吹いてくれ、追い風

@hsgww

プロローグ


鼓動がドクドクと俺の体を脈打つ。心臓が破裂しそうだ。

静寂のトラック、スタートの合図の破裂音をただ待つ。

その間、10秒もないのに永遠のように感じる。

そのフラストレーションに耐えきり、破裂音がすれば、あとは10数秒間、全身の筋肉を唸らし、前へ、前へと走り出していく。

誰がこの組で一番速いのか、それは30秒しないうちにわかる。


この大会のために何年もかけて練習を積み重ねてきたのだ。

ほんの10数秒の世界で生きていくために、何年もかけて、調整してきたのだ。

思い返せば、疲労骨折や捻挫があった。

ここまで辿り着くまでに数え切れないほどの挫折と苦労を重ねたのだ。

テーピングを巻いた脚は、どこまで俺の期待に応えてくれるだろうか。


男子100m。アスリートたちがほんの10数秒の為に血反吐を吐くような努力をしてきたのだ。

スゥ、ハァと隣のレーンの男の呼吸すら聞こえる。

静寂に包まれたこの異常な空間で、それはノイズでしかなかった。


邪魔をしないでくれ。

自分の世界に入り込み、そこから爆発的に全員が一直線を走り、競い合う。


高校生とは言え、筋骨隆々な体の持ち主たちが、我先にと、前へ、前へと駆け出していく。

ものすごい迫力のある種目。

それが男子3年、100m。


この大会は全国大会への切符を掴むためにある。

中学生の頃は一度も個人で都大会に出たことのない俺にとって、高校生になり、全国の出場権を目の前に吊り下げられた状態まで到達することができた。出場権を得るために、ただガムシャラに走るしかないのだ。


小柄な俺は、小柄なりにできる最大限の努力をしてきたつもりだ。


信じて、深く呼吸し、合図を待つ。

体の重心はどうか、スパイクはちゃんとブロックの上の正しい位置にあるか。

不安が全身をかき乱す。

0.01秒を削り出す。

1mmが決定的な勝敗の差を分ける。


そんな、変態的な世界に俺はいるのだ。



怪我の影響もあったが、決勝までの標準記録にこれまでに辿り着いたことがない。

11秒の壁は厚かった、だが泥臭く練習してきたことでその壁は乗り越えることができた。このトラックで、何か奇跡を起こしてほしい。このトラックの中では掃いて捨てるほど決勝のレーンに立てない選手たちがいる。


正直に、俺は標準記録に達する走りはできていない。

全国大会なんて夢物語だ。


神様、俺に爆発的ななにかは起きませんか。

スポットライトを浴びてこなかった俺を、照らしてくれますか。


スウッと息を吸い、手元に視線を移す。

フゥッと吐き出し合図を待った。

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