依頼その3 後編③
板倉愛菜は、霧峰をまっすぐに見つめている。
「私は、嫌いなんですよ」
「……。」
霧峰は、何も言わない。いいや、厳密に言うと違う。
何も、言えないのだ。
それは後ろで見守っている拓篤もそうだった。
高羽が口を開いた。
「…何が嫌いなんっすか」
すごい、やはり流石ですよ。先輩と霧峰は、思った。
こんな切羽詰まった状況でもふざけるとは。
「全部。」
キッパリと、答えた。
なるほど、なるほど。つまりアレだ。板倉愛菜その2は何らかの理由で、全部嫌になって自暴自棄になった…という訳らしい。
「特に愛菜が。」
緊迫していた。
何も、言えなかった。少なくとも霧峰は。
「名前とかねーのかよ。お前は」
今、聞かなくてもいいようなことを、拓篤は聞いた。
−−今じゃないよね?少なくとも、その質問は今じゃないよね?と霧峰と板倉は、思った。
まあ、板倉がそう思ったかどうかは、別の話なのだが。
「ないよ、ないに決まってるんじゃん」
−−そんなこともわからないんですか?お兄さん、と言った様子で板倉は拓篤に、言った。
「んじゃあ、何なのお前」
彼の機嫌が少し悪くなった。
「…さあ。まあでも世間一般では、二重人格とか、解離性同一障害って言うやつなんじゃないんですか」
鼻で笑いながら、板倉は言った。全体的に拓篤のことを、バカにしているようだった。
−−実際バカにしているのだろうが。
「…だから。」
板倉が少し間を置いてから、再び口を開いた。
「消すの。板倉愛菜って言う存在を…って思ったけど、めんどいね。やっぱ自分の主人格だもん。消せる訳なかったな」
わざとらしく、ふざけて言った。
独り言のように空に向かって呟いた。
屋上に、風が吹いた。
板倉は下を見た。地面を見ていた。
「やっと夢が叶うんだから。止めないでね」
−−察した。
霧峰は、察してしまった。
板倉が一歩踏み出した。先に言っておこう。板倉の踏み出した足の下には、足場はない。
落ちるだけだ。
そう。
板倉は、自由落下しようとしていた。
「愛菜ちゃん!」
体が一歩前に出た。
手が、彼女の腕を掴もうと前に、ただがむしゃらに伸びた。
あまりの驚きに、目が見開いたのがわかった。心臓が動揺からだろうか。激しく動くのが、わかる。
とにかく、端的に言ってしまうと焦った。
息が思わず止まるんじゃないか、と思うくらい焦った。
霧峰に構わず、板倉は落ちた。
正確には、落ちようとした。
そう−−落ちなかったのだ。
「おっすぅあ!ギリセーフだぜい」
高羽が、板倉の腕をがっちりと、掴んでいた。
それでも、人一人分を支えるのは厳しい。ずり、ずりっと板倉の腕が、地面に向かって落ちていく。
霧峰・拓篤も加わり、何とか板倉を上げた。
霧峰は、引き上げている途中に、板倉が身を捩って3人の掴んでいる手を離しはしないか−−と心配だった。
だが、抵抗せず大人しく3人の目を、見ていたのは少し驚いた。
「はーっ!ちっかれたぁ!」
高羽が、そう言った。
屋上に声が響く。
霧峰は嬉しかった。板倉が助かったという事実が。
そして、知らなければならないとも思った。なぜ彼女が自殺したかったのか。
二重人格とはどういうことなのかを。
「…愛菜ちゃん」
口が、重かった。
言葉ってこんなにも、重かったんだっけ−−と霧峰は思った。
「何でこんな…ことしたの」
なるべく穏やかな口調で、そう言った。
板倉は沈黙していた。
何も喋ろうとはしない。
「なん…か、言ってよ。言わなきゃわかんないよ」
沈黙。
誰も何も、言わない。
「愛菜ちゃん」
懇願するように、霧峰は板倉愛菜の名を呼んだ。
全員何も言わない。
高羽と拓篤はただ、見守っている。
霧峰は泣きそうだった。感覚として、わかる。
涙が出そうになっているのが、わかる。
「…わからないと思うよ」
板倉が、切り捨てるように言った。
「言ったところで、どうせ貴方達には理解できないと思うよ。」
「言ってもらわなきゃわかんないよ!!」
霧峰の、大声が屋上に響いた。
彼女の声は、大声を出し慣れていないからか。裏声にもなっている箇所が、あった。
少し、びっくりしている板倉に霧峰は、畳み掛けた。
「言ってもらわなきゃ、知れるものも知れないよ!何も言わなきゃ、私どうすればいいのかわかんないよ!」
「…そんくらい」
板倉が対抗して口を開くが、それも霧峰が阻止した。
「そんくらい自分で考えろだ!?考えてねっすか!?確かに、察することができる時もあるよ。そりゃあね?そりゃあ、あるよ」
独り言のような口調だった。
「でも、言ってもらわないとわかんないから。私にどうして欲しいのか、私たちにどうしてほしいのか」
霧峰は板倉の目をまっすぐに見た。
責めるような目ではなかった。とても、優しく力強い目を、していたような気がした。
自然と最後だけ、口調も優しくなっていた。きっとこちらが本心なのだろう。
−−というか、本心だった。
板倉は諦めたようにため息をついた。
「…考えとくね」
たったそれだけだった。
たったそれだけを言って、3人の前からいなくなった。
それが、霧峰が板倉愛菜を見たのが最後となり、その後板倉愛菜はまた不登校になった。
日常は、特に変わらない。
また普段のように霧峰は、待田理子と弁当を食べ、拓篤陸介は陽キャたちと騒ぎ、高羽は相変わらず疎まれる。
いつもの日常が帰ってきたのだ。
テスト期間ではあるが。
霧峰は、思う。
板倉愛菜の事件の時から思ったことを、高羽に打ち明けた。
「…あのさ」
「んー?」
風が、少しだけ肌寒い。
秋が終わりに近づいている。
「人生ってさ止まるにも、止まれないじゃん」
「はっはっ!哲学っすか?」
−−バカにしていらっしゃいますか?お兄様と霧峰は思った。
霧峰は、続けた。
「止まってる間も、普通に時って進んで。それで、みんな先行っちゃうからさ。1人だけ後ろから追いかけるのって、なんか寂しいじゃん」
区切った。
「1人が好きな人は、そうじゃないかもね」
−−珍しい。いつもふざける高羽優希さんが、ふざけません!なんだ?これは、珍百景かな?
と、霧峰は思った。
霧峰は言った。
「でも、みんなの背中を追いかけるのは、寂しいじゃん。」
「まっ、そだななのズラ」
ズラって何なんですか。妖○ウォッチの某妖怪ですか?と霧峰は、思った。
「そーゆー人がいたらさ。それで、その人をたくさんの人の中から、見つけられたら。寄り添いたいなって思った。寄り添いながら、前に進むんだよ」
「へー」
高羽が、感心したようにそう相槌を打った。
与えられた時は、今その時は長く感じるかも知れないが、過ぎた時には短く感じるものである。
霧峰は、思った。
−−笑って生きられたら、いいな。といつだって前向きにとは、言えないが。
心から笑いたいし、バカなこともしたい。
霧峰は、校門を捉えた。
短い高校生活。楽しまなきゃ損じゃないか!
霧峰はそう思い、笑顔で校舎に入った。
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