第9話:奇策のアイドルバスケ

試合開始のホイッスルが、乾いた音を立てて鳴り響く。


その瞬間、すべての音が遠のいた。聞こえるのは、自分の心臓の鼓動と、バスケットシューズが床を擦る音だけ。私の視界には、目の前に立つ青葉高校の選手と、審判が掲げたボールだけが映っていた。


ジャンプボール。相手のセンターがボールをタップし、試合が始まった。


青葉高校の動きは、私たちが想像していた以上に、流れるようだった。無駄な動きが一切ない。ボールは、まるで意思を持っているかのように、遠藤ハヤトから田中コウキへ、そして、エースの一条シンへと渡っていく。


私は、一条シンの前に立ちはだかる。彼の瞳は、感情の読めない、冷たい光を宿していた。彼は、私を軽蔑するでもなく、ただ静かに、私を「障害物」として見ているようだった。


「(これが…氷のシューターのプレッシャー…)」


私は、思わず息をのむ。一条がシュートを放つ。そのボールは、まるで正確にプログラムされたかのように、綺麗な放物線を描き、リングを通過した。


バスケットボールがネットを通過する「スッ」という乾いた音は、私たちの心を冷たく突き刺した。


「ナイス、シン!」


青葉高校のベンチから、歓声が上がる。私たちは、一条の正確なシュートに、なすすべなく得点を重ねられていく。


「はは、やっぱ無理じゃん」「素人は素人。練習試合はたまたまだろ」という嘲笑が、観客席から聞こえてくる。SNSでも、「アイドルがバスケ舐めすぎ」「やっぱ企画倒れだろwww」というアンチのコメントが急増する。


私たちは、焦り始めていた。ダンスの動きを取り入れた華やかなフットワークも、相手の強固なディフェンスの前では、何の役にも立たない。パスを回そうとしても、ボールはすぐにスティールされる。


「(ダメだ…このままじゃ…)」


私の思考は、恐怖に支配されていた。負けたらどうなるんだろう。ファンを失望させてしまう。今までの努力は、全部無駄になってしまう。


---


私たちの得点は、伸び悩んでいた。青葉高校は、私たちのプレイスタイルを完全に読み切っていた。先生がタイムアウトを要求し、私たちはベンチに戻った。


「落ち着け!まだ始まったばかりだ!」


内海ミナが、肩で息をしながら、力強く言った。だが、その言葉には、いつものような勢いがない。声が掠れて、不安が滲み出ているようだった。


「どうするんだよ、ユイ!このままじゃ…」


諸星カズキが、苛立ちを隠せないでいる。彼の瞳には、悔しさと、そして焦りが浮かんでいた。


「(どうすれば…どうすればいいの?)」


私は、震える手で、タオルを握りしめていた。その時、私の視界に、汗だくの佐藤リナの姿が映った。リナは、今にも泣き出しそうな顔で、私たちを見つめていた。


「(リナ…)」


その瞬間、私の思考は、恐怖から、別のものへと変わっていった。私たちは、何のためにバスケをやっているんだろう?勝利のため?ファンのため?いや、違う。私たちは、みんなを笑顔にするために、ここにいるんだ。


「…内海、諸星。聞いてほしいことがある」


私の言葉に、二人は静かに頷いた。


「私たちは、最高のライブをするために、このステージに立っているんだ。私たちの武器は、バスケの技術だけじゃない。アイドルとしてのパフォーマンスだ。それを、今から、このコートで、証明する」


私は、そう言って、内海と諸星に、私たちの新しい戦術を告げた。それは、バスケの常識からはかけ離れた、危険な賭けだった。


---


再びコートに戻った私たちは、新しい戦術を試した。それは、バスケのドリブルと、アイドルとしてのステップを融合させた、まったく新しい動きだった。


内海がボールを持つと、彼女は、まるでライブの振り付けのように、滑らかなステップでドリブルを始めた。そのリズムに合わせて、諸星と佐藤が、ダンスのフォーメーションのように、滑らかにコートを移動する。


「な、なんだ、あの動き…?」


青葉高校の選手たちが、戸惑いを隠せないでいる。彼らは、私たちの動きを、バスケの戦術として理解することができなかった。


私は、内海が放ったシュートのリバウンドを、佐藤が力強く奪うのを見た。その動きは、まるで空に舞い上がる鳥のようだ。そのリバウンドボールが、私の手元に渡る。私は、諸星にパスを出そうとする。だが、諸星は、パスを受け取らなかった。代わりに、彼は、私の隣で、ダンスのステップを踏み始めた。


