初めての創作論議

 カツヤさんは私が高校3年生だった時の現代国語の先生だ。その頃私はたまたま教壇の前の席に座っていた。カツヤさんに関しては、離婚したばかりで色々大変らしいとか、劇団の脚本を書いているとか、何故か妙な噂が生徒の間では広まっていた。事実関係は分からない。ちなみにカツヤさんとは一種のあだ名で、私が親しみを込めて勝手に陰で呼んでいただけで、本当は佐藤勝也という名前だったと思う。


 小柄で、黒縁の瓶底めがねをかけた40代半ばのおじさんは、国語の授業がとても上手だった。それまでは年配の古典の先生の大ファンで課外授業にまで足を運ぶほどだったが、カツヤさんの授業はまた違った面白さがあり、文章ってこういう組み立てになっているんだ、と改めて学んだ。劇作家という噂は本当かもしれないと思った。


 ある日、授業が終わるとカツヤさんがいきなり、なあお前、ちょっとこれのさわりを読んで感想を聞かせろ、と原稿用紙にとても綺麗な字で書かれた分厚い小説をどんと、私の目の前に置いた。


 数ページに渡って書かれた事細かな比喩だらけの情景描写を読んで、表現がうるさくて読む気を失う、とさわりだけで私はゲンナリした。だからカツヤさんにも正直にそう伝えた。言ってしまってから、それがカツヤさんの小説だったらどうしようと思ったが、時遅しだった。


 カツヤさんは、そうだろう?俺もそう思ったんだよ、と驚いたという顔つきで同意した。高校生でもそう思うんだから、ダメだよなあ。と大真面目に言う。誰の小説なのか訊くと、大学の先輩から目を通してほしいって頼まれたんだけど、なんて言っていいか困っちゃってさ、と本気で困っている様子だった。私に真面目に相談してるの?と内心悪い気はしない。


 私はその時、キレイな文章だけどね、と付け加えたと思う。少しは褒めてあげて、と言いたかった。大学の先輩って、50歳とかの大人が一生懸命書いたのだから下手だねでは済まされないだろうと思った。いや、下手ではないのだ。私が好きでないだけで、読む人が読めば素晴らしい文章かもしれない。優秀すぎてその世界に入れてくれない、それで損をしていた。


 何故急にこんな事を思い出したのか分からない。でも、大真面目に文芸論を持ちかけられて嬉しかったのだと思う。カツヤさんは私がものを書いていた事は知らなかったはずで、偶然だったのか、それとも勘のようなものが働いたのか分からないが、私の意見をここまで真面目に聞いてくれるとは思わなかった。


 数年後教育実習で母校に戻ったが、その時はすでにカツヤさんは転勤になっていて再会は叶わなかった。大好きな古典の先生はまだ在籍されていて、私の事を覚えていてくれたので、とても嬉しかったのを今でも懐かしく思う。

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題、自由 北野美奈子 @MinakoK

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