第11話断らせないための嘘
第十一話
断らせないための嘘。
高橋先生の「恋人のフリ」作戦は、わたしの想像を遥かに超えて、大胆かつ計画的だった。
あの日以来、先生は隠すどころか、これ見よがしにわたしとの距離を縮めてきた。昼食を共にするのは当たり前。回診の合間にすれ違えば、わざわざ足を止めて「山本さん、疲れてないか?」と声をかける。他の医師とわたしが話していれば、ごく自然に会話に割り込んできて、「悪いけど、彼女借りるぞ」とわたしの肩を抱く。
そのたびに、わたしは羞恥と罪悪感で心臓が縮み上がりそうになるのに、先生は涼しい顔をしている。周囲の反応も、最初の驚きと好奇心から、次第に「高橋先生、山本さんのこと相当好きみたいね」「なんだかんだお似合いじゃない?」という、温かいものへと変わっていった。
外堀は、完璧に埋められていく。
わたしは、もう「これはフリなんです」なんて、口が裂けても言えない状況に追い込まれていた。
――― その夜。
全ての業務を終え、一人医局に残った高橋佑樹は、窓の外に広がる街の灯りを眺めながら、深くため息をついた。手には、まだ温かいままの缶コーヒーが握られている。これは、先ほど仮眠室へ向かう山本あづさに渡そうとして、結局渡せなかったものだ。
(…やりすぎか)
自問自答する。彼女の困惑した顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
昼間の強引な自分の行動を思い出し、佑樹は自嘲気味に口元を歪めた。
彼女は、真面目で、優しくて、そして驚くほど自己評価が低い。
あの日、バイクの後ろで必死に自分にしがみついていた、あの小さな背中を思い出す。守ってやりたいと、心から思った。
だからこそ、分かっていた。
真正面から「好きだ、付き合ってくれ」と告げても、彼女はきっと「わたしなんか、先生に釣り合いません」と、悲しそうに笑って断るだろう。彼女は、自分から幸せの真ん中に飛び込んでいける人間じゃない。
美咲との縁談は、確かに厄介な事実だった。だが、それはきっかけに過ぎない。
彼女の優しさにつけこむ、最低な口実。
『恋人のフリをして、俺を助けてくれないか?』
そう言えば、責任感の強い彼女は断れない。
病院中に噂を広め、師長にも根回しをして、彼女の逃げ道を徹底的に塞いだ。彼女が「やっぱりやめます」と言い出せないように。後戻りできないように。
不器用で、強引で、卑怯なやり方だとは分かっている。
彼女の純粋な気持ちを利用している罪悪感に、胸が軋む。
(すまない、山本さん)
佑樹は、冷たくなった缶コーヒーを一口飲んだ。
(でも、こうでもしないと、君は俺の隣に来てはくれなかった)
これは、断らせないための嘘。
君を俺の隣に繋ぎとめるための、たった一つの作戦。
この嘘が終わる頃には、必ず。
必ず、この関係を本物にしてみせる。
そう固く誓い、佑樹は医局の電気を消した。
彼の壮大な作戦と、その裏に隠された切実な想いを、まだ、山本あづさは何も知らない。
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