第4話 さよなら、しっぽさん
何も喋らないまま森を抜けると、視界いっぱいに金色の菜の花畑が広がった。
「眩しいくらい菜の花だ」
アキラは思わず声を漏らす。
「これ、小松菜の花だね」
しっぽが菜の花を見つめて呟く。
「ホントだ。葉っぱが小松菜だ」
アキラが返して、二人はようやく話すきっかけを見つけることができた。お互いにホッとして、足取りも軽く花畑の真ん中を突っ切っていく。
「臭いね」
「菜の花って意外と臭うね」
畑を抜ける頃には服に花粉が着いていた。そんなこと気にもせず、二人は歩き続ける。
「金曜日さんはどこ?」
「いない。今は空き。新しいお客様を待ってる。月曜日と金曜日があいているの。でも予約は入っているから、今週中には誰か来る」
しっぽのしっぽがゆらゆらと揺れる。
「外の世界はツライことがたくさんあるのね。それでも、わたしは外に行けたら仲間を作りたい。お金を払ってまで、こんなところで一人きりなんて嫌」
「しっぽさんには、仲間はいないの?」
「いないよ。ここにはわたしひとり」
「こんな広いところに?」
「うん。一人ぼっち」
「寂しい?」
「寂しいよ」
「じゃあ、ずっとここにいるよ」
アキラの言葉に、前を歩いていたしっぽがピタリと足を止めた。ふわふわのしっぽが、風もないのに小さく揺れる。
「ぼく、ここで暮らす」
しっぽが振り返る。目がまん丸になっている。
「それ、本気で言ってるの?」
「うん。本気だよ」
アキラの目はまっすぐだった。もう迷っていない。
「だめだよ」
しっぽは笑おうとしてーーでも、うまく笑えなかった。
「ここは、誰かが一人になるための場所なんだよ」
冷たい風が吹いて、菜の花が一斉に揺れる。こんなに鮮やかな金色なのに、ここはどうしても物悲しい。
「一人になりたい人を、ずっと見てきたの。でも、アキラには……なってほしくない」
「別にいいよ」
アキラは力強く答える。
「しっぽさんがいるなら大丈夫」
アキラの言葉に、しっぽの目が潤んだように見えた。
でも彼女は首を横に振る。
「アキラは帰らないと」
「ぼくが帰ったらしっぽさんはどうなるの? ここで一人きりになってしまう。殴られても泣くことさえできないここに、しっぽさんを残して帰れない」
アキラはできるだけ大きく笑った。
「しっぽさんと一緒に、ここで暮らすよ。大丈夫。お母さんが作った世界なんだから」
「典子に怒られるよ」
「怒られてもいい。ぼくにはナイトもいるから」
「ーー違うの」
しっぽは顔をしかめている。
「私、ほんとはナイトなんかじゃない」
「どういうこと?」
アキラの問いに答えず、しっぽは歩き出した。再び黙ったまま先へ進むと、いつの間にかまた白い草原、しっぽとアキラが出会ったところへ戻ってきたようだ。
月が間近に見える。手を伸ばせば届きそうなほどに。
地面を見ると、ミモザがちらほら落ちている。
「戻ってきちゃったね」
しっぽは悲しさを隠しきれないまま、それでもニッコリと笑った。
ミモザの落ちている場所に、銀色の何かが見える。近づいてみると、取っ手のような金具があった。まるで宙に浮いているみたいに。
「これドアノブ?」
二人は顔を見合わせる。
そして、アキラが恐る恐るノブを回してみるけれど開かない。
「鍵がかかっているみたい」
アキラはどこかホッとしていた。
暖かく、少し湿った風が吹いて、しっぽのしっぽを柔らかく撫でていく。
「ドアは開けない。だって、鍵がーー私がここにいるから」
「鍵?」
「私ね、ナイトのふりをしてただけで、ほんとは……ほんとはドアの鍵なんだよ」
アキラには意味がわからなくて、どう言葉を返せばいいか、答えが見つからない。
「アキラが間違って入らないように、ドアにかけられてたブーケの一部。それが鍵」
「ブーケが鍵なの?」
「うん。アキラをこの世界に入れないための鍵。私がいれば扉は開かない。それなのに、勝手に飛び出して、アキラに会いたくなって……鍵なのに、外れてしまった」
アキラはしっぽの目を見つめたまま、何も言えなかった。
しっぽは、自分の腰に手を伸ばし、ふわふわのしっぽをゆっくりと引き抜いた。
優しい風に揺れていた。
「これが、鍵。これをかけたら……扉が戻るの」
「でも、戻ったら……」
アキラが言いかける。
「うん、私もブーケに戻る」
しっぽは小さく微笑んで、ささやいた。
「ごめんね。でも、これがわたしの役目」
しっぽが、銀のフックに「鍵」をかけると、世界が少しずつ滲んでいった。
「アキラ、じゃあね」
「いかないで!」
アキラは叫んでいた。
「魔法を信じる。お母さんのことも。怒られていい。だから、いかないで!」
しっぽは一瞬驚いて、それから涙をポロポロ流した。
「ごめんね」
涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すこともなく、しっぽはアキラを見つめていた。
「友だちになりたかった」
しっぽの声をかき消すように強い風が吹き抜け、滲み出るようにドアが現れた。
そして、風がやむと、もうそこにしっぽはいなかった。
地面に、崩れたブーケだけが残されている。
アキラはしゃがみこみ、花をひとつずつ拾い集めた。
指先がふるえていた。涙は、出なかった。
最後に残った、ふわふわのパーツに手を伸ばしたとき――
扉が、静かに、音もなく開いた。
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