第2話
「まずは服屋に行きたいな!」
「あると思うかい」
「小ボケは小ボケであると見抜ける人でないとうんぬんかんぬん」
太陽は遠慮というものをさらさらに知らないようで、わたしたちの脳天をちりちりに焼く。もう時期、ロースト人間(言わずもがなローストビーフの人間ヴァージョンである)になれそう。冗談じゃない。
砂意外に何も見つからない平らな地を、かれこれ一時間ほど肩を並べて歩いている気がする。立ち上がってみると『君』は存外背が低かった。やはり歳下なのかもしれない。どうであれ、今重要なことではないが。
果てない単純作業を知らない少女と二人きり。体感時間で一時間は、もしかすると5分にも満たないのかもしれない。
何より特筆すべき、この全裸。初めこそヴィーナスの誕生さながらのしめやかさでしとしと歩いていたが、灼熱に大敗を喫してゴヤの巨人である。
「あれ、本当はゴヤの弟子が描いた絵なんだそうだよ」
「君は他人の心を読めるんです?」
「あなたが声に出していたんです」
「うっかりさんこと、わたし」
「せっかく二人でいるんだ。独り言は止して、私と仲良くしてくれ」
元々、独り言のつもりなど無かったのだけど。しかし、親睦を深めようという提案には賛成だ。重苦しい気まずさの中では、体感時間と時計との乖離が広がるばかりである。それが一概に悪いことだとは言い切れないが、しかし記憶喪失全裸ガールという特異さに時間の感覚が異常というキャラ付けまでされると、完全に変人サイドに行ってしまいそうだ。正常な部分も持っていたい。
「てっきり、とっくに変人サイドの幹部に就任しているものだと思っていたよ」
「読心すなー」
「だから言ってるんだよ、自分で」
記憶喪失全裸モノローグとセリフがごちゃ混ぜになってるガールこと、わたし。ガールにはカッコ仮が必要かもしれない。あたしぃ、年齢不詳ガールなんでぇす☆
……なんだか、自分で年齢がわからないうちから『年増若作りキャラ』を演じてしまっているのは反省すべきことかもしれない。
ちなみに、これはちゃんとモノローグできてる?
「ガールのくだりから、ずっとできてないな」
モノローグやめたほうが良いかもとか、思ったり。
「同感だ」
「よし、お喋りしよう」
「記憶は戻りそうかい」
「いきなり重いなぁ。こういうときはまず天気の話って相場が決まってるんだよ、たしか」
「それは本当に話題が無いときの切り札だろう。記憶は戻りそうかい」
「あっついなぁ、喉乾いたなぁ」
「まさかこの砂漠にコンビニがあるとでも思っているのか。ちなみに、戻りそうかい」
「……記憶の話題を乗り越えないと次に進めないタイプか。ちなみに、今のところは兆候すら感じられません」
「よくそんな状態で焦らずにいられるね」
「うーん…………。てきとーなこと言ってみるけど、マイナス×マイナスみたいなことなんじゃないかな」
「普通、足し算だと思うが」
「案外そうでもなくてさ。遭難したら温い家に帰れない怖さがあるかもだけど、記憶が無いとそもそも家の像が浮かばない。帰りたいと思わないから、怖くない。記憶喪失は周りと噛み合わないことが恐怖だと思うんだけど、こんなに何も無いところじゃあ噛み合うとかそれ以前の問題じゃん。まあ、怖くない」
「嫌に冷静だが。……つまり、思考停止しているだけなんじゃないのか」
「や、まあね。否定はしないよ。このままで良いとも思わない。恐怖心が無いと、きっとすぐに死んじゃうし」
「………………ふぅん」
「しっかしなぁ、思考するだけの情報が無いんだよねぇ」
「うん?」
「誰かちゃんがなぁんにも教えてくれないからさぁ」
「18歳女性家族構成は父母兄猫猫中高帰宅部好きなタイプは歳上の背が低い女性活字が苦手で数字にちょっと強い」
「だ?! 何って?!」
「これだけあれば、思考できる?」
「うーんとね、全然聞き取れなかった。ワンモア、ワンモアでお願いします!」
