エピローグ 世界で最も価値ある投資先
フォルクマン商会の隊商が、予定とは違う、南へと続く安全な王家の街道ルートへと出発していく。
城門の上に立ったカイルは、その長い列が地平線の向こうに小さくなっていくのを、ただ黙って見送っていた。
やがて、隊商の最後尾が見えなくなると、彼は、張り詰めていた糸がぷつりと切れたように、体からすっと力が抜けていくのを感じていた。
(……よし。これで、デッドエンドは回避されたはずだ)
安堵。
心の底から込み上げてくる、深い深い安堵感。
それと同時に、どっと鉛のような疲労感が、彼の幼い身体にのしかかってくる。
未来を視て、それに介入し、人々の行動を自分の望む方向へ誘導するという行為は、彼の精神を想像以上に消耗させるらしかった。
まるで、前世で三日三晩、不眠不休でクリティカルなバグを修正した後のような、脳が焼き切れる寸前のような疲労感だ。
だが、彼の胸の中には、その疲労感を上回る、確かな満足感が満ちていた。
一人の少女とその家族の、笑顔と未来を守ることができた。
その事実が、彼の心を温かく満たしていた。
そして、運命の日から数週間後。
七都市同盟の一角、活気ある商業都市の一室で、クロエ・フォルクマンは衝撃的な報せに耳を疑った。
父グスタフの旧知であるマーティン商会の隊商が、ウルフモウ渓谷で壊滅的な被害を受けた、と。
その日時は、もし自分たちが予定通りに進んでいれば、間違いなくその場所に、その時間に、いたはずの日だった。
全身から、急速に血の気が引いていくのが分かった。
偶然ではない。
幸運でもない。
彼女の明晰な頭脳が、即座に結論を弾き出す。
脳裏に、あのヴァルモト辺境伯領での、出発の日の朝の光景が、鮮明に蘇る。
自分をまっすぐに見つめてきた、あの深い蒼色の瞳。
子供らしからぬ、全てを見通すかのような、静かで、真剣な光。
彼は、カイル・ヴァルモットは、この未来を知っていたのだ。
『カイル様……あなたは、一体何者なのでしょう?』
震える唇から漏れた呟きは、誰に聞かれるでもなく、部屋の喧騒に儚く溶けていった。
あの時感じた、彼の言葉の奥にある不可思議な説得力の正体が、今、はっきりと分かった。
彼は、ただの領主の息子ではない。
計り知れない、世界の理にさえ干渉するほどの「情報」という名の力を持つ、規格外の存在なのだ。
その瞬間、クロエの中で、恐怖や畏敬といった感情は、別の、もっと熱い感情へと昇華された。
彼女の蜂蜜色の瞳に、商人としての、燃えるような光が宿った。
それは、生涯を賭けるに値する、最高の「逸材」を発見した者の輝きだった。
この世界で、商人にとって最も価値のあるものは何か。
金か、宝石か、希少な産物か。
違う。
全て違う。
最も価値があるのは、「確実な情報」だ。
未来を知る力。
リスクを完全に排除し、リターンを最大化する力。
それは、どんな王の権威よりも、どんな大国の軍事力よりも、価値がある。
(カイル・ヴァルモット様。あなた様は、この世界で最も価値のある、最高の投資先ですわ)
彼女の中で、一つの、生涯を貫くであろう決意が固まった。
自分の商人としての全てを賭けて、この謎めいた少年の価値を最大化させる。
彼の行く道を、資金面で、情報面で、全力で支える。
彼の夢を、彼の目的を、実現させるための駒となる。
それが、自分の商人としての生涯の目標であり、命を救われたことへの、最高の恩返しになるはずだ。
この出来事をきっかけに、彼女のカイルに対する感情は、単なる友情や好奇心から、絶対的な信奉と、ビジネスパートナーとしての強固な意志へと、その姿を確かに変えたのだった。
二人の子供の出会いが、やがて世界の経済をも動かす大きな歯車となることを、まだ誰も知らない。
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