第5話

「息を止めたまえ!!」


黒い瘴気を見たクライはシスに叫び、大量の水を顕現させる。

瘴気とサンタ男を容易く飲み込むと同時に、凄まじい速度でフロアを満たしていく。

肩まで水位が上がったところでようやくシスの脳内cpuが回復して、鼻と口を大急ぎで塞ぐ。

「がぼっ……!?」

しかし、異世界の強い水の勢いに、地球人中学生の小さな身体が耐え切れるはずもなかった。

あっさりと手が剥がれて、口にも鼻にも、そして耳にも水が入ってくる。

目も閉じていることが出来ず、眼球を無遠慮に撫で回される。

頭部全体に強烈な痛みが走った。

「がぼっ!!ごぼっ!!」

「ああもう!やりづらいねぇ!!

ちょっと離れていたまえ!!」

何故か水中でもクリアに聞こえるクライの焦った声。

腕を掴んでいた手が離され、シスは後ろの方に押し流される。

耳元で破壊音が鳴ったかと思うと、間髪入れずに強烈な浮遊感に襲われた。

「がぼっ!?」

どうやら、建物から投げ出されたらしい。

反射的に手足をばたつかせて抗おうとするも、まるで効果が無い。


落ちる。落ちる。落ちてゆく。意識すらも。暗闇の中へと。


しかし、本日二度目の意識消失を目前にして、強い衝撃と共に浮遊感が消えた。

「ゲホッ、コホッ……!!」

身体を包んでいた水が剥がれ落ち、空気の味を思い出す。

硬く、揺るがない地面が手と脚をしっかりと押し返してくる。

沈みかけていた意識が引き戻されて、感覚が徐々にクリアになってゆく。

「うっ………!!」

戻ってきたのは、頭部を襲う耐え難い痛みだった。

「げほっ、ごほっ……!!けほっ」

鼻や耳、目に入った水を出そうと無意識に指でそれらの部位をほじる。

いや、爪も立てて掻き毟っている。

ぐつぐつと内部をも侵食する痛みの合間を縫って、鋭く刺すような痛みが走る。

それが心地よくて、さらに強く指を動かす。

「う……っ!」

指先を流れるのは水か、あるいは血か。

それすらも自覚しないまま、刹那の安楽に身を委ねる。

痛みで痛みを塗りつぶす。


しかし、状況はそれを許さない。


「おいアンタ!!しっかりしな!!」

「……!?」

ぐいっ、と突然右腕を掴まれて後ろに引っ張られる。

クライと同じく、異世界人特有の途轍もない力と勢いに転びそうになるが、どうにか踏ん張って耐える。

「がはっ!!」

……なんて、水に濡れた状態で出来るわけもなく盛大に転び、地面に身体を強く打ち付ける。

「チッ!!死にたくないならさっさと立ち上がりな!!」

「………っ!」

焦りと怒気が滲む声に急かされ、痛みに悶える暇もなく身体を起き上がらせる。

腕を引かれる方向に走り出し、どうにか目を開けようと、一度ぎゅっと強く目を瞑って痛みを抑える。

そしてゆっくりと目を開き、揺れる視界にピントを合わせる。


ビリビリと痺れるシスの瞳に映ったものは────





「クソッ!!よりにもよって一番面倒な時間帯に……!!」


支配人は激怒した。

必ずやかの邪知暴虐なアンリミテッド共を排除せねばならぬと決意した。


昼に国の観光スポットの目の前に位置するレストランを襲撃する。

悪辣極まりない奴らだ。

レストランの中には敵幹部がおり、人々が逃げ惑う外の広場では雑兵が暴れ回っている。

人の波に耐えきれず転ぶ者、敵の攻撃を受けて痛みに蹲る者。

それらをお構いなしに、我先にと踏みつけてでも逃げようとする者達。

あるいは、自らの手で抵抗を試みる市民もいる。

しかし、訓練もしていない者が上手い立ち回りなど出来るはずもなく、魔法を撃っても避けられる。

そして、その流れ弾は民衆に当たっている。

騎士団も何とか場を収めようとするが、時間が経つにつれて混乱は大きくなるばかり。

まさに地獄絵図だ。


「てか騎士団連中はどうしたんだい!!

