第二章 命の灯をつなぐ者たち
第8話 導きの朝
朝の光が、古びた窓の隙間から差し込んでいた。木の壁に映る光の筋がゆらぎ、夜の名残を押しのけていく。炉の残り火がまだわずかに赤く、灰の底で小さく呼吸していた。
遠くで鳥の声が聞こえた。昨日まであれほど荒れていた村にも、ようやく静けさが戻ってきたらしい。風が吹くたび、壊れかけた屋根の隙間から木片がきしむ音がした。
――村長。その言葉を思い出すたび、胸の奥がざらついた。
俺が……この村の長、か。
まだ実感がない。だが、あの時、皆の前で誓った。なら、逃げるわけにはいかない。
「クロム様。おはようございます」
扉の外から声がした。朝の光よりも柔らかく、どこか凛とした響き。リヴが入ってきた。長い髪を後ろで束ねている。光を受けてその髪が淡くきらめき、まるで夜明けをそのまま形にしたようだった。
「ああ……おはよう、リヴ。もう起きてたのか」
「ええ。一晩中、村の外を警戒していました。夜の間も何人かが見回りを続けてくれています。皆、昨日より顔が明るいですよ」
彼女の言葉に、少しだけ息が軽くなる。
あの戦いのあと、もう立ち上がれないと思っていた人々が、今は自ら手を動かしている。瓦礫を片付け、家を直し、互いに声を掛け合っている。
その姿を思い浮かべるだけで、胸の奥が温かくなった。
「……俺、本当に村長になったんだな」
「はい。昨日、皆の前で誓われたでしょう。あれが、クロム様の始まりです」
リヴは静かに笑った。その微笑みは信頼というより、祈りに近かった。俺の決意を、信じようとしてくれている。そのまっすぐな瞳を見ていると、弱さを見せることが許されない気がした。
「まずは、この村の現状を知らないとな。何も分からないままじゃ、何も始められない」
「その件でしたら、ガレオン様に相談するのがよろしいかと」
「そうだな。行こう」
外に出ると、冷たい空気が頬を打った。まだ戦いの痕跡があちこちに残っている。倒れた柵、焦げた地面、破れた屋根。
それでも、村人たちは小さな笑みを交わしながら作業を続けていた。互いに声を掛け合い、泥にまみれた顔で笑っていた。
その姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。生きようとしている。絶望の中でも、前を向こうとしている。その灯を絶やすわけにはいかない。
ガレオンの家を訪ねると、彼はすでに外で作業をしていた。
「おお、クロムさん。もう起きたか」
「昨夜は休めたか?」
「まあな。まだ体が少し重いが、久々に両手を使えて助かってる」
彼は笑いながら肩をすくめた。その笑顔が、朝日よりも頼もしく見えた。
「村の現状を知りたいんだ。どんな人がいて、どんな暮らしをしてるのか」
「それなら――」
ガレオンは少し考え込み、頷いた。
「ヴァリア婆さんのところへ行こう。この村に一番長く住んでいる人だ。結界スキルで、ずっと村を守ってきた。あの人なしにこの村は成り立たなかった」
「結界持ちの人、か……」
リヴが小さく頷く。
「行ってみましょう。村の事を知るには、必要な事です」
そして三人で、村の中央にある丘の上の一軒家へと向かった。
他の家より古びた家の扉の前には淡い光を帯びた紋章が刻まれている。空気が微かに震えていた。おそらくこれが結界の気配だろう。この村を守り続けた、その力の中心がここにある。
「入っておいで」
扉を叩く前に、内側から声がした。年老いてはいるが、しっかりと通る声だった。
中に入ると、薬草と焚き木の香りが混ざり合った温かな空気が流れていた。炉の前に座る老婆。白髪をひとつにまとめ、背筋をまっすぐに伸ばしている。その瞳は、深い紫の光を宿していた。
「初めまして、ヴァリアと申します。あんたが……新しい村長さんだね」
老婆は穏やかに微笑んだ。その眼差しには、試すような鋭さと、受け入れるような温かさが同居していた。
「クロムです。突然押しかける形になってすまない」
