第16話


 大陸の中央には横断不能と言われる広大な砂漠があった。

 砂漠はその広大さゆえに、百を超える程の様々な都市国家によって囲まれており、東と西では、または北と南では、まったく異なる文明と人種が存在している。

 砂漠に接する人々の誰しもが、砂の大地に恐れを持っており、決して近づかず、日々の暮らしを営んでいたのだったが、時おり自ら望んでそこへ入り込む者もいた。


 砂漠には魔物がいるという––––––。


 まことしやかに囁かれるその噂には、砂漠には魔物がおり、幻を見せて、人々を奥地へ誘い込むいうのだ。

 そして砂漠に誘い込まれた者は二度と帰ることはなく、たとえ砂漠から抜け出て来ても、狂人と変わっており、人に害をなすのだという。

 その噂は人々をたいへん恐れさせた。

 砂漠に隣接する周辺諸国では、昔から噂される共通の認識だった。


 しかし近頃では、もう一つ奇妙な噂が広まっていた。

 砂漠には花園があり、その中心には女がいて、砂漠に迷い込んだ人に一輪の花を渡して故郷に帰すのだという––––––。



          ⚪︎



 花々が月光に照らされる晩。

 また一人の迷い人が、花園に訪れていた。

 徒歩で現れたその男を、女が出向いて挨拶をする。

 砂漠は広いが、花園も広大である。その中央からゆっくりと歩んできたその女は、褐色の肌をしており、年齢は中年ぐらい見える。彼女は手に一輪の花を携えていた。


「迷い人の方、こちらへ。疲れたでしょう。少しここでお休みになって下さい」


 女はそう言い、花園の奥へ招こうとする。

 確かに男はくたびれ果てた格好をしており、痩せて血色も良くなかった。

 しかも男は惚けたようにじっと女を見つめたまま微動だにせず、しばらくの間、ピクリとも動かなかった。

 どうしたのだろう? と思うのだが、しかし女は慣れた調子で、そんな様子で固まっている男の反応を待つことにする。

 幻を追って歩いて来た者たちは、妄執に囚われており、女がこう言っても、たいてい素直には聞かず、突拍子もない様々な反応を見せるものだった。

 惚けていたと思ったら突然に暴れたり、泣き崩れたり、狂ったように笑い出したり、または倒れてしまったりなどだ。

 ここでいつもならば一悶着あり、そうした狂態をまずは受け止めなければならないことを女は十分に覚悟していた。

 女は静かに男の一声を待つ。

 予想はしている。堰を切ったように突然に発せられる、人を切り刻むような罵声も嗚咽も受け止めるつもりだった。

 ところが男は、女にとって予想だにしない言葉を口にしたのだった。


「美しい方、私はあなたを迎えに来ました」


 そうして女を真っ直ぐに見つめるのだった。

 男は続けて言う。


「不躾で申し訳ありません。私はあなたに結婚の申し込みに参ったのです」


 そう言うと、男は、女を見つめる目を離さずに片膝をつく。

 女は驚いて答える。


「迷い人の方、勘違いされていませんか? あなたは幻に別の褐色の女を見たのでしょう」


 男はその言葉をすかさず否定する。


「いいえ、私は噂に聞く幻に従ったのではありません。私は南の国の者です。ある日、私は祈りの最中にあなたを見たのです。私はあなたを美しいと思いました。それからというもの、神に願いながら、私はあなたを求めてここへやって来たのです」


 女は真意を確かめるように男の目を見つめる。


「あなたに間違いありません。わたしはあなたを求めて、ここへ辿り着いたのです」


 なおも女は男の目の奥を覗き込もうとする。


「ここに来るまで、祈りの中で何度となく、あなたの姿が示されました。私はあなたに寄り添いたかった。泣いているあなたの側に近づきたかった。あなたは知らないかもしれませんが、私はもうあなたを愛しているのです」


「愛‥‥? 私はそうした話はすっかり諦めていたものですから‥‥、正直驚いています。しかもあなたのような紳士な方に。私はとうに女の盛りも過ぎておりますのに」


 男は微笑みを浮かべて、女に温かな眼差しを向ける。


「私もです。旅に出る時は私は若さもあり、また多くの財産を持っていました。だがしかし今、私の持っているものはこれだけです」


 片膝をついた男は、胸に手を当てて、それから何かを渡すように手のひらを差し出した。


「どうか断らないで下さい」


 女はしばらくの間、自分に向かって懇願するように差し出されているからの手を見つめて、そこに何があるのかを確認した。

 そうして「少々お待ちになって下さい」と一旦場から離れて、さっきのものとは別の一輪の花を抜いて持ってくる。女が持ってきたのはこの花園の中でもっとも古い花だった。




 月光の明かりに照らされて、白い花々は満開に咲き誇っている。

 女が一輪の花を、片膝をつく男の手に渡すと、一斉に花々は舞い上がり、すべて天へ上って行ってしまった。


 悠久の始めから変わらず、果てのない静寂のみがあるはずの砂漠に、さんざめく音が鳴り止まないのは、空に集う天使の一人が祝福のラッパを奏でたからだろう。















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

砂漠に花を咲かせましょう ノウセ @nou777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