霧の街の小さな秘密

マスク3枚重ね

霧の街

早朝、日が昇る前の街は街灯も消えて薄暗い。朝霧は葉を濡らし、街全体を静寂で包む。僕はそんな朝が大好きだった。そんな時間はこの街を独り占めにしている様な気分になる。ランドセルを放り投げ、ブランコに飛び乗るとガランガランと鎖の音が大きく響く。立ち漕ぎでどんどんスピードを上げていき、高さが頂点に達した瞬間に飛び上がる。身体が高く高く飛び上がり、朝霧を超えて山をも超えて、水平線の向こう側に眩しい朝日が見える。そんな妄想からすぐに現実へと引き戻す衝撃が足裏へと響く。着地した公園は何も変わらず静寂だった。するとペラっと紙をめくるような音が微かに聞こえた気がした。音の方に振り返るとベンチに座る人影が見えて小さく声が漏れる。


「ひっ…」


僕は尻もちを着いて動けない。こんな朝早くに人と会うのは初めてだった。不審者かもしれないと思う。しかし、その影の主は小さくふふっと笑ったような気がした。その影は手に持つ本をゆっくりと閉じて立ち上がる。


「あらあら、怪我はないかしら?」


そうして、その影はゆっくりと近づいて、僕の元へとやってくる。影は徐々に輪郭を帯びて1人の女性が現れる。黒髪で色白く、切れ長の目に綺麗な青い瞳。僕は子供心にとても美人な人だと思った。


「1人で立てる?」


僕は未だに地面に座り込んでいるのが恥ずかしくなり、急いで立ち上がる。ズボンに着いた土を手で払う。


「たっ…たてるし!おばさんこそ、こんな所で何してんだよ!」


咄嗟に出た言葉はそんなだった。おばさんと言ってしまった事で怒らせてしまったかもと顔色を伺うがそんな事は気に止めずに笑顔で口を開く。


「本を読んでいたの」


「本?」


女性はニコリと笑い、手に持つ本を見せてくれる。薄暗い中、その緑の表紙に目をやると『霧の街』と書かれている。しかし…


「こんな暗い中、本なんか読める訳ないだろ!?」


からかわれたと思い少し語気が強くなる。しかし、女性は笑顔を崩さずに指先を僕の後ろへとゆっくり伸ばす。


「いいえ、もう朝よ」


振り返ると山向こうから、今日一日の始まりを告げる朝日が眩しい光を僕へと向ける。一瞬、瞳に入ったその光は目の中で炸裂し、キラキラとした閃光が辺りに散った。


「眩しっ…!」


瞼を数回パチパチとさせて、女性に文句のひとつでも言ってやろうと振り返る。


「ふざけんな!眩しいじゃ…」


その先は出なかった。美しい黒髪も切れ長の美しい青い瞳もそこにはなかった、女性は霧のように消えてしまったのだ。


「おばさん…?」


その声は新しい朝の光が降り注ぐ、公園の真ん中で空虚に響いて、僕の好きな薄暗い朝の霧と共に消えていった。


終わり

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