第8話「よう。待たせたな」
第八話
約束の日、わたしは待ち合わせ場所の公園のベンチで、落ち着きなく時計ばかり見ていた。
ワンピースなんて着てきてしまったけれど、バイクに乗るのに大丈夫だったろうか。髪型は崩れていないだろうか。考えれば考えるほど不安になる。
と、その時。ブォン、という低いエンジン音が近づいてきて、わたしの目の前で一台の大きなバイクが止まった。黒く艶めく車体に、シルバーのパーツが光っている。運転していた人がヘルメットを外した瞬間、わたしは息をのんだ。
「よう。待たせたな」
黒のライダースーツに身を包んだ、高橋先生だった。
いつも見ている白衣姿とは全然違う。少しだけ乱れた髪、日に焼けた首筋、体にフィットしたジャケットが、先生の鍛えられた身体のラインをくっきりと浮かび上がらせている。かっこいい、なんて月並みな言葉しか出てこない自分がもどかしい。
「どうぞ」と先生が差し出してくれたのは、白いハーフキャップのヘルメット。わたしが受け取って被ろうとすると、「あご紐、ちゃんと締めないと危ないだろ」と言って、先生が自然な仕草で手を伸ばしてきた。カチリ、とストラップを留めてくれるその指先が頬をかすめて、心臓が大きく跳ねる。
「じゃあ、乗って。後ろ」
「は、はい!」
恐る恐るバイクの後部座席にまたがる。想像以上に高くて、視界が一気に変わった。
「しっかり掴まってろよ。落ちるなよ」
「は、はいっ!」
言われた通り、先生の腰にそっと両手を回す。ジャケット越しに伝わる硬質な感触と体温に、顔が燃えるように熱くなった。
エンジン音が一段と大きくなり、ふわりとした浮遊感と共にバイクが走り出す。
その瞬間、今まで経験したことのない強い風が、わたしを襲った。
「きゃっ!」
風の勢いでヘルメットがぐらりと揺れて、脱げそうになる。慌てて片手でヘルメットのてっぺんをぎゅっと押さえた。でも、そうすると身体を支えるのが片手だけになってしまって、カーブを曲がるたびに身体がぐらぐら揺れる。
うわあ、どうしよう! 片手でヘルメット、片手で先生の腰、もう片方の手はどこに置けばいいの!? って手は二本しかない! バーッともう、めちゃくちゃ忙しい!
わたしのパニックが伝わったのか、先生が少しだけスピードを緩めて、後ろを振り返らずに言った。
「山本さん、力入りすぎ。そんなんじゃ余計危ないぞ」
「で、でもっ!」
「俺に全体重かけるつもりで、身体くっつけちゃえよ。その方が安定する」
ええっ!? ぜ、全体重!?
そんなこと、できるわけがない。でも、このままじゃ本当に落ちてしまうかもしれない。
もう、どうにでもなれ!
わたしはえいやっと目を瞑り、思い切り先生の背中に自分の身体を預けてしまった!
ぴたっ。
広い。そして、温かい。
がっしりとした背中が、わたしの全てを優しく受け止めてくれる。さっきまでの不安定さが嘘のように、身体がバイクと一体になった気がした。
恐る恐る目を開けると、さっきまで見えなかった世界が広がっていた。
流れていく街並み。頬を撫でる風の心地よさ。先生のシャンプーの匂い。そして、わたしの腕の中で確かに感じる、先生の鼓動。
わたしはもう一度、ぎゅっと先生に掴まり直した。ヘルメットを抑える手も、もういらない。
先生の広い背中に顔をうずめながら、この道が、この時間が、永遠に続けばいいのにと、心から願っていた。
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