第10話:もう一つの声援

インターハイ予選での劇的な勝利から一夜明けた。


朝の光が差し込む部屋で、私はベッドの上でスマホを握りしめたまま、眠りについたことに気づいた。充電器に繋いでいないのに、バッテリーはまだ半分以上残っている。たぶん、夜中に何度も通知が来て、そのたびに目を覚ましていたせいだろう。スマホの画面は、昨夜からずっと同じ熱を帯びていた。


「#伝説の始まり」


そのハッシュタグは、まだ日本のトレンドのトップに居座り続けている。Twitter(X)のタイムラインを開くと、流れる情報の量が尋常ではなかった。


『速報:アイドルグループ「スパークル☆ビーツ」、インターハイ予選でバスケ強豪校を撃破』

スポーツメディアの記者が投稿した記事には、私たちの試合動画と、青葉高校のエース、一条シンが呆然と立ち尽くす写真が添えられていた。


『マジで!? アイドルがバスケでベスト4校に勝ったって? 誰かライブ配信見てた人いない?』

バスケ専門アカウントの問いかけに、無数のリプライがついていた。

『見てました!あれはバスケじゃなかった…ダンスでした』

『奇策どころじゃない。もはやアートだ』

『信じられないけど、事実。あのドリブルとフォーメーションは、練習しただけの素人じゃあり得ない。プロのコーチがついているはずだ』

『I can’t believe this! Idols playing basketball and winning? This is so cool!』

海を越えたバスケファンの英語のコメントまで見かけ、私は思わず「え…」と声が漏れた。


もちろん、アンチコメントも増えていた。

『どうせ審判買収したんだろwww』

『たまたま運が良かっただけ。次でボロ負けするに決まってる』

それでも、その何倍もの好意的なコメントと、試合を称賛するファンの熱狂が、私の心を満たした。


リビングへ降りると、先に起きていたリナが、ソファでスマホを見ていた。彼女の表情は、昨日の試合中よりもずっと複雑だった。


「すごいね…」


彼女が震える声で呟いた。それは感動のようでもあり、少しの戸惑いのようでもあった。昨日の試合で、リナは、勝利を決める重要なリバウンドを奪った。その瞬間、私の頭には、彼女の跳躍が、まるでバレエのグランジュテのように見えた。彼女の心臓は、あの瞬間、勝利の予感で跳ね上がったという。


(あの時、手が震えてたけど、どうしても勝ちたくて。負けたら全部無駄になるって思ったから、とにかくボールを掴もうって…そしたら、体が勝手に動いたの…)


リナはそう言って、手のひらをじっと見つめていた。努力が報われた喜びと、それを否定されるかもしれないという恐怖。その両方を乗り越えたからこその、複雑な感情がそこに滲んでいた。


「当たり前だろ!私たちは、最高を目指すんだから!」


内海ミナが、満面の笑みでキッチンから出てきた。

「ユイ、リナ、見て見て!この動画、再生回数がどんどん伸びてるの!私たちの次のライブ、バスケファンで超満員になっちゃうかもね!」

ミナは、いつものライブMCのように明るく、力に満ちていた。彼女にとって、バスケのコートは、ライブステージの延長だった。

「ライブと一緒だよ!相手がどんなにすごいパフォーマンスをしてきても、私たちは私たちのパフォーマンスをすればいい。そうすれば、絶対にお客さんは笑顔になってくれるんだから!」

彼女はそう言って、ドリブルをするフリをして、軽やかにステップを踏んでみせた。ミナは、勝利をただの「結果」ではなく、観客を巻き込む「最高のパフォーマンス」として捉えていた。


リビングの隅で、諸星カズキは、静かにスマホの画面を眺めている。彼の瞳には、悔しさと、そして満足感が入り混じっていた。彼は、最後のシュートを決めて、チームを勝利に導いた。だが、それは、彼の完璧なシュートではなかった。


(あのパスは…俺の計算じゃなかった。ユイの直感だ。俺は、勝つための最短ルートを常に探していた。けど、最後の勝利は、最短ルートじゃなかった。あいつらが、それぞれの場所で、それぞれの『熱』を放った結果だ…)


諸星はそう考えていた。彼は感情を排除して勝利を追求する「頭脳」だったが、最後の勝利は、彼が制御できない「感情」の連鎖がもたらしたものだった。その事実に、彼は戸惑いながらも、どこか満足しているようだった。


