初めてのライトニング

 更衣室へ行く前にタイムカードを先に切る。これがここのやり方だ。ぼくは帰り支度を済ませ更衣室を後にした。


 駐輪場へ向かっていると呼び止められた。


「すみませーん!」


 三好さんだった。息せき切って僕の前で彼女は止まった。


「今日はありがとうございました。助けていただいて」


「あー、あのお客さん?」


 ぼくは忘れていたふりをした。


「はい」


 三好さんの笑顔がはじけたので、少しドキッとした。


「あのお爺さん、いつもクレーム入れる隙を見計らってるんだ。それが趣味なんだよ」


「そうなんですか」


 良からぬことが頭に浮かんだ。つまり、彼女に試せばいいのではないだろうか。ラムゼンに教えられた例の魔法を。

 初めて異世界駅へ迷いこんでから、気がつくと一カ月が過ぎようとしている。ぼくは大学の“あの人”にまだ魔法を使えていないし、相変わらず声もかけられていない。気持ちの面でも何も進展がない。


「三好さん、下の名前なんだっけ?」


「名前ですか?」


「苗字の三好は、漢字の“三”に “好む”だよね?」


「あ、“好む”じゃなくって、“ぜん”の方なんです。“み”は“三”で合ってますけど」


「“ぜん”?」


「“上善如水じょうぜんみずのごとし”の“善”です……っていう日本酒があるんですけど」


三善、、さん、高三じゃなかったっけ?」


「兄がよく飲んでるんです」


「ああ、お兄さんが」


 兄がいるのか。確かに、妹キャラっぽい雰囲気がるとは思っていた。スマートフォンを取り出して、ぼくはメモに“三善”と打った。


「この漢字?」


「そうです」


「下の名前は?」


「アスカです」


 メモに“飛鳥”と打って画面を見せた。


「こう?」


 三善さんは頷いた。


「かっこいい名前だ」


「よく言われます」


「言われるんだ」


「はい。……よく、じゃなかった。偶にですけど」


 もし発動しなくても、疲れてふざけてしまったとか後で適当に言えばいい。最悪バイトを変えればいい。


 名前は分かった。ここは屋外だ。屋根もない。ラムゼンが提示してきた条件はクリアしている。淡々と僕は理解を深めていった。

 このくらいのこだわりのなさが、あの人の前でも出せればいいのだが。もし出せたなら魔法など必要なく、とうの昔にあの人といい関係になれていたかもしれない。今に至るまでの大学二年間を無駄にせずに済んだだろう。

 悔やんでも、この二年は戻ってこない。


 辺りを確認した。街灯のついている場所、ない場所の両方を確認した。人影なし。


「じゃあ先輩、お疲れ様でした」


 三善が身を翻した。背中が離れてゆく。

 どうしよう、早く言わないと……。そう自分へ言い聞かせているあいだにも、彼女の背中は離れようとしている。


「三善さん」


 ぼくは彼女を呼び止めた。


「はい」

 

 三善さんが足を止め、こちらへ体半分ほど振り向いた。


「“ライトニング”」


「え?」


 しまった。大声で言わないと駄目なんだった。

 ぼくは鼻から静かに息を吸って口から、やや吐いた。


「“ライトニング”!──」


 夜の駐輪場にぼくの声が響いた。屋根の鉄板や柱に声が反響している。こんな大声を出したのは中学の部活動ぶりだ。そう思っていたら視界が真っ白になった。

 地鳴りのような音が轟いた。三善さんの頭上に青い稲妻が落ちたのが見えた。ぼくは思わずのけ反って、彼女から後ずさった。頭が真っ白だった。


「三善さん?」


 かみなりが落ちたように見えたが、彼女は黒焦げではなかった。気のせいか。


「わたしもです」


「え」


「わたしも先輩のこと、好きです」


「も?」


 ぼくは好きなんて一言も言ってない。“ライトニング”と叫んだだけだ。


「好きなんです」


 三善さんが繰り返した。それでぼくは気がついた。

 なるほど、どうも術がかかってるっぽい。三善さんの瞳が、傍の蛍光灯の明かりを受けてぎらぎら輝いている。まるでぼくに熱を出しているかのように。

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