第3話 ユラフィリアの家
戦争の報せは日ごとに重くなるばかりだった。
城の廊下には軍服の兵士が行き交い、執務室には見知らぬ政治家が詰めている。ローザはその空気に耐えられず、ほとんど自室で眠り続ける日々を送っていた。
「ユラんとこにでも行くか」
ある朝、ナジカが唐突に言った。
「しばらく会ってねーし。おまえも外の空気吸ったほうがいい」
その言葉に、ローザの瞳がぱっと明るくなる。
「ユラに……? ……会いたい!」
まだ見ぬ希望を思い出したように。
長い間、薄暗い寝台に沈んでいた心に、小さな灯火がともった。
――ユラフィリア・マステークス。
ローザより百年以上も後に「呼ばれた」第二世代の第三子。
人間の年で二十四歳、長い赤毛と黒い瞳を持つ青年。なぜか城には暮らさず、マリヤの寵臣の屋敷に置かれていた。
「どうしてユラは城に戻らないの?」
かつて尋ねたとき、フェザーは首を傾げただけだった。
「マリヤちゃんが決めたんだよ。子育てに飽きちゃったのかなぁ」
それ以上の答えはなかった。
その理由を、ローザは知りたかった。
同じ「アイスド・ローゼ」でありながら、なぜ自分たちと共に暮らせないのか。
◇
白い馬の背に二人並んで、町を抜けていく。
ローザはナジカの背にしがみつきながら、久しぶりの外の光に目を細めた。
街路の子どもたちが「ローザさまー!」と手を振ると、彼女も嬉しそうに振り返す。子どもたちは無邪気に、彼女を「同い年の仲間」だと思っている。
「……こういうの、好き」
風を受けながらつぶやくと、ナジカが「だろ」と笑った。
目的地は町外れ、閑静な屋敷街。政府の高官や王家の家臣が住む一角に、ユラの住まう館があった。
◇
「ユラ!」
門扉が開くなり、二人は子どものように声をそろえた。
現れた青年は、赤毛を無造作に跳ねさせ、日焼けした肌に黒い瞳をきらめかせていた。
「おお、久しぶりじゃん」
豪快に笑う声は、以前よりも低く、落ち着きを帯びているように感じられる。
「ユラ、また大人っぽくなった?」
思わず口にしたローザの言葉に、ユラは眉をひそめた。
「バカ言うなよ、俺はもうとっくに大人だ」
そのやりとりに、ナジカが吹き出す。
「確かに。ローザに『大人っぽくなった』なんて言われたらな」
だが、ローザには確かに違和感があった。
ユラの背中からは、以前は感じなかった影のようなものが漂っていた。
笑顔の奥に、何かを隠している気配――。
◇
広間に通され、三人で薔薇蜜の茶を囲む。
「ここでの暮らしはどう?」
ローザが尋ねると、ユラは「まあまあだな」と肩をすくめた。
「街の連中と混じって暮らすのも、悪くない」
「でも、ずっと城に戻らないのは……」
「戻らなくても困らないからな」
さらりと言って、ユラは話を切った。
だがローザは知っている。
彼の手の甲に、細い注射痕のような跡が残っているのを。
ほんの一瞬、袖口がずれて覗いたのを、彼女の瞳は見逃さなかった。
「ユラ……?」
「なんだよ」
「ううん……」
問い詰める勇気は出なかった。
ただ、胸の奥に小さな棘のような不安が残った。
◇
その日、三人は久々に笑いあった。
庭で即興の音楽会を開き、ナジカがギターをかき鳴らし、ユラがベースを鳴らす。ローザは声を合わせて歌った。
そのときだけは、戦争も血も忘れられる気がした。
ユラの笑顔も、ナジカのからかいも、全てがあたたかい。
けれど――。
ローザは知っていた。
あの笑顔の奥に、ユラが抱え込んでいる「秘密」があることを。
そして、その秘密こそが、この後の運命を揺るがすことになるのだ。
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