らしい──。

 日本の歴史を扱った午前の講義中だった。

 平井と高木が曽根が持ってきた『進撃の巨人』を読みふけっている。


「そういや、あれどうだった」


 平井が訊いた。誰に質問しているのかわからなかった。曽根と高木が平井を見る。前列に座るぼくも平井へ振り返った。


「あの人のことだよ。名前、教えてやったろ」


 ぼくに言ってるのか。


「まだ」


 ぼくは首を振った。


「まじ? まだ声かけてないのか」


「うん」


「知人がいるって言っただろ、心理学科に」


「ああ、うん。名前教えてくれた人だろ?」


「そう。なんかそいつ、五十嵐いがらしってやつなんだけど、あの人に告白するらしいぞ」


「え」


「言っただろ、競争率高いって」


 カバンを持って静かに講義室を抜け出す、ようなことはしなかった。ぼくは前へ向きなおって、面白くもないスマホのソシャゲの画面へ向きなおった。ゲームをする気になれず、2chの怖い話をまとめたアプリを開いて、いくつか読み込んだ。それで気を紛らわせて、忘れちゃいけないのに忘れようとした。

 ぼくだけがあの人の魅力に気づいている、なんてことあるわけがない。ぼくが好きだということは、ぼく以外の人もみんな好きなのだ。いろんな人にそう思われるだけの魅力があるということだ。ぼくにはない。だからぼくはあの人が好きなのだろうか。


 講義が終わり、三人と食堂へ行った。生活費は節約しないといけない。一三〇円のうどんと一〇〇円の検尿カップに入ったポテトを買った。ひとりのときはコンビニでカロリーメイトとポカリスエットだけで済ませる。それで十分だ。

 それで十分なのだが、昼休みが終わり三人がそれぞれ講義棟へ向かうと、ぼくは授業をさぼって食堂へ戻り、カツカレー定食を頼んだ。

 十数分前とは打って変わって、食堂は閑散としている。ぼくはがら空きの窓際の座席でカツカレーを平らげると三人へメールも入れず帰った。


 バス停での待ち時間、駅に着いてからの電車の待ち時間、電車の中でのこと、乗り換え、地元の駅から家に帰ってくるまでのことが思い出せない。ずっとあの人のことを考えていて、それ以外の記憶がない。

 今ごろ五十嵐とかいうやつは、あの人に告白してOKもらってんだろうな。

 らしい──。そう平井は言った。けれどぼくの中では確定情報のように感じられた。終わった、という気がしている。今後の展望はない。終わったのだから。

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