「礼などいらないさ。むしろ、礼を言うのはこっちだ。クロム殿がこの村を救ってくれた。あの夜、もう終わりだと思っていたんだよ」
ヴァリアさんの言葉に、胸の奥が少し詰まる。本当に救えたのかどうか、まだ分からないけれど、こうして感謝されることに、ほんの少しだけ報われた気がした。
「村の現状を知りたいんだ。何から始めればいいか分からなくて」
「ふむ、そうだね……。ガレオン、あんたも座りな」
炉の前に腰を下ろし、ヴァリアさんが語り始めた。
「今、この村にいるのは、大人も子供も合わせて五十人ほどだよ。もともとは百を超えていたが、魔物やアンデッドの襲撃、病で少しずつ減ってね。戦える者もわずか。あなた達が来なければ、もたなかっただろうね」
五十人。その数の軽さに、思わず息をのむ。この規模で、よくここまで生き延びてきたものだ。
「この村は、どこの領地に属してるんだ?」
「属していないよ。ヴァルメイアの土地ではあるが、隣のヴァルデン領には存在すら知られておらんよ」
ヴァリアさんはゆっくりと首を振る。
「あそこの領主はネクロスの対応で手一杯でね。ここは放置された土地さ。税もなければ援助もない」
ヴァリアさんはゆっくりと笑う。その笑みは寂しげだった。リヴが静かに眉をひそめる。
「つまり、この村は完全に孤立しているということですか……」
「そうさ。だけどね、他国からは認識されている。隣のギルディアのマルキオン領からは月に一度、商人が来る。彼らがこの村の命綱さ」
彼女の言葉に、思わず息を呑んだ。
「交易か」
思わず口をついて出た言葉に、自分でもわずかな希望を感じていた。
「食料も薬も、足りないものは全部そこで手に入れるのさ。金は魔物の魔石や素材、あるいは盗賊から奪った武具を買い取ってもらうのさ」
「……それで、やりくりしてたのか」
思わず呟いた。生き延びるために、死と隣り合わせの生活。戦いと略奪の境界で、この村の人たちは生きてきたのだ。
ガレオンが低い声で続けた。
「そしてもう一つ、南のバルドリアのカザル領だ。あいつらは力で全てを決める国だ。何度もこの村を襲い、奪おうとした。奴らにとってここは、ただの獲物さ」
その声には、怒りというより、深い疲労が滲んでいた。
「ヴァリア婆さんの結界と、俺の剣でどうにか防いできたが、もう限界だった。だからこそ、あなたの力が必要なんだ、クロムさん」
重い沈黙が落ちた。炉の火がぱちりと弾け、その音だけが響く。
この村は、誰にも守られず、それでも生きてきた。その灯が、今にも消えかけている。
俺はゆっくりと拳を握りしめた。心の底から、湧き上がるものがあった。
「分かった。状況は掴めた。……けど、これからは違う」
自分でも驚くほど、言葉は自然に出ていた。迷いはなかった。
「俺が、この村を立て直す。誰もが胸を張って生きられる――。そんな村にする」
ヴァリアさんの瞳が静かに揺れた。長く絶えていた希望が、そこに灯るのが見えた気がした。
「……ようやく、この村を導く者が来たようだね」
ガレオンが拳を胸に当て、力強く頷く。リヴは隣で、まっすぐに俺を見上げていた。
「クロム様、次に何を?」
「まずは、土だ。農業を立て直す。飢えをなくさなければ、何も始まらない」
三人が頷く。その瞬間、炉の火が再び大きく燃え上がった。光が室内を照らし、俺たちの顔を赤く染める。
――生と死の狭間で生きるこの村。その再生の第一歩を、俺は今、確かに踏み出した。
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領主の長男ですがネクロマンシーを授かったせいで処刑されかけました。蘇らせたメイドや仲間達と共に辺境の村を開拓していたら、いつの間にか国になりました。 ドラドラ @doradoraastray
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