第6話



 駆けた駆けた駆けた––––––––。

 怒りに身を任せて駆け続けた。


 砂嵐せいで視界が遮られて、行き先としていた空の幻さえ見えなくなっていても、逆風に逆らって私は、がむしゃらに駆けて駆けて突き進んだ。


 いつからだ?

 いつ?

 私とあの女は入れ替わった?


 違う。

 最初からあの女だったのだ。

 男に抱かれていたのは。

 彼が突然に衣服を脱ぎ始めた頃に気づくべきだった。

 彼の身体に別の女の痕跡があったことに。


 私たちは愛し合った。–––––と思った。

 でも違った。全然違った。

 何もかもが馬鹿げた偽り。

 虚しい幻––––––!


「‥‥‥違う違う違う違う違う違う‥‥‥違う」


 –––––違う! あれは私のだ。

 あの女だ。あの女が、私と彼の間に入り込んできた。

 あの男は私のものだったのに。

 女狐。クソ女。許さない!


 許さない!

 許さない!

 許さない!


(さっきのあの女。あんな顔をして!)


 許さない!

 許さない!


(お前のものじゃない。あれは‥‥あれは私のだ! フザケルナ!)


 許さない!

 許さない!


 許さない‥‥。



 絶対に‥‥許さ‥‥。



          ⚪︎



 いつの間にか私は倒れ込んでいたようだった。

 昨日の晩から日中にかけて休みなく、ずっと走り続けていたからだ。

 もう体が少しも動かない。困窮し切っていた。

 仰向けになったまま、自分の体の状態を見渡すと、砂嵐の中を真向かいに進んできた為に、ところどころ肌が細く傷ついていた。


 どこもかしこも砂が舞い上がり、依然として視界が塞がれている。

 私は前にも後ろにも進むことができないと悟ると、疲れ果てて少し眠る–––––––。


 夜になると砂嵐は止み、砂漠は日中が嘘のように静寂に包まれていた。

 起きたら私は体半分ぐらい砂に埋もれていたが、這い出す力もなかった。

 そして、どういう訳か時間が経つにつれて、周囲には花が生え広がっていた。

 私はしばらく何も考えず、夜空の星々を眺めていたのだったが、突然に自分の顔を手で覆い、泣きじゃくった。

 疲れのために自分を暴走させていた怒りが鈍化すると、かわりに深い悲しみが胸の奥底に下りてきたのだ。

  

 あの人は初恋だった––––––。

 魂で初めて契った相手だった。

 すべてを捧げてここまで来た。

 何もかもをかなぐり捨てて彼を求めて進んできた。

 故郷も。家族も。青春も。

 彼は私の生きた証明であり、私のすべてだった。

 それなのに–––––––。


「‥‥なんで‥‥ひどい‥‥‥どうしてなの?」


 私はなおも泣きじゃくる。

 さっきまでは往生際悪く怒っていたが、本当は知っている。

 ‥‥分かっているの。


 きっとこれが失恋なのだろう。


 でも諦め切れるの?

 私はもう彼に心を渡してしまったというのに。

 しかも一つの恋の終わりと共に、未来のすべてが閉ざされてしまうだなんて–––––。

 そんなのあんまりにも–––––。


「‥‥嫌‥‥‥嫌っ‥‥!」


 彼の姿を思い浮かべると、思い描いていた二人の未来像が急激に惜しくなり、私は手の覆うのをやめて、空に手を伸ばした。


 涙を流しながら懇願すれば、どうにかこの酷い現実がなくなってくれないだろうか。

 昨日までのことがすべて悪夢だったと消えてくれないだろうか。

 いつもと変わらずに彼が、私の恋人ととして、そこにあってくれないだろうか。

 そう願いながら、手を伸ばした–––––。


 すると、一縷の望みをかけた願いが叶ったか。満開の星々が輝く夜空で、彼が微笑んでくれていた。

 愛おしげに優しく、–––––傷ついた私を抱きしめるように。


「‥‥ああ、私のあなた」


 その微笑みは、一瞬で昨日からの悪夢を忘れさせた。

 鬱々とした感情を払い除けて、私を回復させ、生き返らせた。

 心が晴れやかになる。喜びで満たされてゆく。


 好きよ。好き。

 あなたが、やっぱり好き。


 でも––––––

 これは誰を見ているの?



《‥‥奴が誰を見ていると言ったか? ならば再び、望み通り見せてやろう‥‥》



 くぐもった声が聞こえた。


 間を置かず、蜃気楼の幻には、夜の街が映し出される。

 そこにはいつもより少し遠目の視野から映し出されている男と女がいた。

 二人は周囲を一望できる高台の上に立っており、仲睦まじく肩を寄せ合っている。

 黒髪の女に寄り添う男は、先ほどの笑みを女に愛しげに向けていた。

 そして二人が見る先には‥‥‥。


 ‥‥分かった。


 あれは砂漠だ。

 二人はいかにもロマンチックであるという雰囲気を醸し出して、街の高台から砂漠を見つめていた。

 その二人の姿を見て、私は先ほど手放しかけた黒い感情を思い出す。彼らの見ているあの先には、惨めに倒れている私がいるに違いないのだ。






 





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