「今ので喉乾いたからもう喋りたくないな」
「お喋り提案したの君だし」
「そこの自販機で何か買ってきてくれたら喋りたくなるかもなぁ」
「パシリかよ〜、んもしょうがないな、何飲みたいか教えて、そこの自販機で買ってくるから…………ん? 自販機?!」
「素晴らしいノリツッコミに、感服せざるを」
「いや、なぜ」
「砂漠にも自販機くらいあるさ」
「普通は無いさ! というか、どっから電気が通って……」
「さあ……乾電池でも入ってるんじゃないかな。ともかく深く考えてはいけない、ここはそういう世界だ」
「どんな世界だ。思考させろー」
「さっさと買ってきてくれ。テキトウなのを、あなたのセンスで選んでくれたらいいから」
「センスて」
「記憶を取り戻す唯一の鍵である私の言うこと、従っておいた方が丸いと思うが」
「行けばいいんでしょ、行けばぁ!」
水分補給をしたら、モノローグが復活した。
「変なシステムすぎる」
「喉が乾いて意識が朦朧としていたんだろう」
それにしてはハキハキと喋っていた気がする。『君』には無難に水のペットボトルを渡したが、額に付けるだけで飲もうとせず。
「私、ただの水は好きじゃないんだ。あげるよ」
「水素水であるとか、アルカリイオン水であるとかじゃなきゃ嫌です?」
「水から離れてくれ」
そうして『君』から水を返却されたため、わたしが選んだグレープ味のサイダーには一旦手を付けず、一息で飲み干した。
水が手に入ったため結果オーライではあるが、砂漠の緊急事態にジュースを選んでしまう辺り、わたしは案外どうしようもない人間なのかもしれない。真新しい紫色水溶液を太陽に透かすと、結露して溜まった水滴がいくつか額に落ちて冷涼を感じた。
僅かに感じた違和感は、正座して全身に自販機の影を纏う『君』の声で露と消える。
「そのなりでお金は持っていたんだな」
「いや、それがさ」
試しに、自販機のボタンを押す。お金は入れないままである。であるのに、ガコンって。もう一度押したら、またガコンって。
「うわあ窃盗罪」
「人聞きの悪い」
わたしという人間は機械の故障にかこつけて盗みを働くような下衆な人間ではない、そう信じたい。同時に、緊急事態なんだから許されたいとも思う。そもそも、全裸を咎められていない時点でこの程度不問であるだろう。
空のペットボトルとグレープサイダーを一旦置いて、今出した二本の麦茶を取り出す。そして彼方を見つめ呆けている『君』へ振り向き。
「ほうっらっ」
「いぇーいいぇい」
一方では頭上を、一方では彼女の右側を通り過ぎようとしたペットボトルを、片手ずつノールックで器用に捕まえた。少しだけ一緒に過ごしてわかったが、彼女は存外器用だ。手先だけの問題ならばまだしも、内面的にも底知れないものがあるため油断ならない。
『君』は麦茶のラベルを眺め、わざとらしい微笑の後、その顔をこちらに向けた。能面にさえ見えて、背筋を落ち着かないものがうねる。目が合うとすぐ、その顔にはだらしない笑顔が載っかった。一連の流れが妙に艶っぽく、今度は胸骨の下のあたりが落ち着かない。
しかし、口を開けば酷いものだった。
「麦茶もあまり好きではないんだ」
「わがまま駄々っ子」
「輪切りのオレンジが載った紅茶、それしか飲みたくないな」
「あるわけねーぇ……。あ、アップルティーならあるよ」
「じゃあ、それでいいよ」
じゃあって何だ。君はお嬢様なのか。
あり得なくもない話だと思う。所作が丁寧だし、どことなく偉そうだし、顔が超可愛いし。顔はあまり関係ないかもしれない。ガコン。
「ほらっ」
「はい」
両手の麦茶を降ろさず、奇跡的なバランスでアップルティーを挟み込んだ。シガーボックスさながら。彼女がもし大道芸人なのだとすれば、口の上手さと器用さにも納得がいくかもしれない。
「ジャグリングとか得意な方?」
「やったこと無いけど、多分できるよ。手先が器用なんだ」
言いつつ、ボトルを一本ずつ空へ放る。
