生きてる

 上下ともに着衣を完了し、姿見の前に立ってみる。

「……誰だよ、この絶世の美女は」

 似合っている。むちゃくちゃ似合っている。二卵性とはいえ双子の姉妹なのだから当然といえば当然なんだけど、まさかここまでしっくりくるなんて。

「ニートじゃなくて、高校生をやっておくべきだったかな? 捨てたものじゃないな、あたしも」

 次から次へとモデルっぽいポーズをとって一人遊びをしたけど、すぐに我に返る。あたしはこれからお出かけするんだった。

 そもそもこのコスチュームに身を包んだのは、とある場所へ行くため。一回着てみたかったというのもあるけど、やっぱりあの場所にはこの恰好でしょ、ということで。

「あくあー! ちょっと出かけるね。お昼までには帰ってくるから」

 部屋の前まで行って声をかけたけど、返事はない。活動する気配がないから、たぶん寝ているのだろう。あくあも、最悪の時期と比べるとだいぶ真人間らしくなったけど、怠惰の極みみたいな生活はなかなか改善されない。

 まあでも、ゆっくり、ゆっくり、やっていけばいいんじゃないかな。

「いってきます、りりあ」

 靴を履いてそんな一言を残し、ドアを開けて外に出る。

 真夏の日射しに貫かれ、あたしは「暑っ」とさっそく愚痴をこぼす。

 でも、鏡の前に立ってみなくても分かる。

 気候に文句を垂れながらも、あたしの顔には活き活きとした表情が浮かんでいることが。


 カレンダーは七月。

 まだ梅雨は明けていないとはいえ、季節はすっかり夏。

 夏休みに特に予定はないが、夏休みが来ること自体は楽しみ。異常気象に起因する暑さはつらいが、若いからまあ問題なし。そんな感じで日々を過ごしていた。

 長期休暇を目前に控えたこの時期、エアコンの冷気が教室を満たしているとはいえ、授業はだるい。

 クラス担任で現代国語教師の長谷川はいつものようにエネルギッシュに板書しているが、その熱さは授業の退屈さよりもある意味苦痛だ。まだ二時間目で、放課後はもちろん昼休みからも遠い。その事実がだるさを加速させる。

 ここあと過ごした二日間がもたらした熱もようやく冷めてきて。

 七月に入ったとはいえ、夏休みまでは少し遠くて。

 僕の目を覚まさせるような、スリルあふれる非日常と出会えないだろうか、などと思うことが最近になって増えた。

 スリルあふれる非日常――そう、あのときのような。

 突然、教室の戸が勢いよく開いた。

 長谷川の声がやんだ。教室にいる生徒全員とともに僕は出入口の戸を振り向く。そこにいたのは、

「佐伯! 廊下でたむろってた不良くんたちに訊いたら知らなくて、職員室で教えてもらって来たんだけど、席はどこ――あ、いた!」

 亜麻色のポニーテール、我らがS高校の制服を着たその少女は、

「ここあ!」

 思わず椅子を跳ね飛ばして起立していた。

 クラスメイトたちの視線が僕とここあを行ったり来たりする。驚いたように、戸惑ったように。

 長谷川は唖然としている。教師としてやるべきことは承知しているが、なかなか始動できないといった様子だ。ここあはこの高校の制服を着用しているが、普通ではないものを感じ取ったのだろう。

「てか、ここあ、おまっ……なんでここに?」

「佐伯、来て。いっしょに来てほしいところがあるんだ。ほら、早く」

 リラックスした表情で僕を手招く。

 クラスメイトたちの視線が僕に集まり出した。

 ここあが教室に入ってきた。真っ直ぐに僕の机に歩み寄り、僕の腕をむんずと掴む。

「なにぼさっとしてんの。行くよ」

「行くって、どこへ?」

「決まってんじゃん」

 満面の笑みでここあは答えた。

「この学校の屋上だよ」


「びっくりした」

 声を張ったつもりはなかったのだが、授業中の廊下は声がよく響く。

 しかしこのびっくりは、ここあが教室まで来たサプライズに比べれば、宇宙空間を漂うひとひらの塵も同然だ。

「そんなに? ほんとは期待してたんじゃないの? あたしがアポなしで会いに来ること。机に頬杖をついて、死んだ魚みたいな目で窓越しにグラウンドを眺めながら」

「いや、机は教室の真ん中へんだけど」

「比喩だよ、比喩。相変わらずこまかいよね、佐伯は。で、質問の答えは?」

「正直、最初はちょっと期待していたよ。でも、葬儀の日以降はラインも来なくなったから、べたべたした付き合いは望んでいないっていうのは本当なんだな、本人の意思は尊重しないとなって思って」

