第3話 ユラフィリアの家

戦争の報せは日ごとに重くなるばかりだった。

 城の廊下には軍服の兵士が行き交い、執務室には見知らぬ政治家が詰めている。ローザはその空気に耐えられず、ほとんど自室で眠り続ける日々を送っていた。


「ユラんとこにでも行くか」

 ある朝、ナジカが唐突に言った。

「しばらく会ってねーし。おまえも外の空気吸ったほうがいい」


 その言葉に、ローザの瞳がぱっと明るくなる。

「ユラに……? ……会いたい!」


 まだ見ぬ希望を思い出したように。

 長い間、薄暗い寝台に沈んでいた心に、小さな灯火がともった。


 ――ユラフィリア・マステークス。

 ローザより百年以上も後に「呼ばれた」第二世代の第三子。

 人間の年で二十四歳、長い赤毛と黒い瞳を持つ青年。なぜか城には暮らさず、マリヤの寵臣の屋敷に置かれていた。


「どうしてユラは城に戻らないの?」

 かつて尋ねたとき、フェザーは首を傾げただけだった。

「マリヤちゃんが決めたんだよ。子育てに飽きちゃったのかなぁ」

 それ以上の答えはなかった。


 その理由を、ローザは知りたかった。

 同じ「アイスド・ローゼ」でありながら、なぜ自分たちと共に暮らせないのか。



 白い馬の背に二人並んで、町を抜けていく。

 ローザはナジカの背にしがみつきながら、久しぶりの外の光に目を細めた。

 街路の子どもたちが「ローザさまー!」と手を振ると、彼女も嬉しそうに振り返す。子どもたちは無邪気に、彼女を「同い年の仲間」だと思っている。


「……こういうの、好き」

 風を受けながらつぶやくと、ナジカが「だろ」と笑った。


 目的地は町外れ、閑静な屋敷街。政府の高官や王家の家臣が住む一角に、ユラの住まう館があった。



「ユラ!」

 門扉が開くなり、二人は子どものように声をそろえた。


 現れた青年は、赤毛を無造作に跳ねさせ、日焼けした肌に黒い瞳をきらめかせていた。

「おお、久しぶりじゃん」

 豪快に笑う声は、以前よりも低く、落ち着きを帯びているように感じられる。


「ユラ、また大人っぽくなった?」

 思わず口にしたローザの言葉に、ユラは眉をひそめた。

「バカ言うなよ、俺はもうとっくに大人だ」


 そのやりとりに、ナジカが吹き出す。

「確かに。ローザに『大人っぽくなった』なんて言われたらな」


 だが、ローザには確かに違和感があった。

 ユラの背中からは、以前は感じなかった影のようなものが漂っていた。

 笑顔の奥に、何かを隠している気配――。



 広間に通され、三人で薔薇蜜の茶を囲む。

「ここでの暮らしはどう?」

 ローザが尋ねると、ユラは「まあまあだな」と肩をすくめた。

「街の連中と混じって暮らすのも、悪くない」

「でも、ずっと城に戻らないのは……」

「戻らなくても困らないからな」


 さらりと言って、ユラは話を切った。

 だがローザは知っている。

 彼の手の甲に、細い注射痕のような跡が残っているのを。

 ほんの一瞬、袖口がずれて覗いたのを、彼女の瞳は見逃さなかった。


「ユラ……?」

「なんだよ」

「ううん……」


 問い詰める勇気は出なかった。

 ただ、胸の奥に小さな棘のような不安が残った。



 その日、三人は久々に笑いあった。

 庭で即興の音楽会を開き、ナジカがギターをかき鳴らし、ユラがベースを鳴らす。ローザは声を合わせて歌った。


 そのときだけは、戦争も血も忘れられる気がした。

 ユラの笑顔も、ナジカのからかいも、全てがあたたかい。


 けれど――。

 ローザは知っていた。

 あの笑顔の奥に、ユラが抱え込んでいる「秘密」があることを。


 そして、その秘密こそが、この後の運命を揺るがすことになるのだ。

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