて神代信は高城希来に殴りかかったが、希来は紙一重の間合いでそれをかわした。

二人の間に緊張が走り、周囲の空気が一瞬で張り詰めた。



---


信の拳は虚空を切り、希来の冷ややかな目がそれを捉えていた。


「君は怒りに任せて我を忘れている。たとえ僕が転売をやめたとしても、次の者が同じことを続けるだろう。君の努力は無意味だし、暴力では誰もついてこないぞ。」


神代信の拳が空を切ると同時に、高城希来は軽やかに身をかわしながら冷静に言った。


「まだ怒りに支配されているようだな、信。感情だけで突っ込んでも、相手を倒せるわけじゃない。」


神代信は額に汗をにじませながらも、一瞬の隙を狙いながら答えた。


「お前が何を言おうと、俺は見過ごせない。転売で苦しむ人がいる限り、俺は戦い続ける。」


希来は微かに笑みを浮かべ、さらに言葉を続ける。


「だがな、俺だって生きるためにやっている。お前には分からないだろうが、現実はそんなに甘くない。」


拳と言葉が交錯する激しい攻防の中で、二人の思惑がぶつかり合っていた。



---


「ここが幻湖。かつては広大な湖だったが、米の大規模栽培を目的に開拓された土地である。

今では広がる田んぼが人々の暮らしを支え、農の営みが息づいている。

だが、その豊かさの裏には、さまざまな葛藤と歴史が刻まれている。」


政府と官僚は食糧難を背景に、米の大規模栽培を目指した。

しかし、栽培技術の向上により日本の米生産量は飛躍的に増加し、結果として米不足から米の余剰という新たな問題を招くこととなった。


その結果、米の価格を維持するために、ここ潟ノ原村では「青刈り」と呼ばれる、まだ穂がついていない稲を草刈り機で刈り取るという措置が取られていた。


しかし、その事実を知らずに、君は一体何と戦っているのだろうか。


神代信の拳が空気を切り裂き、振り上げられた腕は今にも相手を叩きつけようとしている。

荒い呼吸が胸を揺らし、目は怒りで真っ赤に染まっていた。


「ふざけんな…!」


声が喉の奥からほとばしる。

周囲の景色が歪み、視界は怒りに飲み込まれていく。

何度も何度も繰り返された裏切り、嘘、裏腹な言葉の数々が、脳裏に狂ったように蘇る。


拳が震え、力が暴走しそうだった。


「終わらせてやる…俺の手で…」


低くつぶやき、拳が加速する。

だがその一撃が、何かを壊してしまうのも理解していた。

それでも止まらなかった。

怒りの炎は、理性を押しのけて暴走していた。



---


「しかし、米の生産には生産調整という限界があった。曾祖父の代から、米を作ろうにも作れなかったこともあるんだ。だからこそ、俺は考えた。

売り方を工夫して儲ける必要がある。高く売ることが、果たして悪いことなのか――。」


「必要なものを安く売るだけで、作る奴がいなくなるんだ。それでいいのかよ――!」


それがお前が転売を肯定する理由にはならない。


いつまでもパンチをただ回避し続けることは、不可能だ。

緩急をつけて、タイミングをずらしたところで、ずっとかわし続けることはできない。

避けるだけじゃ終わらない。必ず一撃は当たる。

だから、向き合わなければならないんだ。



---


悪いが、私の転売益を心待ちにしている人間がいてね。

君の理想論に耳を貸す余裕はない。――さらばだ。


無駄に肩に力を入れていては、獲物は逃げるものだよ。

遠くから様子を見ていた義玄とまゆが、ようやくその場に近づく。

彼らの目には、信がただ拳を振り回しているように映り、高城希来は一歩引いて躊躇していた。


やがて希来は「米は渡した。文句はないだろう」と吐き捨て、その場を離れようとする。


「待て!」信が叫び、希来を追った。

「乗れ、信! お前はサッカーの後遺症で全力じゃ走れないだろう!」


信は素早く、セドリック顔の荷台へと飛び乗った。

転売ヤーに一泡吹かせるべく、義玄は車の鼻先を奴の方へ向けるのであった。


「何をするんだ、義玄おじさん!」


セドリック顔が転売ヤーめがけて突進していく。

義玄は心中でつぶやく――この転売ヤーはただ者じゃない。殺すくらいでちょうどいい。これなら怪我程度で済む。


「食らえ!」「かわして!」相沢まゆが叫ぶ。


その声に呼応するように、転売ヤー・高城希来はセドリック顔の体当たりを、かろうじてかわした。


「お願い……。あなたが誰かを傷つけたら、責任は誰が取るの?

今の私の生活は全部、あなたに支えられているのに——急に消えたら、私はどうしたらいいの……」


「……それもそうだな。まゆが一人立ちするまでは、おじさんはまだ捕まるわけにいかなかった。」


義玄は小さく息を吐き、「すまない」とだけつぶやいた。

その隙に、転売ヤー・高城希来は砂利道へと駆け込んだ。

車での追跡はここまでだ。


信は迷わず、田面ライダーを抱え上げ、走って追跡を開始する。


「信、その田面ライダーはスピードリミッターがちゃんと調整されてない!

何が起きるか分からないけど…こんなことで転売ヤーを逃がすわけにはいかない!絶対に逃がすもんか!」


田面ライダーにまたがった信は、転売ヤー・高城希来との距離をぐんぐん縮めていく。

しかし、田面ライダーは無理な調整とアイドリングなしのせいで、進行方向でいつ爆発してもおかしくない状態だった。轟音と振動が体を揺さぶり、排気口からは火花と煙が吹き出す。


信が高城に飛び移ろうとする瞬間、ついに田面ライダーが爆発寸前となり、激しい炎と黒煙が前方に吹き上がった。熱風が砂利道を巻き上げ、高城は思わず後ずさる。


その隙を逃さず、神代信は転売ヤーの靴を脱がせた。

「周りは砂利道だ。お前は足は速いが、靴がなければ痛くて走れない。これで俺の勝ちだ。」



「そうなればいいが、君の思うように世界はならない。」


「この世界は未熟だ。全員が幸せになる方法など、どこにもない——それが分からないか?」


「理想で飯は食えねぇ。金だ、金! 働くか、稼ぐか、それだけだ。」


社会人になった信は、目の前で転売ヤーと揉めながら、ふとあの言葉を思い出した。


「愛じゃ飯は食えない。飯を食うには、働くか、金を払うか、それだけ。理想なんかじゃ腹はふくれない。」


昔、夢ばかり追っていた自分に誰かが吐き捨てるように言った言葉。

今、目の前の現実に必死で向き合う自分にこそ、あの言葉が響く――

学生時代の夢に浮かれていた頃よりも、ずっと身に沁みる。


どうせお前も「米が作れなきゃ野菜でも作ればいい」とか、そんな単細胞的発言をするんだろうな。

だが田んぼの土はpHが低く、野菜が栄養を吸収できる環境なんかじゃない。

安易な理屈で現実を舐めるな。



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