「いや、早く飲んでくれなきゃ」
言っている内に、ペットボトルは互い違いに行き交っていた。高く上がらないため軽やかではないが、確かにジャグリングの仕草ではある。器用という自己評価との齟齬は感じられなかった。
あろうことか、『君』はそのまま立ち上がってリフティングを始める。サッカーボールは一定の高さを維持し、絶妙な塩梅でジャグリングを妨害しない。日向に出たくないのかあまり派手に動かないが、それも優れたコントロールさまさまだろう。思わず見惚れるが、しかしその非現実的さには懐疑的になってしまう。
「器用というか念能力があるのでは」
「さっきから、人を超能力者みたいに言わないでくれ」
なぜ涼しい声でお喋りまでできるのか。
キリがないかのように見えた大道芸は『君』が3本のペットボトルを腕の中に収めたことで終わりを覗かせ、最後はかかとで蹴り上げたサッカーボールがわたしの胸に着地したことで終止した。受け止める際にグレープサイダーを持つ指が滑り、生足指に撃墜。痛くて屈んだとき、ボールは依然として腕の中にあった。
そして、ようやくまともに目が合う。新たな衝撃に痛みを一瞬忘れた。
「このサッカーボール、どこから湧いて出た?」
なんだこれ!
「遅いな」
「君はおかしいってことに気がついてたの?」
「なんだこれ! と思いながら蹴っていた。もしかすると爆発物の類かもね」
抱えてる場合じゃない、と意識するより早くボールを蹴飛ばしていた。蹴飛ばしてから、衝撃を与えるのはマズかったのではと思い至り動悸がした。サッカーボールは幸い爆発することなく、数十メートル先まで放物線を描いた。拾いに行くのが億劫なところまで飛んでいったが、今はそんなことよりも素足でこの飛距離を出せる自分の才能に痺れてしまう。
「わたしも結構器用だったりします?」
「…………染み付いているだけさ」
「え? どういう」
「あのボールをまた触ってみればわかるかもね」
またもや、意識に先行して走り出していた。
サッカーボールの表面を幾度擦ってみても、記憶に厚みが増す気配は無い。風に翻弄されるボールを追い続け、疲労困憊した成果がこれなのか。不貞腐れを表明すべく、あぐらをかく。
触ってみれば何かがわかると、彼女は言ったのに。
唯一のランドマークであった自販機は地平線の彼方へ消失したため、切羽詰まってしまったし。
「私はわかるかもね、と言ったに過ぎない」
「ひっ」
数本のペットボトルを抱えた『君』がどこからともなく現れ、即席な窮地は脱する。しかし、不貞腐れは継続。どう考えても『かも』の効力を過信している。差し迫った状況にいて、そんな二文字を正確に認識できるわけないというのに。『君』はむくれるわたしを見下ろして、若干眉毛を上げた。そして、目を逸しながら片手で頬をかく。
「なに」
「裸にサッカーボールだけって、ちょっとね……」
「ドン引き?! さっきまではサッカーボールさえなかったんだぞ」
「その、申し訳程度の装飾が全裸を引き立てているように見えるな」
スイカに塩みたいな仕組みで、どうやら変態的らしい。不可抗力ではあるが、客観視すれば確かに変質者かもしれない。羞恥ポイントがにわかに上昇する。ボールは横に置いて、三角座りで守備を固めた。
やはり服。記憶より一旦服が必要である。記憶により服が手に入るというなら、記憶を求める。記憶が先か、服が先か、ともかく服のためなのは間違いない。
「というか、あなたは何故服を着ていないんだい?」
「わたしが知りてぃよ……。君は、君はなんで服を着ているんだよ、逆に聞くけどさぁ」
我ながら変な問いだと思う。
「暴力的な陽の光で覚醒したとき、頭の直ぐ隣にワンピースとサンダルだけが置かれていた。だから、そういうものだと思ったんだが。あなたを見ている限りそうでもないらしいな」
諸々、不公平を感じる。『君』は裾を摘んで見せびらかすようにひらひらと振った。憎たらしい、と同時にとある思考に行き着く。
