第9話



 思いかけず無尽蔵の力を得て、一日に進む距離が格段に伸びたにも関わらず、あと少しと思われた砂漠の果てには、まだ辿り着けていない。

 最初に〝あと少し〟と呟いてからどれだけの日数が経っただろう。いつまでも終わりの来ない〝あと少し〟はやがて数週間となり、もうじき一月ひとつきにまで至ろうとしている。

 それでも私は気を吐き続けている。一種の競技者にようにストイックに、終わりの見えない持久走を走り続けている私は、目的地に向かって、同じ日々を繰り返していた。


 日中は決まって大嵐が起こり、耐えて耐えて、苦しみながら駆け抜けた。それで夜には決まって嵐は止むのだが、深く息を吐いて見上げる空には、仲睦まじい二人の姿が映し出されることになる。それを見せつけられた私は、すかさず花を抜き取り、一息つく間もなく走り続けるのである。

 

 これを休まず一月ひとつき近くも続けた。

 一睡の眠りをさえ惜しみ、飽きもせず怒り続けて、私は幻を追い続けた。

 

 思い起こせば、旅路の始めは、彼と共に歩んでいるという実感の持てる充足した日々だった。あの頃は二人の未来を無垢に信じられて、本当に幸せだった。

 しかし、今となっては遠い記憶となってしまった。

 その幸福の日々は暗転して、売女と私の男の関係が進展してゆく様を、まざまざと見せつけられる毎日になっている。


 クソ女と男は、どこへ行った–––––。

 クソ女と男は、いつ何をした–––––。

 二人がどういう場面で笑い合ったか–––––。

 あの女と男に関わる、–––––本当の本当に、いらない情報が氾濫してくる。


 私を蚊帳の外にして。いいえ、観客として特等席に座らせてだろうか。

 恋仲になった男女二人がどのようにして愛を育んでゆくのか。その物語を、順を追って、私は見てゆくのである。

 狂おしいほどの嫉妬に苛まれた。毎日が拷問のようで生き地獄だった。

 それでも私はその地獄を自分から望んで見続けるのである。映し出されるのが望まない内容でも、少なくとも好きな男の動向は知れるのだから、目を離すことなどできるはずもない。

 私は知りたかった。いくら傷つけられても、まだ男を見つめていたかった。彼が今どうしているのか。どう思っているのか。彼の最新の情報を更新し続けることで、旅路の初めから二人で築いてきたはずの関係性を持続させたかった。前ほどには繋がりが感じられなくても、かつてのように私を見つめてほしかった–––––––。


 でも男は私を見ない。

 男が熱烈に見ているのは別の女であり、あの優しさは私でない女に与えたものであり、ほとんど笑わなかった男が今は頻繁に笑うのは、私の影響ではない。

 そして、やがて気づきもする。

 あの男は私のことなど存在すら知りもしないのだと。


 それでも––––。愚かでも––––。私は男を求め続けた。

 身を削って、精神をすり減らして、信仰のように愛情を捧げ続けた。

 たとえ全身全霊で尽くしても、––––虚しい幻は––––けして自分の想いに応えてはくれないというのに。

 そうなると私の心は荒んでゆき、次第に男への執着の仕方が変わっていった。



          ⚪︎



「フザケルナ! クソ男。バカにして!」



 不眠不休の強行を開始してから、私の精神はより安定性を欠き始めた。

 崩壊の兆候が少しずつ表立ってゆき、一月が過ぎた頃には完全におかしくなる。女だけに向かって放たれていた悪態が、男の方へも向くようになったのだ。あれだけ惚れ込み、何度と愛していると告白し、自分の真心を捧げていた男にだった。

 最初は言葉にならない小さな呻きから始まって、徐々に言葉として形となり、ついに愚痴が呟かれるようになる。その声が段々と大きくなると、男に対しての不平不満が抑えられなくなり、土手が決壊がしたように口汚い悪態が溢れてきた。


「クソ男! よくもよくも私を弄んで!」


 だって仕方がないだろう。私が思うままに自由にできるのは口だけだったのだから。

 長い間、ずっとそうだったのだが。私には行動の自由はない。毎日の生き方が原則化されて定まっていた。日々、考えるのは男のことばかりで、男の存在がなくては生きてはいけない。私は思考でも行動でも、男を求めて追うだけの生き物となっており、言わば男への執念に囚われた虜囚だった。

 不遇な虜囚の私が、唯一残されたその自由を使って恨み言を言い出したら、到底制御できるものではなかった。


「クソ! クソ! そんな必死に腰を振って! お前たちは盛りのついた獣かーーー!!」


 そして来る日も来る日も見せつけられる痴態の様。今晩も性懲りも無く、二人は仲良く腰を振り合っている。あいつらは犬か獣の類なのだろうか。

 

《‥‥急いで辿り着け、まだ間に合う‥‥》


 それから耳元で私を煽り急がせるこの声だ。

 焦燥は絶えず胸を焼き、私は足を止めることができない。

 しかし、行けども行けども目に見えるのは変わり映えのしない砂漠ばかり。


 ––––いつ着くのか? ––––これはいつ終わるのか?

 ––––そもそもいったい私は何の為に急ぎ続けねばならないのか?

 ––––何の為に‥‥?

 ––––それは愛だったのか?

 ––––いいや、憎くて、ただ口惜しいから走っているのかもしれない。

 

 苛立ちが抑えられない。腹いせに女を罵倒して、それでおさまらず男も罵倒する。自分でも気づかない内に怒りの矛先が見境なくなくなっていた。

 みっともなく癇癪を起こしながら、罵声を上げて、まるきり精神を病んだ狂人の有様だったが、それでも休むことはできない。寝る間を惜しんで足を動かし続ける。


《‥‥急げ急げ‥‥奴らをあのままにして悔しくはないのか?‥‥》


 そうして、胸を掻き毟る焦燥が、次々に花を抜かせて、私を先へ急がせようとする。

 しかし花は有限なものだった。一月も経つと、探すがなかなか見つからないようになる。あれほど見事だった花の園は、もう花の在処はまばらとなっており、園とは言えない姿になっていた。










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