ぼくは、きみに話しかけた。
大学図書館前のベンチにあの人の姿を見つけた。
時刻は一五時過ぎ。おそらく“一六時二〇分”待ちだろう。夕方から始まる煩わしい講義のはじまりを待っているんだ。つまらない授業だが、あの人と同じグループになれたなら、毎日受けたっていい。
あの人はベンチで読書をしていた。
ぼくとあの人の距離は、一〇〇メートルはあった。どうしようか。ぼくは食堂の傍まで近づいて、そのまま食堂へ入った。ぼくは何をしているんだ。用もないのに入ってしまった。
食堂を出て、あの人のベンチから遠ざかった。
何をしているんだ、ぼくは……。
あの人との距離が縮まらない。アスファルトを見下ろした。
あの人は、ぼくの好意を知っているらしい。だとすると、いまのこの、ぼくのアスファルト上での迷う足取りも、いまこのときも、見られているのだろうか。
考えたってしかたがない。いま話し掛けなければ、明日も、そのまた明日も話しかけないままだろう。あの人といちども話すことなく、大学を卒業することになる。それは目に見えている。大学へ入学してからの二年間、ぼくはあの人へいちども話しかけたことがない。チャンスは何度かあったはずだ。でもしなかった。いまを逃すと、この二年間と同じことを残りの二年でも繰り返すだけだろう。そんな気がしてならない。学内であの人を見つけ、話しかけたいと思い、足がすくんで、また明日話しかければいい、とそう思って諦める。それの繰り返しだ。
ぼくは振り返った。そして食堂と講義棟を通り過ぎた。まっすぐあの人のいるベンチまで歩いた。米粒サイズだったあの人の姿がはっきりしてくる。
ぼくは、彼女のいるベンチの前に立った。
彼女が本から顔を上げ、ぼくを見上げた。彼女は口元にやや笑みを含んでいる。こちらの意図を察しているように感じた。
そよ風が吹いた。彼女の匂いだろうか。甘い匂いがして、頭がくらっとする。ぼくは言葉に詰まりかけた。
「あの、何の本を読んでるんですか?」
ぼくは、きみに話しかけた。
さようなら異世界駅改札口前 酒とゾンビ/蒸留ロメロ @saketozombie210
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