第1話 出会い
陸上との出会いは、走司(そうじ)が小学校に転校してきたことがキッカケだ。
それまで、誰も陸上競技の事を知らなかった。
転校してきて見せてくれた最初の100m走は、これまでグループカースト上位で、覇権を握っていたサッカークラブの子と野球チームの子が圧倒的な速さで追い抜かれていく姿だった。
それまで、誰一人として彼らに勝てなかった我々が度肝を抜かれた瞬間だ、今でも鮮明にまぶたの裏に残っている。
それ以降、走ることに取り付かれたかのように男女入り混じって鬼ごっこがブームになった。
走司はその鬼ごっこでも圧倒的な速さを見せた。
しなやかで、どこまでも伸びてくるストライド、鬼ごっこだというのにありえないほどのしなやかな走り。
我々は視線が釘付けだった。
もうその時点で中学生になったら陸上をやる、やらなきゃいけない、とまで思っていた。
それほどまでに走司の走りは芸術作品のようで、小学生ながらにその美しさに惚れ込んだ。
『走司の見ている景色を見てみたい』と心から思い、願った。
小柄な俺は、ちょこちょこと走るピッチ走法だ、ということを走司に教えてもらった。
走り方にも種類があるのだ、驚いた。
腕の振り、脚の運び方、全てを全く知らない世界で、1秒を削り出していく、そこにロマンと憧れを感じた。
そうして中学に入学し、走司とも同じクラスに、同じ部活に入った。
同じ小学校からは5〜6人が入部した。
誰もが走司の影響で陸上競技の世界にのめり込んで行った。
入ってすぐに大会があった。
もちろん出るのは100m。
何もかもがわかっていないまま、走り出した。
青空の気持ちのいい天気だった。
風も少なく、コンディションとしては抜群。
中学一年生だ、体もまだみんな未熟で、声変わりの時期だった。
低かったり高かったり、そんな幼い我々にまずぶち当たったのが14秒の壁だった。
トントン拍子で走司や同期の岡田と平岡は軽々とその壁を跨いで行った。
焦った、同じトレーニングメニューをしているのに、なぜこんなに自分と差があるんだ?と足りない頭で考えていた。
続々と14秒の記録は皆が軽々と超えていった。
そこからだ、速く走るやつをとにかく羨ましく思い、憧れていった。
走司は簡単に13秒まで届き、他の種目にも手を出し始めていた。
先輩の小柄で筋骨隆々、ザ・スポーツマンの岡部は、小柄な俺をみて「筋トレをしよう、身長が伸びることは今後ないから、筋肉で勝負しよう」と言った。
盲目になっていた俺はなに一つない知識でひたすらに筋トレを行った。
無理のない範囲で、なんてことは行わなかった。
闇雲にガムシャラに、毎日毎日走った後筋トレをしていた。
(今ならわかる、あれは怪我しか生まないやり方だった)
現代ではわかるように、正しくない筋トレはただの怪我に繋がる。明白だった。
夏場はスプリント能力を上げるためにただただ走った。
坂道ダッシュ、100m連続10本だったり、目標とするタイムを設定し、それが終わるまではトレーニングが終わらない。
それらがあまりにキツすぎて、吐くまで練習が終わらない、そんな古い風習もあった。
吐くほど走った、だが、気づけば走ることに取り憑かれていた。
坂道ダッシュのあとに「しんどい〜!」と走り熱熱の地面に寝転んだが、暑さも気にならないくらい倒れたままでいたかった。
次第に、誰かが水!と叫んで蛇口まで走って水の掛け合いをした。
冬場は心肺機能強化のために長い距離をひたすらに走った。
冬場の校庭だ、とても寒くて、少し汗をかいただけで自分の体から湯気が出るほどだった。
冬場に「タバコ〜」と言いながらスーッと息を吐く様は、この中学ではブラックジョークとして使われていた(吸っている先輩はいた)
この時点で、自分は短距離の選手ではなく、中長距離を走った方がいいのではないか、と気づいた。
ただ、そうもうまくいかない。
スポーツ喘息を患い、長い距離を走ることができなかった。
思えば、病院に通い、中長距離に転向していれば結果は違ったかもしれない。
それでも、冬場のトレーニングは楽しかった。このトレーニングが100mに活きてくるのだ、と考えると春のシーズン開幕が待ち遠しくて仕方なかった。
ただガムシャラに走った。
すると、膝の怪我をした。
走り方の問題で膝に変な負担がかかっていたようだ。
全治二週間、と言われたが我慢できずに一週間で練習復帰をした。
当然、膝は悲鳴をあげ、結果そのまま怪我を引きずることになる。
二年生として、シーズン開幕までには怪我が治りきったが、それでも不安があった。
まずは13秒。それを切れば、都大会に少しは近づける。
幼馴染の平岡が上級生リレーに選ばれたことで、繰り上がりで俺は一年・二年合同リレーのメンバーに入ることができた。
願ってもないことだった。リレーに憧れていた俺にとって、それは夢の舞台への切符のように思えた。
2008年のオリンピックで、日本は銅メダルを取った。
あの瞬間をテレビで見て、胸を焦がした。
俺たち陸上部にとって、それは確かに追い風だった。
──けれど、現実は残酷だ。
リレーのバトンを握った瞬間、夢が砕ける音が、確かに俺には聞こえた。
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