何でこんなところまで奴らの侵入を許したんだい!?」

「わ、分かりません!?私たちにも全く気配が……!!」

「言い訳なんざ聞きたくないよぉ!!」


狼狽する騎士達に怒号をあげる支配人。

2メートル近い筋骨隆々な体躯と厳格な顔も相まって、すごい迫力だ。

まさに女傑という感じである。

人の波の中でも自身の動きを乱されていない。


何で料理人のトップはどいつもこいつも強そうなのか。

永遠の謎である。


それはさておき、混乱しているのは支配人も同じだった。

この時計台前広場は特に観光客が多いため、常時手練れの騎士たちが見張っている。

それらに一切気付かれずに外敵が侵入するなど、誰が予想できるだろうか。

というより、そもそもそんなこと可能なのだろうか。

あり得なさすぎる。

(……だが、それが出来るなら何故ここを選んだ?)

国の中心部にすら潜り込めるスニーキング。

それが出来るなら、奴らの目的を考えれば、ここではなく"あの場所"を狙うはずだ。


(まさか、奴らの狙いはコイツか……!?)


支配人は、自分が引っ張っている者を見る。

クライが連れてきた異世界人。

全裸の冬の川流れに、クライの屋上ジャンプ命令の実行(冗談のつもりだったらしい)と奇怪な行動が目立つ奴。


そして、クライの話によると、再生能力が異常なようだ。


真冬の全裸の川流れにより死ぬ寸前にまで追い詰められていたらしいが、少し身体を温めただけで、すぐに正常な状態にまで回復したらしい。

名だたる戦士ならともかく、こちら側に来てすぐの人間がそんなこと出来るはずもない。

あるいは、その常識すらも覆す特異な運命の持ち主なのかもしれないが。

現に、身体能力向上の恩恵は全く無く、魔法すらも使えないという有様だ。

いや、これは特異というより奇妙に分類されるだろうか。

それはともかく、幹部が襲ったのも、コイツとクライがいるフロアだった。

可能性は十分にある。


「あ、来る」

「……っ!?」


不意にシスが逆に腕を引っ張り、止まろうとする。

無論、それで引く側が逆転するはずもなく、反応した支配人が自ら止まり、シスは勢いのまま支配人の身体に突っ込んだ。

「むぶっ」

「いったい何だ……」

言い終わる前に、ちょうど二人の目の前に敵の攻撃が着弾した。


ディセンバーと名乗ったサンタ男が放った瘴気と、同じくらい"黒い"矢の雨が。


「「「ぎゃああああああ!!!」」」


何人かが巻き込まれて、身体に"黒い痣のようなもの"が広がる。


それを見た周囲の人はより恐怖した顔で、その場を離れようと散ってゆく。

荒れ狂う人の波の中に、ぽっかりと穏やかな穴が開いた。

その穴に留まったのは被弾して動けない者たちと、シスと怪訝な表情でシスを見る支配人だけだった。


「ほう、私の攻撃に気づくとはな……」


「っ!?」

頭上から降ってきた声に驚く支配人。

上を見ると、いつの間にか黒いマントを身に纏う瘦せこけた男がいた。

男の目はしっかりとシスを捉えており、シスも男の方を静かに見ている。


さっきはクライが庇ってくれたが、どうやら、敵とのマッチアップは逃れられないようだ。





「なかなかやるな、小僧」

「くっ………!!」

男から距離を取ってシスを後ろにやり、臨戦態勢を取る支配人。

男は堂々としたセリフとは裏腹に苦い顔で攻撃態勢を取る。

張り詰めた空気がその場を満たす。

周囲の喧騒すらも切り離されて、二人だけの空間が形成されていく───


しかし、その空気も読まずにシスが喋った。


「……最初にそれ使えばクライさんに楽に勝てたんじゃね?」


「あの痴呆老人が己の手柄のために邪魔をしたのだ!!

私の階級が低いことを理由に、絶対に勝てないと周りを言いくるめてな!!