「(…!」


私は、諸星の意図を瞬時に理解した。彼は、私とシンクロすることで、相手を欺こうとしているのだ。


私たちは、バスケの技術と、アイドルとしてのパフォーマンスを融合させた、奇策で、次々と得点を重ねていく。観客席のざわめきは、驚嘆の声へと変わり、SNSでも、「これ、バスケなのか?」「すごい…鳥肌立った」「スパークル☆ビーツ、やっぱ本物だ」というコメントが急増する。


---


私たちの奇策に、青葉高校は混乱し、点差は縮まっていった。だが、試合終盤、一条シンが、私たちのプレイスタイルを分析し、再び正確なシュートを放ち始める。


「くそ…」


諸星が、悔しそうに歯を食いしばる。私たちは、再び追い詰められていた。


試合は、残り10秒。同点。ボールは、一条シンの手にある。彼は、私たちのゴールに向かってドリブルを始めた。


私は、一瞬、恐怖に支配されそうになった。だが、その時、私の目に映ったのは、観客席で、ペンライトを振って応援してくれるファンたちの姿だった。


(私は、みんなの笑顔のために、ここにいるんだ…!)


私は、すべての不安を振り払い、一条シンに向かって走り出した。


「絶対に、止める!」


私の言葉に、一条は冷たい笑みを浮かべる。だが、その瞳には、ほんの少しの驚きが混じっているようだった。


一条がシュートを放つ。そのボールは、まるで正確にプログラムされたかのように、リングに向かって飛んでいく。


私は、全身の力を振り絞り、ボールに向かって飛びついた。


その瞬間、私の手は、ボールに触れた。だが、ボールは、私の指先をすり抜け、リングへと向かっていく。


(ああ…ダメだ…!)


その時、私の視界に、佐藤リナの姿が映った。リナは、その小柄な体からは想像できない跳躍力で、ボールを叩き落とす。


「リナ!」


内海が、力強く叫んだ。


そのリバウンドボールが、私の手元に渡る。私は、一瞬の間にコート全体を見渡した。脳裏に、ダンスのフォーメーションが浮かぶ。次は、どこに動けばいい?どこにパスを出せば、ゴールに繋がる?


私は、内海にパスを出そうとする。だが、内海は、すでに相手にマークされている。諸星も、私のすぐ隣にいる。私は、再びコートを見渡す。その視界の隅で、ふと、フリーになっている諸星の姿を捉えた。


「カズキ!」


私の声が、体育館に響く。諸星は、一瞬、驚いたような顔をする。だが、すぐにその表情は、いつものクールなそれに戻った。私は、諸星にパスを出した。


諸星は、ボールを受け取ると、リングに向かって走り出す。彼は、勝利というただ一つの目的のために、ただひたすら前へ進む。


そして、諸星が放った最後のシュート。


ボールは、リングに吸い込まれるように入り、ネットを揺らした。


ブザーが鳴り響き、試合は終わった。


結果は、私たちの勝利だった。


---

エピローグ:静かな歓声と伝説の始まり


試合終了のホイッスルが鳴り響く。


体育館は、一瞬、静寂に包まれた。誰もが、信じられないという表情で、私たちを見ていた。


最初に拍手を送ったのは、相手チームのキャプテン、高橋だった。彼の拍手は、次第に体育館全体へと広がっていき、やがて嵐のようなスタンディングオベーションへと変わった。


高橋は、私たちに近づき、静かに言った。


「すごいな…君たち。本当に、アイドルなのか?」


彼の瞳は、もはや私たちを軽蔑してはいなかった。ただ、純粋な、バスケ選手としての敬意が、そこに宿っていた。


「はい!私たちは、アイドルです。そして、バスケプレイヤーです!」


内海が、笑顔で答えた。


私たちは、バスケを通じて、アイドルとしての新しい輝きを見つけ始めていた。


試合後、私たちは勝利の喜びを分かち合うため、互いに抱き合った。汗と、少し土埃の匂いが混じり合う。その温かさが、私たちの心を震わせる。


スマホを開くと、SNSは私たちの話題で持ちきりだった。


「#伝説の始まり」


そのハッシュタグが、日本のトレンド1位に輝いていた。


私たちは、バスケを通じて、新しい物語の扉を開けたのだ。それは、アイドルとバスケプレイヤー、二つの夢を追いかける、私たちの伝説の始まりだった。

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