第8話


 それからは信じられないほどの耐久力を私の体は示して見せた。走っても、走っても、少しも疲れないどころか力が漲ってくるのである。

 昨晩から休み知らずで走り続けて、それでもう正午過ぎだった。しかも日中の砂漠は再び大荒れになっていたのにも関わらずだ。

 何度と吹き飛ばされては転がり、体中を砂の粒に痛めつけられても、構わずに突き進んだ。

 そして日が落ちかけた頃に、ようやく嵐がやみ、空が晴れ始めた––––––––––。


 

 –––––––––––夕闇の空に浮かぶ蜃気楼には、さながら絵画に描かれているような美しく幻想的な光景が映し出されている。

 オレンジ色に染まる果てしない草原には、一頭の馬に相乗りする男女の姿があった。

 

 私はかつての自分が、彼との将来に何を願ったのかよく覚えている。

 あれはいつか夢見ていた私と男との姿だった。


 あの女が––––私が切に願ったはずの未来の中で微笑んでいる。

 あのメスが––––私の座るはずだった場所で彼に愛されている。


 その忌々しい光景を、私は憎しみを込めた目で睨んでいた。

 砂漠を死に物狂いで這って来た自分と、あの女とのあまりの境遇の差である。少しでもこの恨めしさが、あの場所へと届いてくれればいいと願った。

 それが叶ったのか(まったくの偶然なのだが)。馬が悪路で躓いたのだろう。馬は暴れて、女が馬上で体勢を崩してよろめく。しめたと思った。


 しかし、すかさず男が馬から落ちかかる女を、背後から強く自分の方へ抱き寄せる。そして見事な手綱捌きで馬をいなすのである。

 女は自分を救った頼り甲斐のある男の胸に身を預けて、その後はうっとりとした表情で乗馬を楽しんでいた。



          ⚪︎



「‥‥はあ?」


 それを見て私は苛立った。次には「よくも馬鹿にして!」と叫び、罵倒を続け。口汚い悪口を散々に幻にぶつけて、また走り出そうとする。

 だがその場で倒れた。

 あまりにも呆気なく砂の上に転がってしまったので、拍子抜けしまった。


 立ち上がろうにも体は言うことを利かず動かなかった。

 それもそのはずだ。昨日の夜から一睡もせずに走り通しだった。それでも不思議と休むことは必要ないと思い込んでいた。

 日中の砂漠をぶっと通しで走り続けるなど、人間の限界をとうに超えている。下手したら疲労で死んでしまうかもしれない。

 急激に体から力が抜けてゆく。心は怒りで『進め!』と猛り狂っていたが、体はその意思に反して休むことを強く求めていた。

 そこで、あの声が聞こえてくる。



《‥‥あの女はお前のもので楽しんで‥‥ いい身分じゃないか‥‥》


 

 絶えず一つの強い執念に突き動かされ続けていた為か。もうこの頃には声が聞こえてくることに何の疑問を持たなくなっていた。些細な雑音程度に思って声を受け入れていた。

 むしろ疑念に思うことよりも、声は的を得たことを言っているように思われ、自分の勘所をくすぐりつつ、言いたいことを代弁してくれているようにさえ思った。

 だから私は、声に呼応する。


 ダメだ––––。けして呑気に寝てなどていられるものか。

 このまま気を失ってしまうなんて、絶対にダメだ。

 一刻も早く私はあの場へ辿り着かなければならないんだ。

 あれは本来、すべて私のものなんだ。

 私の場所でのさばらせたまま、これ以上好きにさせてなるものか。



《‥‥見ろ。あの女の顔を‥‥図々しくもお前のものを自分のものだと思い込んでいるぞ‥‥》



 ダメだダメだダメだ。チクショウ‥‥!

 進まなければ奪われる。

 すぐに辿り着かなければ、あの女はしたり顔で図々しく、私のものに対して所有権を主張するだろう。

 でもダメだ。私は動けない。足に少しも力が入らない。

 このままじゃ、あの女の髪を引っ張り回して、私の場所から引き摺り下ろすことができない。

 走らなければ–––––。急いで向かわなけば––––––。

 奪われる奪われる––––––。

 急がなければ––––––。その為にはアレが必要だ––––––。



《‥‥見てみろ。お前の男が抱かれているぞ‥‥お前のかわりに唇を重ねて‥‥ああ、お前が本来受け取るべきだった喜びを、満面の笑みで受け取って‥‥》



 ––––あった!

 ––––花だ!


 花を見つけると、何も迷わなかった。すぐさま引っこ抜いて、散り散りにした。

 私にはこうすることに目的があった。

 案の定だった。花を散らした途端、私は体力を取り戻して、立ち上がることができるようになった。

 この不可思議な仕組みには気づいていた。昨日、花を千切ってからというもの、なぜだか体力が無尽蔵になり、一昼夜を走り通すことができるようになっていたのだ。


 これで完全に理解した。推測は正しかった。

 どうしてそうなるのかは知らないが、走る力を得るためには、花を千切ればいいのだ。

 仕掛けさえ分かれば、次にやるべきことは明白だった。

 

 さらに力を得るために、他の花も引っこ抜いて散り散りにする。

 一本では飽き足らず、二本三本と次々に抜いて、同じようにする。

 周囲はやはり昨日と同じく花園に変わっていたのだったが、どうせ散らすならばと八つ当たりしてメチャクチャに荒らした


「散れ散れ、こんなもの!」


 辺りの花々がごっそりと消えてゆく。散らされる花の無惨さなどには気にもかけず、これだけ散らせば、一日どころか数日も走り続けられるだろうと喜んでいた。



《‥‥ああ好きにするがいいさ。それはお前のものだ‥‥》


 

 暴れるだけ暴れて多少は気がすんだ。

 花びらが舞い上がる花園の真ん中に私は立ち尽くしている。

 足下には消えゆく花の残骸が散らばり、私は息を切らしながら、儚く消えてゆくそれらを静かに見守っていた。

 そして、ゆっくりと睨め付けながら顔を上げて、前方にある蜃気楼を見据えた。

 幻の中では二人の男女が抱き合っていた。

 私はそれを見て、––––この先の砂漠の最果てにいるだろう––––二人に届くように怒鳴りつけた。


「見せつけるな!」









 


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