階級がなんだ!!私の実力は既に幹部と並ぶのだぞ!!」

ひょこ、っと支配人の背中から顔を出したシスの言葉にブチギレる男。

一瞬で空気が弛緩する。

相変わらず周囲には悲鳴と怒号が飛び交い、穏やかな雰囲気ではないが。

「人間関係が上手くいかないと、絶対に辿らないようなクソルートを平然と辿るよね。この世の理不尽の一つだと思う」

「……だが、今お前に気づかれた以上、どのみち失敗に終わっただろう。

図らずも奴は最善のルートを通ったわけだ。

これだから運のいい奴は嫌いなんだ」

「……何アンタら普通に喋ってんだい」

臨戦態勢は解かず、それでも力の抜けた声でツッコミを入れる支配人。

あれほど痛みに苦しんでいたのに、急にのんびりした態度を取り始めたシスにもついていけない。

「まあ、ハズレもハズレの魔法書…じゃなかった、運命の書持った俺よりはマシだと思うよ?」

がハズレだと?まあ、この状況ではそう思うのも仕方あるまい」

「え?まさかコレ欲しくてこんな騒ぎ起こしたの?」

「ああ。いらぬのであればよこせ」

「そう言われると渡したくなくなった」

「クソが」

支配人をスルーして喋り続ける男とシス。

しばし、その場に似つかわしくないほど穏やかな時が流れ、それは男がコホンと咳ばらいをするまで続いた。


「それで、時間稼ぎは終わったのか?騎士団の助けは来ていないが」


「まさか、もうちょっと現実的なギャンブルをしたよ」

狙いはバレているぞという男からの問いに、平然と答えるシス。

しかし、男もまたその返事を知っていたかのように言葉を続ける。

「そこの女の攻撃の溜めを稼いでいるのか?バレているぞ。

だいぶ稼げたようだが、少し足りないようだな」

「チッ、失敗じゃないかい」

ニヤリと支配人の方に目を向ける男。

支配人は舌打ちし、炎を纏った右腕を男に向ける。

男を殺しきるには、まだ十分に力が溜まっていない。

しかし指摘された以上、もう溜めの時間を与えてはくれないだろう。

(しかも、攻撃を溜めているのは向こうも同じことだ。

何を考えているんだいこのガキは……!!)

支配人の考えた通り、男もまた先ほどより力の増した黒い矢を番える。

これでは相殺しあってロクにダメージを与えられないだろう。

いや、むしろこちら側に被害が出る可能性すらある。

それほどまでにあの"黒"はヤバい。

男はニヤリと邪悪な笑みをシスに向け、支配人は再び舌打ちして炎を放とうとする。


しかし、それでもシスはのんびりとした態度を崩さない。


「違う違う、それはフェイク」


「……何?」

「は?」

男と、そして支配人が首を傾げる。

支配人の視点からも、自分に攻撃を溜めるように背中文字で指示をしてきた以外の情報は無い。

では、隠れて魔法を使ったのかと考えるがシスは魔法が使えない。

周囲の人々はこちらから遠ざかろうと必死で、手を貸してくれそうにもない。

伏兵が居たのかと考えるも、そもそもシスは異世界に来てばかりで、クライ以外との交流が一切無いとクライから聞いている。

いや、普通にクライが嘘をついている可能性もあるが、どうなのだろうか。


((もしかしてコイツ、適当なことを言っているのでは……))


男と支配人がそう思い始めた時、シスはある方向を向いてニヤリと笑う。

そして親指でピッ、とそちらを指して答えを言った。


「俺じゃ絶対に勝ちをつかめないから、代わりを待っていたんだよ」


男と支配人がハッとした顔でそちらに目を向ける。

そこには龍の形をした水流、いや水龍を纏う水色の髪の女が立っている。

足元には血塗れになった老人が倒れている。


そう、二人が喋っているうちにクライvsディセンバーの戦いに決着がついたのだ。


「思ったより手強かったねぇ」

そう言って、斬り落とした頭を掴んでこちらに見せびらかすクライ。

幹部の無残な姿に、男は戦慄する。

だっけ?君もああなるんじゃない?」

「クソッ、いくらなんでも倒すのが早すぎるだろう……!!」

「仮にもいち組織のトップだからねぇ。これくらいはやってのけるさ」

短い言葉の応酬の後、男に向かって突撃するクライ。

男はどうにか避けようとするも、いかんせん実力差があり過ぎる。

八つ首に分かれた水龍に素早く手足を食いちぎられ、攻撃を放つことも出来ずに地に落ちる。

「ぐっ……!!」

「再生もさせないさ」

「がああああああああああ!!!??」

傷口から水を体内にぶち込まれ、悲鳴をあげる男。

ボコボコと肉が浮き上がり、口や耳、鼻から赤黒い液体が垂れる。

そのうち腹や胸に無数の穴が開き、ピューッと水が出始める。

「「うわ……」」

「くっくっく……」

あまりにグロい絵面に、シスも支配人も目を背ける。

対照的にクライは物凄く楽しそうだ。

再生させないというより、ただ甚振っているようだ。



「皆さん!敵は全て制圧しました!もう安心です!」



そして男にとっての死刑宣告が、民衆やシスにとっての朗報が大声で届けられる。

どうやら他の敵兵たちもいつの間にか騎士団に制圧されていたようだ。

クライほどではないにせよ、彼らもまた実力者であり、混乱の中でも比較的迅速に敵を制圧できるということらしい。

そうでなければ、人が集まる土地の守衛など務まらない。


「がぼ、ぁ………!!」

「あとは君だけだねぇ?残念だねぇ?」


その宣言によってクライがより邪悪な笑みを浮かべたのは悲報かもしれない。




何はともあれ、事態は収拾したようだ。

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