ワンピースとサンダルだけが置かれていたという。
翻る裾から目を逸らせ、と何者かが警告する。何者は当然わたしなのだけど、しかし妙に他人事な感覚に包まれる。おそらくは、主観で受け取ると刺激が強すぎるゆえの自衛なのではないかと思う。
「あんまひらひらしない方が良いんじゃないかな?!」
「全裸のあなたに忠告されるとは思わなかったな」
「ただのスイカより塩振ったスイカが甘いんです」
「何を言っているんだい」
「さあ?」
「モロ見えよりもチラリズムの方がフェチいとか、そういう話では無いよな」
「わかってるじゃないかっ」
「変態」
不服。不服申立て。無服で不服。『君』は心底いやらしく(意地悪という意味合いで)笑って、しかしわたしから数メートル離れていった。ちゃんと引くんじゃない。目のやり場ができて若干助かった気持ちは正直あるものの。
うつむいてふっと息を吐いた瞬間、『君』が何かを呟いた。聞かせないための声量とも取れるそれをわざわざ聞き返さないと気が済まないわたしは、もしかすると。
「ごめん、何か言ったよね」
「あなたのジュース向こうに置きっぱなしだったよ、って言ったのさ」
「あ、忘れてた。いや、そんな長尺で喋ってなかったっしょ」
「はいっ」
抱かれたペットボトルのうち一本が、唐突にわたしへ向かう。
「いぶ」
対応しきれず、頭突きをしたような形になる。不器用かもしれない。足元に落下したグレープサイダーはキャップ側に泡が押し寄せる状態で、図らず爆発物ができてしまった。待てば噴き出ないものだろうから、少し放置することにする。放置の間に抗議。
「炭酸飲料投げるやつがあるかー」
「あくまで炭酸飲料を投げたことに怒っているんだな」
ペットボトルを投げ渡すことはわたしもしたために、その点では怒れない。律儀かも。律儀なので、先程の呟きの件も忘れず詰める。
「で、本当は何と言ったのかーい」
「しつこいな」
前髪をかきあげて初めてたじろぐような仕草をした『君』に思わず、ちょっかいかけたい心とか、動悸とか、キュートアグレッションとか、を感じる。キュートアグレッションって感じるものでもないかな。だけど、この好意的な握り拳の呼び名はおそらくそれである。
非常に大きなきゅん。器用で不敵かと思いきやけ若干の隙は残しており、それが却って完璧美少女を引き立てる。正にスイカに塩。全裸にサッカーボール。仕返しの意も込めて、ちょっかい遠慮なく。
「そんなにに聞かれたくないこと言ったの? ゆったんやんなー」
「下手な方言はヘイトを買うだけだぞ」
「今の状況、君のヘイトさえ買わなきゃ良いんだよね」
「売ってあげよう、私のヘイト」
「い、いらねー」
「あ、そう。そろそろ開けて良いころじゃないか、ペットボトル」
「確かに。ちなみに、先程は何と?」
「あなたがそれを飲んだら教えてあげよう」
「……ほんとー」
懐疑を目線にして送りつつキャップを回してしまうのは、一重にわたしが素直すぎるせい。元来からかいに不向きなようだった。だから、しゅっと炭酸の抜けた音はわたしの脳みそを圧縮したときと同じ音だと思う。きっと、空っぽだから。
『君』がわざとらしく見守る中でただのジュースを煽る。何かを意図して混入させているのかもと気がついたとき、既にちくちくと舌を刺す感覚があった。無能な脳を別の脳で咎める間もなく、その両方の働きを唐突に失う。
そうして人を信じすぎたわたしは意識を手放し、意図せず『空っぽのわたし』と別れまで告げてしまうのだった。
『空っぽのわたし』が最後に耳にした言葉は、薄れていく意識の中でさえある程度の鮮明さを備えて。
「可愛いって言ったんだよ」
焦ったような早口は確かにそう言ったと思う。んで、確証もないまま照れた。
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