第5話しっぽのために



 青臭い葉っぱの匂いが立ち込めている。

 扉の向こうは花屋だった。

 閉店後なのか、入ってきたはずの扉にはシャッターが閉められている。 

 白い電気に照らされた壁や天井の冷たさが生々しく、もうここは魔法の世界ではなく紛れもない現実だと教えている。ついさっきまで白い草原を見ていたことが嘘みたいだった。


(嘘なんかじゃない)


 崩れたブーケの残骸がアキラの腕に抱かれ、右手にはふわふわを握っている。


(しっぽさんのしっぽだ)


 しっぽさんと出会ったのは嘘でも夢でもない。その証拠が自分の手の中にあること、アキラはわけもわからず胸が熱くなった。何故だか同時に泣きたい気持ちもこみ上げる。


(ここはどこなんだろう)


 そこは見たこともない花屋だった。

 アキラは店の奥へと進んでみることにした。

 お店の外に並べられる花が狭い店内に仕舞われ、見たことのない花が所狭しと並んでいている。花にぶつからないように慎重に歩きながら、アキラはキョロキョロと見回す。壁も天井も華やかで、大人の作った秘密基地に迷い込んだみたいだった。

 その時、突然声がした。


「アキラ」


 驚いて立ち止まる。

 それは何度も聞いたことのある声だった。

 恐る恐る声のした店の奥へと目線を移す。そこにはガラスのショーケースがあり、その脇のカウンターの向こうにその人ーー母親は立っていた。困ったような笑顔を浮かべて。


「アキラ、何をしているの?」


 しっかりと化粧をし、水色のシャツに黒いエプロンをしていて、腰には花用のハサミが下がっていて、どう見ても魔法使いではなく、花屋さんに見える。


「お母さん、ここどこ?」


 アキラはおずおずと訊ねる。


「パート先の花屋」


 そう言うと、母親は大きなため息を漏らした。


「ここにいるということは、勝手に部屋に入ったんだね」


「ごめんなさい」


 アキラは思わず俯いた。

 母親はしばらくアキラを見つめてから、


「今回は仕方がない」


 と、笑い交じりで答える。

 身構えていたアキラは力が抜けてしまった。もっと怒られると思っていた。約束を破って勝手に部屋に入り、母親のブーケを壊してしまったから。


「ーーお母さん、本当は花屋さんで、魔法使いではない?」


 あの世界を作ったのは本当に母親なのだろうか。ただの花屋さんなのではないだろうか。目の前に本物の母親が現れると、やっぱりアキラには普通のお母さんでしかなくて、何が何だかわからなくなっていた。 

 しかし、母親は静かに答えた。


「いや。私は悪い魔法使いだよ」

 

「悪い?」


「そう。人を惑わす悪い魔法使い」

 

「悪くないよ!」


 アキラは思わず顔を上げて叫んでいた。その勢いでブーケのパーツだった丸い葉っぱのユーカリがふたつ、みっつ、ポロポロと落ちた。


「ーーたぶん悪くないよ」


 アキラは現実逃避のためのあの世界にいる大人たちの顔を思い出す。どこかに影を隠した表情を。


(良い魔法使いに出会った人の顔じゃなかった)


 それでも、悪くないとアキラは思いたかった。それは願いに近い。

 母親が悪い魔法使いだったら、しっぽさんの存在も悪になってしまう気がして。


「ブーケ、壊れたんだね」


 母親がアキラの落としたブーケのパーツを拾う。


「まさか、あの子が自分でしっぽを折るなんて」


「見てたの?」


「見てなくてもわかる。私が作ったブーケだから」


 母親の声はとても静かで、嘘をついているようには見えない。


「アキラがここに来たのは、ブーケが私のところへ送り届けたということなんだよ」


「でも、家の2階のお母さんの部屋から入ったのに。なんでここにつながったの?」

 

「それはーーすぐにアキラのもとに帰れるようにって作ったから。アキラが赤ちゃんの頃に。うちと職場をつなぐ魔法の扉。でも、アキラが間違って入ったら危険でしょ? それで鍵を作った」


「それが、ドライフラワーの鍵?」


「そう。あれがないとドアは開かない。つまり、あの子が人に化けている間は、入ることは絶対にできない。ドアが閉じてさえいればね」


 でも昨晩、ドアは少し開いていた。だから入れたのか。


(しっぽさんが開けたのか)


 アキラはキュッと唇を噛む。

 