私たちは、バスケを通じて、互いの存在の大きさを知ることができた。それは、私たちがアイドルとして、ステージの上からでは決して得ることができなかった、特別な絆だった。


---


学校に着くと、体育館の雰囲気が一変していた。


「あ、スパークル☆ビーツだ!」


「この前の試合、見たよ!めっちゃかっこよかった!」


私たちを見る生徒たちの視線は、もはや好奇心だけではなかった。そこには、純粋な憧れと、尊敬の念が宿っていた。普段、バスケ部を冷やかしていたような男子生徒が、私たちに声をかけてきた。


「ユイさん!マジでヤバかったです!俺もバスケ始めようかな…」


彼らの言葉に、私は思わず胸が熱くなった。私たちのバスケは、もう「アイドルのお遊び」ではなかった。誰かの心を動かす力を持っていた。


授業中、体育の先生が私たちを呼び止めた。

「おい、お前たち。今度、授業でバスケやろうと思うんだけど、君たちにデモンストレーションをお願いしてもいいか?」

冗談めかした口調だったが、その目は真剣だった。

「君たちのあの動き…あれは、もはや教科書にはない、新しいスポーツだ。いや、芸術だ。生徒たちに見せてやりたい」


ランチタイムには、校内の掲示板に人だかりができていた。見に行くと、インターハイ予選のトーナメント表が貼り出されている。青葉高校を倒した私たちの名前は、次の対戦相手である「天馬高校」の横に、まるで勝利を予告するかのように、堂々と書かれていた。


天馬高校…あまり聞かない名前だ。だが、その横に書かれた戦績を見て、私たちは思わず息をのんだ。

『技巧の天馬』

青葉高校とは違うタイプの強豪校らしい。


その日の練習後、私たちは、マネージャーと先生に呼ばれ、ミーティングルームに集まった。

「次のライブ、チケットは即完売だ。しかも、バスケファンからの問い合わせが殺到している。メディアも、君たちのパフォーマンスに注目している」

マネージャーは、興奮を隠せないでいた。

だが、先生は、いつものように冷静だった。

「だが、油断するな。天馬高校は、青葉高校とは違う。彼らは、個々の技術が高く、変幻自在なフォーメーションで攻めてくる。彼らのバスケは、まるでチェスのようだ」


先生の言葉に、私たちは思わず顔を見合わせた。


「…行くぞ」


諸星が、静かに言った。彼の瞳には、再び熱い炎が燃え始めているのが見えた。


---


次の日の朝、体育館には、いつものメンバーだけでなく、多くの生徒たちが集まっていた。

その中に、見慣れた顔を見つけた。相手チームのキャプテン、高橋だ。彼は、仲間と議論し、一人でここにやってきたのだという。


「昨日は、ありがとう。君たちと試合ができて、本当によかった」


彼の言葉に、私たちは驚きを隠せない。彼は、私たちを「お遊びのアイドル」と嘲笑っていた。だが、その瞳には、もはや軽蔑の念はなかった。ただ、純粋な、バスケ選手としての敬意が、そこに宿っていた。


「私たちは、また君たちと戦いたい。その時は、絶対に負けないから」


高橋の言葉に、内海は満面の笑みで答えた。


「望むところだ!」


私たちの練習は、今までとは違っていた。観客席には、アイドルファンと、バスケファンが混じり合っていた。


「ミナ、パス!」

「ユイ!そこだ!」


アイドルファンからは、ライブのようにメンバーの名前がコールされる。一方、バスケファンからは、正確なパスを称賛する声や、シュートのタイミングを教えるアドバイスが飛んできた。二つの声援が混じり合い、まるで新しい楽曲を奏でているようだった。


そして、練習を終えた私たちに、一人の小学生が駆け寄ってきた。


「お姉さんたち、すごい!私、お姉さんたちみたいに、バスケやってみたい!」


その言葉に、私たちは顔を見合わせて、静かに頷き合った。


私たちは、バスケを通じて、新しい物語の扉を開けたのだ。それは、アイドルとしての輝きと、バスケプレイヤーとしての情熱が、一つになった、私たちだけの伝説。そして、その伝説は、今、新しい「声援」という風を受けて、さらに大きく羽ばたこうとしていた。

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