第11話


 


 (–––––お願い! もうやめて! 痛いの‥‥!)



 でも、抜けなかった。

 強く握り引っ張ろうとすると、大きな悲鳴と共に抜かれる花の痛みが伝わってくるようでいて、思わず手を放してしまった。

 又、花が酷く泣いているようにも思えたからだった。

 それは誰かの声に似ていた。


 (‥‥痛いよ。痛い。‥‥もうやだよ)


 シクシクと少女が泣いている。

 突然に頭の中へ、遠い日の思い出から、一人の少女が現れる。

 見覚えのある顔。泣きはらした褐色の女の子。

 あれが誰だか私にはわかっている。


 –––––‥‥あれは私だ‥‥–––––


 そう自分だ。

 故郷の街で母と暮らしていた頃の私。初めての恋を夢見ていた頃の私。

 砂漠を彷徨う日々の中で、いつかどこかへ置いて行ってしまったかつての私だ。


 (‥‥どうしてなの‥‥)


 彼女に酷く泣かれた。私は困ってしまう。

 どうしてこんなことになってしまったのかと彼女に訴えられた。

 どうして少女を置き去りにして行ってしまったのかと叱られた。

 そして、少女の声を聞いて、その清らかな姿を見て、今の自分の姿が分かってしまった。

 思い出したかつての自分は、今の自分とあまりにもかけ離れ過ぎてしまっている。


 (‥‥ねぇ、あなた。どうしてなの?‥‥)


 少女の問いに答えるように、私は静かに涙を流す。

 私はどうしてこんなにも醜くなってしまったのだろう。



          ⚪︎



 私は恋をしただけのはずだった。

 なのに、なんで呪われなければならなかったのか。

 故郷の街で私が少女だった頃に、恋はそれだけで女を幸せにするものだと聞いていた。

 だのに、私は呪いを受けた。

 恋に囚われて、それを追い続けて、いつに間にか醜い姿に変えられてしまった。



 そう思って、涙を流し続ける。

 私は恋に敗れて、今はもう自分さえも失おうとしている。

 すべてを失い。すべてに後悔し。一つの失敗で何もかもが取り返しがつかない。

 本当に愚かで、滑稽だ。



 ––––ああ‥‥。疲れた。

   どうして私は、幸せになれなかったのだろう。



 自分を慰めてくれるものが欲しかった。

 今の私は孤独で、とても疲れていて、抱き締めてくれる誰かの温もりが必要だった。

 倒れ込みそうな私を、–––––誰か–––––受け止めて欲しかった。


 こんな夜には

 誰がの優しさが恋しかった。

 だけれども、こんな夜にさえ

 誰も私を温めてはくれない。

 私は一人きりだ。–––––ここには誰もいない。


 もう行くべき道はわからない。

 帰る故郷の場所もわからない。

 四方には果てのない砂地があり、その砂漠の真ん中で私は一人佇んでいる。

 ただ空ばかりが明るかったが、幾億の星々も私の孤独を癒してくれなかった。

 


「‥‥お母さん」



 ふと母のことを思い出した。

 故郷と共に捨ててしまった。

 もう会うことないだろう母のことを。


 不意に私の全身から力が抜ける。

 私は砂の上に倒れた。

 一輪の花を抱えながら、私は横たわる。

 砂は冷えており、心地よかった。



          ⚪︎



《‥‥フザケルナ! それをさえお前に抜かせてしまえれば‥‥》



 体から力がどんどんと抜けてゆく。

 遠のく意識の中、けたたましい声が聞こえる。

《‥‥抜け!抜け!抜け!抜け!‥‥》

 耳元に響く怒鳴り声は、私がこんな状態でも、花を抜くように煽り立ててくる。

 執拗に、残忍に、容赦なく、自分勝手な物言いで。

 耳障りの悪い声に嫌悪感を覚える。

 私は今までこんなもの共感されて心地よさを感じていたのか。



《‥‥抜け!抜け!抜け!抜け! 抜けーーーー!‥‥》



 もう反応することも億劫で、腕に力も入らないのに、‥‥馬鹿な声。

 なおも恫喝するように騒ぎ立ててくる声を無視して、私は一輪の花を手のひらで優しく抱きしめた。


 最初から愛おしむべきはこの花だった。

 どうして私はあんな酷いことをしてこれたのだろう。

 無惨に散らしてきた花々のことを思う。


「‥‥ごめんなさい」


 花に謝ると、花は少しだけ泣き止むのをやめてくれたようだった。

 私は慈しんで花を撫でる。花が思いかけず人肌のように温かったので、私は遠い日に別れたあの人の温もりを思い出した。それで無意識にまた同じ謝罪の言葉が漏れ出てきた。


「‥‥本当にごめんなさい」

 

 私はその温もりの人に話しかける。

 心の中で、懐かしいその面影を見つめる。



 ねぇ、私は恋をしたの

 幸せな恋を授かったの

 あなたと手を繋いで暮らしていた少女の頃に夢見た

 愛しているという言葉を捧げる人を見つけたの

 

 本当に幸せだった

 恋がこれほどの喜びを与えてくれるものだと知らなかった

 

 あなたの元から離れてでも

 私はその人と幸せな家庭を築くことを望んだ

 もうわからなくなってしまったけれど

 きっと、私は彼を愛していたのだと思う


 でも、あなたを本気で捨てるつもりなんてなかった

 私はすぐに帰るつもりだったのよ

 

 彼との子供を産んで、いずれあなたの住む故郷に‥‥‥

 それで私たちは一つの家で暮らして‥‥‥



「‥‥‥お母さん」



 もう一度、母を呼ぶ。

 母の面影は老いていた。母は私のために泣いてくれる唯一の人だった。

 それなのに家を出る時に私は、母の涙を蔑ろにした。

 あんなにも祈ってくれたのに。

 母が何を言っていたのか、贈ってくれた最後の祈り言葉さえ思い出せない。


 ‥‥本当に親不孝で馬鹿な娘。

 私は薄く笑って、目を閉じる。

 

 けれども母のことを思い出すと、空っぽだった胸の内が少しだけ満たされた。

 ずっと休みたかった。

 こうやって眠ってしまいたかった。

 私が「とても疲れた」と言って、深い息を吐くと、手の中にある花が、微かに私を抱きしめてくれている感触がした。

 花は優しかった。だから私は甘えるように花に身を委ねる。

 そうしてゆっくりと意識を手放した。






 

 








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