ーー友たちになりたかった


 しっぽの最後の言葉が胸の中で熱く灯っている。


「お母さん。これを使って、もう一度ブーケを作れる?」


 アキラはしっぽのしっぽだったふわふわを母親に差し出す。


「これ?」


「そうしたら、あの子はもう一度現れる?」


 アキラの一言で母親の顔が曇った。


「ーーそうね。できなくはない。でも、それは良くないこと」


「どうして?」 


「魔法に頼った大人を見たでしょ?」


 アキラは魔法の世界で見た大人たちを再び思い出した。現実から逃げ、偽物の世界に閉じこもった人たちを。その大人に殴られて、倒れても泣くこともできないしっぽさんの背中も。


「それに、あの子は人間じゃないんだよ?」


「それでもまた会いたい」


「アキラ。実体のないものにすがっても何も残らないの」


 普段なら母親の厳しい声に普段ならひるんでしまっただろう。でも、今は違った。


(手にしっぽを持っているから)


 アキラは母親から目をそらさなかった。

 

「何も残らないなんて、まだわからないよ」


「でも、良いことではない」


「良いか、悪いかなんて。お母さんが決めないで。答えは僕が出すから」


 アキラの熱視線を受けて最初は困ったまま黙っていたけれど、やがてクスクスと笑い出す。それは決して嘲笑ではなく、降参の証だった。


「仕方ないね」


 今度は目を輝かせて母親を見つめる。


「いいの?」


「いいよ。さあ、材料を渡して」


 アキラは壊れたドライフラワーのブーケを母親に渡す。


「ごめんなさい」


 母親は小さく首を振った。


「いや。お母さんもアキラに甘えていたんだろうね」

 

 それは意外な言葉だった。


「甘え?」


「うん。魔法使いのことは誰にも秘密。なのに、アキラには話しているから」


「お父さんは知らないの?」


「知らないよ。話したら即離婚する。すべての記憶を消す覚悟」


 心臓が冷たくなる。

 嘘をつかず、何もかも正直に話してしまえばいいーーそんな秘密もあるなんてアキラは知らなかった。


「お母さんが弱いから、アキラにだけ秘密を打ち明けてしまった。ごめんね」


「でも」


 アキラは自分の母親が魔法使いだなんてずっと信じていなかった。こんな風に言われると心がちくっと痛む。


「まだブーケのパーツに魔法が残っている。このパンパスグラスがあれば、もとのあの子に戻る」


 そういうと、母親はふわふわをアキラに手渡した。


「このふわふわってパンパスグラスっていうの?」


「そうだよ」


 アキラは自分の手で揺れるふわふわを見つめた。彼女は消えてしまったわけではない。そうわかってホッとしていた。


「また、あの子に会いたいの?」


「会いたい」


 アキラは間髪入れずに答える。食い気味の返答に母親から自然と笑みがこぼれ落ちる。


「もう一度ドライフラワーでブーケを作ります。そして、月に一度だけあの部屋に入っていいことにしましょう」


「本当?!」


「でも。もう勝手に部屋に入らないこと。お父さんには秘密にすること」


「わかった。守る」

 

 アキラは強く頷く。

 今、不思議と何も怖くなかった。


「そろそろ帰ろうか」

 

 母親はそういうと、店のシャッターを開けた。冷たい夜風が頬を撫でる。風は街の匂いがして、魔法の世界がまた遠くなる。

 母親が店じまいする間、アキラは花に囲まれて待った。

 手にはまだ、ふわふわのパンパスグラスを握っている。


(もう一度しっぽに会いたい)


 アキラにはその思いを止めることができなかった。それが例え、良くないことと言われても。

 

(まだ、ありがとうを言っていない)


 だからもう一度会うと決めた。鍵でもナイトでもない、友だちになるために。しっぽのために。

 店内の電気が消え、身支度を終えた母親が現れる。


「家に帰りましょう」


「これ。持って帰ってもいい?」


 アキラはパンパスグラスを母親に見せて訊ねると、


「今日だけね」


 と言って頷いた。


 それから、母親とアキラは2人そろって店の外へ出る。夜なのに明るい都会の街並みが続いている。

 鍵を閉めた母親が歩き出した。アキラはその後ろについていく。


「駅まで歩くよ」


「お父さんには何て説明するの?」

 

 いつもならもう寝ている時間にアキラと帰ってくるなんて、日常にはないことだった。


「定期を忘れて、財布もないから駅までお金を届けてもらったってことにする?」


「うまく誤魔化せるかなぁ。一瞬で家に着く魔法はないの?」


「そんな都合のいいものではないよ。それに、楽するために使ったらいけません」

 

 諭すように答える母親の背中を追いかけながら、アキラは投げかける。 


「やっぱりお母さんは悪い魔法使いなんかじゃないよ」


「えっ?」

 

 驚いて振り返った母親は困惑した顔をしている。

 

「でも、良い魔法使いでもないかも」

 

「正直ね」


 母親は優しく笑う。アキラも思わず微笑んでいた。

 

 


 



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しっぽのための物語 花田縹(ハナダ) @212244

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