第5話



 穏やかな風が吹く砂の大地を月光が照らしている––––––。



 今晩も私は砂の上に仰向けに寝転がって、恋人との逢瀬の時間を待っていた。

 昨夜の彼は美しかった。

 雄々しく逞しくあり、可愛らしくもあり、蕩けるような時間だった。

 時が巡り、今日もいつもの時間に、いつものように彼が現れる。

 裸だった。


 彼は真剣な面差しのまま瞳を近づけてくる。

 私たちは見つめ合ったまま、それから微動だにしない。彼は私の目を覗きこみ、奥底に何があるのかを確認しているかのようだった。

 

 ––––彼に求められているものは知っている––––


 私は心の中で〝愛してる〟と、答えるべき言葉を言った。

 夜空に浮かぶ彼が静かに微笑んだ。

 やがて唇が重ね合わされる。(‥‥触れたと感じる)

 そして一度、唇は離されて、彼の口元から言葉が優しく囁かれる。

 きっと異国の言葉で、先ほどの私と同じ言葉を返してくれたのだろう。

 銀色の髪が乱れる。最初はゆっくりと、徐々に激しく。美しい銀の光は艶かしく動き出し、男が喘ぐ表情をする。

 私は両手を広げたまま、男のすべてを受け入れる。

 

 荒涼の世界に浮かぶ月は、私にとって、もはや孤独を慰めるための照明ではなくなった。

 私たち恋人の寝床を照らす明かりだった。


 しばらくして彼は私の顔を見つめながら、––––––果てた。

 とても愛おしかった。

 こうして月明かりの下で、私たちは何度と愛し合った。



 こんな夜を幾度も続けていた。

 こんな幸せな夜が永遠に続けばいいと願っていた。

 私の辿り着く場所には、その未来があると信じていた。





《‥‥虚しい幻に近づく程に、一輪、また一輪、お前は花を失ってゆく‥‥》





 あのくぐもった声が聞こえた。

 また逢瀬の邪魔をされ、小さな苛立ちを覚えて興が醒めると同時に、ここで強烈な違和感を覚える。

 唐突に心に思い浮かんできたのは、不思議と今まで考えもしてこなかった初歩的な疑問だ。


 ––––男は私を見ているのだろうか?


 突然、夢から覚めたような心持ちだった。

 浮かんできた疑念が大きくなる。



《‥‥ようやく気づいたな。愚かな女め。お前に取り憑くのは容易だったよ‥‥》



 私は急いで月夜に浮かぶ男の瞳を覗き込んだ。

 彼の瞳を鏡として、そこに映り込んでいるものを見たかったからだ。

  

「あれは、––––私?」

 

 私のはずだ。

 絶対にそうだ!


 悲痛にも似た私の要望に応えるように、夜空に浮かぶ幻は、瞳の部分だけ解像度を上げてゆく。すると彼の瞳に人影が映るようになる。

 そして、そこにいたのは‥‥。


 ‥‥違う。‥‥‥私じゃない。

 なに? なぜ? どうして? あれは誰!! 

 それじゃあ、彼は誰といるの!

 


《‥‥お前はあいつが誰といると言ったか? ならば見せてやろう‥‥》



 と嘲笑を含んだ声が聞こえると、夜空の浮かぶ彼の幻の隣に、もう一人の人物が現れる。

 絹のような肌をした黒髪の女だった。



「はっ‥‥‥‥?」



 突如、幻に現れた女は裸だった。

 それで彼に背後から優しく抱かれていて‥‥。

 どちらが冗談でも言ったのだろうか。二人で仲睦まじそうに笑い合っている。

 その最中にも女は愛おしげに自分の前に垂れてきている男の長い髪を指ですいている。慣れた動作のように見えた。

 しばらくしてから二人は真剣な表情に戻ると、女はゆっくりと首を回して背後から抱き寄せている彼と口づけをした。

 そして女は彼に組み倒されて、それから–––––––。



「はっ‥‥?」


 

 私はまざまざと二人が絡まり合う痴態を見せつけられる。


 ––––なに、これはなんなの‥‥。冗談でしょう?


 目の前にある光景が信じられなかった。

 夜空には情事に耽る男と女がいて、私は蚊帳の外だった。

 驚き。戸惑い。困惑して。頭がどうしようもなく混乱し尽くして。次第に泣きたくなるような気持ちになりながらも、声を出せないでいると。男に抱かれて愉悦した女の顔がこちらに向けられる。


 今‥‥。

 あの女と視線が合ったような気がした。

 女は満たされた笑みを浮かべていた。

 この世に自分よりも幸せな女はいないというような顔だ。


 その表情を見ると––––。

 その勝ち誇ったような表情を見ると––––。

 途端に私は激怒した。

 

「‥‥ふざけるな!」


 私は怒りを自分でどこへ向けるともわからず叫んだ。

 そして私の怒りに呼応するように、周囲に異変が起こる。

 穏やかだった砂漠の風は一変し始める。


「フザケルナ!」


 もう一度、叫ぶ。

 今度ははっきりと怒りの対象を定めてだ。

 あの女にだ。


 周囲では風が強く吹き始めていたが、私は強い感情に支配されいて、そんなものはお構いなしだった。


 ああ‥、あああ!

 そうか‥‥。

 ようやく事態が飲み込めた。


それはその男––––」


 私は一泊置いて、目線を移して、私の恋人であるはずの男の姿を見つめる。そして、再び目線を移して、黒髪の女を‥‥‥睨みつけてやる。


 あの女がどうやったのかは知らない。

 だが深く考えなくとも分かることはある。これは略奪だ。

 あの女に‥‥。あのクソ女に‥‥。–––––私の男が奪われたのだ!

 

「––––私のだぁぁーーーーーーー!」


 腹の底からあらん限りの怒りを吐き出して大声を張り上げる。

 その絶叫と共に一度も気象を崩さなかった砂漠の世界に、激しい砂嵐が起こった。







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