第3話 もう一人のウェイ

 緩やかな丘陵に、馬車道は曲がりくねり、煉瓦造りの門へと続いている。唐草模様を配した鉄の門扉のむこう、木造建ての学舎は、タールの匂いがする。歴史民族学者のウェイが事務所で名前と用件を告げると、舎監は無表情に「こちらへどうぞ。」とだけ言った。

 校長室には、まだ少女のお転婆な元気を「年齢にふさわしい気品」に代えたようでいて、どうかするとお茶目な笑顔を見せてくれそうな、年の頃は五十代かと思われる婦人が待っていた。ウェイが入ってくるとスッと立ち上がり、優雅な動作で挨拶をする。客に席を勧めた後、静かに話し始めた。


 「初めまして。ルオツン女子高等学校長シェン・ユンウェイです。お手紙を拝見しました。メイという生徒についてお知りになりたいそうですね。」

 促すように言葉を止めると、用務員が運んできた飲み物に目をやる。ウェイは小さく頷いて茶碗に口をつけ、すぐに茶托に戻すと急くように問いかけた。


 「『背の民 地の龍』という本を読んだのです。私は背の民について研究をしておりまして、題名を見た瞬間に惹かれました。そして、私の名前が出てきたので驚きました。口伝を調べていることまで書いてありますが、この学校に来たのは今日が初めてです。確かに私はメイという少女を捜していました。これは一体どういうことなのでしょうか。」


 校長は目を伏せてしばらく沈黙していたが、落ち着いた声で話し始めた。

「そもそも都は、月の龍を埋葬したという八つの国を統合して発展させようという意志を持っています。鉄道が敷かれ、辺境と呼ばれる地域が新たに発見された都度、人々を西都風の文化に取り込もうと躍起になっています。

 この学校は各地から集めた生徒に都の文化を浸透させ、各地域に送り返した後は都風の教育者となることを目指して作られた施設なのですわ。」


 「本物のウェイ」は、校長の考えがわからない。それと、自分の名を騙ってメイを連れ出したことと何の関係があるのか、『背の民 地の龍』という本を生徒の名前で出版した意図も掴めない。

「私は、『背の民』の言霊を調べています。ところが、別の青年が私の名前でメイの口述筆記をしている。これは小説の作り話なんでしょうか。それにしては、まるで私の行動を先取りしたような…… もっとも私は『小説のような若者』ではありませんけれども。」

 ウェイは長年研究に没頭してきた自分の節くれだった手を見た。背の民は月の龍の末裔と言われている。滅ぼされる前、秘密裏に巫女を呼び寄せ、龍の力の源となる言霊を託した。巫女は征服者の手を逃れ、龍の背と呼ばれる山岳地帯に逃れた。巫女はその時身ごもっていたという説もある。背の民はまつろわぬ民、だが、それは千年も前の歴史と伝説の世界であり、都が現実に問題視する姿勢に疑問を感じた。

 「小説のウェイはあなたとは別人ですが、『実在』している。」


 ユンウェイはそれをあっさり認めた。体制側の施設の長にしては少々批判的な口調で続ける。

「都は龍の力を手に入れたいのです。メイの持つ口伝には都を脅かすほどの秘密が隠されていると…… 都はそれに目を付けているのです。本を書いたのはクレア。目的は小説として背の民の実在を広めること。本物のウェイに知らしめること。」

 ウェイはますますわけがわからなくなった。そんな面倒なことをする必要があるのだろうか。察したように校長の立場を守るユンウェイは続けた。


「わたくしは体制側の学校長という地位にいますが、やはり辺境の出身でした。貧しく、異文化を受け付けず、家を維持するために後継者として生まれた長子だけが結婚し、姉妹はみな、家に尽くしていたのは、メイの村と似ていましたわ。

 わたくしは村にあって変わり者で、因習に凝り固まった血族の世界から飛び出したかったのです。ルオツン女子高等学校で学んで、幸いなことに成績が良かったんですの。なにより西都の考えに染まることに抵抗がなく、認められて校長にまでなりました。でも…」

 言いよどんだ女性の、ほっそりした首筋と優しげな指を、学者は好ましく思った。率直でいて、なおかつ穏やかな態度に母親を思いだす。家は継がない、学者になると決めた彼に周囲は大反対したが、母だけが応援してくれた。柔らかさと毅然とした態度が似ているような気がした。ふと我に返り、自分が二十歳の若者になっていたことに苦笑した。目の前の婦人は彼よりも若く、美しい。

 お茶を運ぶ様子、優雅だがのんびりもしていない。むしろキリッとして、後ろに束ねた髪もつやつやとしている。そして知的名話し方は学者の心を掴むに足りた。


 研究者として仕事に没頭して、彼は婚期を逃した。龍の伝承に魅力を感じ、長年資料集めと、現地のフィールドワークを続けて、どの村からも歓迎されない。たった一つ「背の民」の村落では、都の男と結婚した女性の話と、伝承をすべて受け継ぐ少女がいると聞きつけた。だが、村で聞いた名前と同じ名を持つ生徒は見つからなかった。

 彼は校長に生徒を紹介してもらった。痩せて日に焼けたメイと、女性らしさを身に纏うクレア。お茶を飲みながら、話していると、メイの口から「ウェイ」の名前を知り、驚愕した。若い男性で、民俗学を研究していると言い、メイに教育を与えたいと、村長を説得して、学校に連れてきたという。偶然同じ名前だったのであろうか。


ルオツン女子高等学校開校百年の間に、文明は驚くほど進んだ。流通が確保されると、細々と自活していた山間部にも物資が届くようになる。都の勢力圏で作られた品々を目にしても、村人達には買えない。現金収入がないのだ。

 若者には都への憧れがつのり、高齢者は取り残される。

その多くが小作の家であり、子供を地主の家へ稼ぎに出すことで生活していた人々にとって、労働力の流失は死活問題になった。

 地域が併合されて行くと、地主に集まっていた税収の一部が都に流れるだけで、村人の生活は変わらず、独自の文化は消えつつある。学校長ユンウェイはそこに不安を感じていた。


「全ての辺境が都風の経済圏に染まるのは怖い気がするんです。このままでは辺境の文化を、ただ『貴重な過去の遺物』にするだけではないでしょうか。クレア、彼女の出身地では、西都に反対する勢力が盛んになってきているんです。都よりも先にメイの秘密を手に入れようとしている動きがあるようで、クレアから相談を受けていました。」

 ウェイは研究に没頭してきた歴史世界が、突然現実と化して己を翻弄し始めているような感覚に包まれた。反都、といえば斎河と呼ばれる地域が知られている。月の龍と呼ばれた男の右足が埋葬されていると伝えられ、その妻であるチューメイが斎湖に身を投げたところ、精霊が彼女の悲しみに共鳴し、涙で湖が溢れ出したという。

 それが斎河である。「紹介したい方がいますの。」と校長は言い、若い男を招き入れた。見るからに品の良い衣服を身につけているが、どこか粗野な感じがする。いや、野心の匂い、かもしれない。パオセンと名乗った男は、「実はウェイさんにお願いしたいことがあるのです。」と言った。彼は元々、ウェイの知り合いであるように振る舞った。その様子を見て校長はたじろいだ。そして歴史研究の仲間と名乗る男を疑った。



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