「真に受けたってことね。かわいいじゃん」

「僕からも質問。どうしてこのタイミングで会いに来たの?」

「まあ佐伯は分からないか。今日はりりあの四十九日だから、屋上まで冥福を祈りに来たの」

「なるほど。手ぶらだけど」

「こういうのは気持ちなのよ、気持ち」

 CMに出演する女優みたいに白い歯を見せ、制服の胸を拳でとんとんと叩く。

「制服、似合うね。うちの生徒みたいに見える」

「でしょ? りりあの形見だからね」

「一之瀬さんの! そっか、形見か……」

「きれいだよね。飛び降りたときに着ていたのに、破れ目一つない。さすがに汚れはあったから洗濯したけど」

 上から下へ、くり返し、くり返し、愛おしそうに夏服の胸を撫でる。その手つきに思わず見とれてしまう。

「お供え物に自販機でジュースでも買う?」

「いいね。一之瀬さんはなにが好きだったの」

「コーラ。ちなみに、姉妹は全員好きだよ」

「じゃあ買ってこよう。自販機の場所は知ってるから」

「いや、やっぱやめとこう。面倒くさいから」

「そんな理由で断念していいの?」

「いいの、いいの。こういうのは気持ちなんだから。次来たときにそのつもりになったら、そうすればいい」

「また来るつもりなんだ」

「学生なら出入り自由だしね」

「この学校の生徒しか無理だし、そもそもここあは学生じゃないでしょ」

 などと話しているうちに屋上のドアの前まで来た。

 重厚なような、薄っぺらなようなドア。それを開ければ目的地に辿り着けるのだが、

「……開かないんだけど」

 がちゃがちゃと揺さぶっていた真鍮のドアノブから手を離し、ここあは肩を竦めた。

「まあ、当たり前だよね。自殺者が出たわけだから――」

「佐伯、ぶち破ろう」

「は?」

「施錠されているドアをこじ開けられるわけがないと思っているんでしょ、どうせ。でもさ、佐伯。二人でやったら不可能も可能になると思わない?」

 試みが失敗に終わるとは毛頭思っていない、不敵なようでもあり間抜けなようでもある、満面の笑み。

 それを見ていると、なぜだろう、本当にやれそうな気がしてきた。理屈をこねて手をこまねいているほうが馬鹿げている気がしてきた。

 アイコンタクト。

 うなずき合う。

 ドアから距離をとる。

 ぐっと腰を落として下半身にエネルギーをため、

『せー、のっ!』

 突撃。

 肩からドアにぶつかる。衝撃。激しくも鈍い音。体が前のめりになる。弱い衝撃。

 世界が明るい。

 我に返ったとき、僕は鉄製のドアの上に座り込んでいた。

 灰色のその周囲の床は、白。コンクリートの無機質な白。

 白を囲っているのは、ビターチョコレート色のフェンス。成人男性二人分と少しの高さ。手足をかけられるような部分はなく、乗り越えるのは一筋縄ではいかなそうだ。

 その上は、空。

 雲がまばらに散り、太陽が高く昇った、七月の蒼穹。

 屋上。

 視界の端に動くものがあった。

 はっとして顔を上げると、ここあは亜麻色のポニーテールを左右に小さく揺らしながら、奥のフェンスに向かって真っ直ぐに進んでいた。

 その足が空間の中央で止まる。そして、深呼吸でもするように軽く胸を突き出して両腕を大きく広げ、

「生きてる――――――――――――――!!!!!」

 叫んだ。腹の底からの叫び。控えめに見積もっても金星には届いただろう、というような。

「生きて――」

 もう一度叫ぼうとして、咳き込んだ。血でも吐いたのではというような激しさだ。

 駆け寄ろうと腰を上げると、ここあは咳を自力で封じ込めて体ごとこちらに振り向いた。

 その顔に浮かんでいるのは、最上級に最高級に爽やかな微笑み。

 それを見た僕の頭に流れ込んできたのは、もしかすると僕が知らないだけで、りりあもこんな元気いっぱいな一面を持っていて、ここあはりりあに代わって表現してみせたのではないか、という考えだった。

 たぶん、僕の勝手な想像なのだろう。

 仮にりりあがそんな性格だったとしても、りりあの代わりに、という意識はここあにはなかっただろう。

 だとしても、嬉しかった。

 自分も笑顔になっているのが分かる。

 ここあが満面の笑みを崩さずに手招きする。僕は彼女のもとに駆け寄る。

 合流を果たした僕たちは、照れた者同士がよくやるように肘で互いをつつき合った。そして、四十九日ぶりに雑談に現を抜かした。

 夏休みも近いね、どこに遊びに行こうか――そんな話を。

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カウンセラー 阿波野治 @aaaaaaaa

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