「あゝ甲子園」
志乃原七海
第1話「のど自慢大会!IN甲子園!! 」
「やっぱり夏やな!夏は甲子園に限るで!」
リビングのソファに寝転がって、素麺をすすりながら私が叫ぶと、隣で漫画を読んでいた兄貴が心底呆れたという顔でこっちを見た。
「アホか。女が甲子園ゆうてどないすんねん。お前、野球でけへんやろが」
「失礼な!私かてキャッチボールくらいできるわ!…ちゃうねん、そういうことやないねん!」
ガバッと起き上がると、テーブルの上のチラシをひっつかんで兄貴の顔面に突きつけた。『夏休み特別企画!第一回 のど自慢大会 IN 甲子園!!』
「これや!私、甲子園で歌うんや!」
「……お前、歌うんかいな。何を?演歌か?」
「ロックや!魂のシャウトや!」
カンカン照りの太陽が、聖地の緑を焦がさんばかりに照りつけている。アルプススタンドからグラウンドに特設されたステージを見下ろすと、緊張で心臓がどえらい音を立てていた。
「さあ、予選会も中盤に差し掛かりました!では、次の方、どうぞー!」
司会者の陽気な声に背中を押され、私はステージへ駆け上がった。マイクを握りしめ、深呼吸。芝生の匂いと熱気が、肺をいっぱいにする。これや、これが甲子園の空気や!
「では、お名前と歌う楽曲をどうぞ!」
「はい!」私は満面の笑みで、高らかに宣言した。
「ガンズ・アンド・ローゼズの『Welcome to the Jungle』でお願いします!」
その瞬間、会場がほんの少し、ざわついた。後ろのバンドマンたちが顔を見合わせ、何やらひそひそ話している。どないしたん?はよジャングルのイントロ、カモーン!
すると、舞台袖から汗だくのプロデューサーらしき人が駆け寄ってきた。
「お嬢ちゃん!ほんまごめんね!うちのバンドマン、その曲の譜面がないんや!悪いけど、また来てな!」
譜面がない。
その一言が、夏の甲子園の空に虚しく響いた。私の夏は、ジャングルの入り口で、あっけなく終わった。
トボトボと、甲子園の外周を歩く。夕日が目に染みて、悔し涙がにじんだ。ベンチにへたり込むと、もう立ち上がる気力もなかった。
「姉ちゃん、えらい気ぃ落としとるな」
不意に、頭の上から野太い声が降ってきた。見上げると、阪神タイガースの法被を着て、片手に缶ビールを持った見知らぬおっちゃんが立っていた。
「…のど自慢、落ちましてん」
「ほうか。何歌おうとしたんや?」
「ガンズです。譜面がない言われました」
事情を話すと、おっちゃんはしたり顔でポンと膝を打った。
「なんや!ガンズか!ああ、あのガンズやな!ガハハハ!そらまたケッタイなもん歌おうとしたな、姉ちゃん!」
そのやけに自信ありげな口ぶりに、私は少しだけ希望が湧いた。
「え、おっちゃん、ガンズ知っとるんか?」
するとおっちゃんは、くしゃっと顔を歪めて、最高の笑顔でこう言った。
「いや、知らんけどな!ガハハハ!」
でた!でたで、定番のやつ!
思わず私も吹き出してしまった。
「知らんのかい!めっちゃ知ってる風やったやん!」
「雰囲気や、雰囲気!知らんけど、なんかすごそうやんけ!」
ひとしきり笑うと、さっきまでの落ち込んでいた気持ちが、どこかへ飛んでいってしまった。
おっちゃんは豪快にビールをあおると、私の隣にドカッと腰を下ろした。
「けどな、そんな気ぃ落とすな!甲子園はなくならん!また来年くりゃええんや!」
そのカラッとした言葉に、張り詰めていたものが、ふっと軽くなった。
「…そやな」
「そやろ?」
おっちゃんはニカッと笑うと、私の肩を乱暴に、でも優しく組んできた。
「よっしゃ!ほな、景気づけに歌おか!せーのっ!」
おっちゃんのしゃがれた声が、夕暮れの空に響き渡る。
「六甲おろしに颯爽と〜♪ 蒼天翔ける日輪の〜♪」
知らんおっちゃんと肩を組みながら、私はいつの間にか一緒に歌っていた。
歌いたかったガンズのジャングルじゃない。泥臭くて、おっちゃんくさくて、でも、この場所には世界で一番似合う歌。
悔し涙はいつの間にか乾いていた。
そやな、甲子園はなくならへん。
来年こそ、この聖地に私のジャングルを響かせたる。
心に誓いながら、私とおっちゃんの歌声は、夏の終わりの空に溶けていった。
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