第3話

 目が覚めた。全身から汗が吹き出るのがわかる。薄目を凝らすと、傍には神妙な無表情でわたしを覗き込む『君』がいた。背中に感じる生温さは先程目覚めたときと同じ。朦朧とする意識の中、かろうじて左手で掴んでみた砂の感覚から場面変わらずを察する。

 どうやら果てない荒野から脱出できたわけではなく、失った意識を取り戻しただけらしい。その情報が、そもそもこの世界は夢じゃないということを裏付けてしまう。仮に夢だとすれば『君』の正体が意味不明すぎて考え込む羽目になったろうから、現実で良かったとも言えるが。

 しかし、謎が増えた。なぜか身体が芯から重く、目の焦点を合わせることさえ億劫である。声を出そうとすると喉の奥がじんわりと焼けていくようで、


「記憶が戻った」


 実際にこぼれたものは低く虚ろだった。


「ほう」


 出来損ないの声に対応した『君』に若干朗らかな雰囲気が戻る。案外心配していたのかもと思えば、悪い気はしない。しかし、全身汗ばんだ不快感を押しのけられるほどの愉悦はなく、ただ身じろぎで背中を掻く。


「良かったじゃないか」

「でも」


 戻った記憶は六歳のあのときの思い出と、それまでのこと。わたしにはまだ六年分の厚みしかない。加えて、幼い頃の記憶なんて曖昧なものだから、明確なものだけで勘定すればもっと薄っぺらいはずだ。


「満足のいく収穫はなかった?」

「ん……ま、ちょっとだけ」


 基本ステータスが判明したのは良かったと言える。名前、出身、血液型、少なくとも六歳時点での家。

 あと、兄。『君』が吐いた情報に含まれていた気もするが、感覚として取り戻せたことでわたしの背景は具体的になった。

 サッカーをしていたこと、そこに関連付けられる友達の存在、加えて子供なりに確立した価値観があったらしい。『君』の思惑通り自分に回帰していることは若干癪だが、論が間違いではなかったために舌を巻いてしまう。結局は、『君』がキーパーソンで間違いないのだ。


「君は、あのサイダーで記憶戻るとわかっていて?」

「いいや。ただ、あなたがあれに特別な思い入れがあることだけ」


 本当かな。声には出なかった。なにせ、身体がだるい。

 体勢を変えることさえままならない内に突然目頭が熱くなり、しまいには溢れた。耳元まで到達してぎょっとするが、見上げていたために涙はこめかみを辿り、中の浸水は免れてほっとする。いや、涙はなんで。


「まるで赤ん坊だ」


『君』はからかいと呆れの半々でこぼす。赤ん坊だって理由があって泣くわけで。今現在思いつける理由といえばこの倦怠感と背中の痒さという程度だが、大人がその程度で号泣していては情けないが過ぎる。


「ははっ」

「笑いごとじゃねー……」

 

「記憶喪失から元に戻ったらこうなるもん?」

「一般論としてはそんなこと無いと思う。が、現にあなたがこうなってるということは、あなたは特別だね」


 そんな特別ならいらないかな。

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