どのみち俺は助からない。―宇宙船エクリプス、最後の3時間―

をはち

どのみち俺は助からない。―宇宙船エクリプス、最後の3時間―

宇宙船「エクリプス」の制御室は、凍てつく静寂に包まれていた。


酸素供給装置の警告音が、規則正しいリズムで響く。


赤い警告灯が、薄暗い室内を不気味に照らし、三人の乗組員の顔に影を落としていた。


酸素残量:3時間。


生存のタイムリミットが刻一刻と迫っていた。


「もう、終わりだな。」


最初に口を開いたのは、航宙技師の佐藤だった。


40代半ば、がっしりした体躯に無精ひげが目立つ男だ。


彼の声は、まるで諦めと嘲笑が混ざったような奇妙な響きを帯びていた。


向かいに座る若い科学者の高橋は、膝を抱えて震えていた。


隣にいる医療技師の林は、蒼白な顔で虚空を見つめ、微かに唇を震わせていた。


「死ぬ前に、言っておきたいことがある。」


佐藤が続けた。


低く、抑揚のない声。


まるで告白というよりも、呪いの言葉を吐き出すかのようだった。


「高橋、10年前、お前の両親を殺したのは俺だ。」


高橋の瞳が凍りついた。


時間が止まったかのように、制御室の空気が凝固した。


警告音だけが、無情に響き続ける。


「何…?」


高橋の声は掠れていた。


「何だって…?」


佐藤は目を逸らさず、冷たく笑った。


「金が必要だった。たまたまお前の家に忍び込んだら、鉢合わせてな。


仕方なかったんだよ。二人とも、叫び声を上げる前に始末した。」


高橋の呼吸が荒くなった。


両手が震え、拳を握りしめる。


林はただ黙って二人を見つめていた。


彼女の目は、恐怖と好奇心が混ざった奇妙な光を宿していた。


「お前…!」


高橋が立ち上がり、佐藤の胸ぐらを掴んだ。


だが、佐藤は動じず、ただ薄笑いを浮かべた。


「どうする?俺を殺すか?酸素はもう3時間分しかない。


俺を殺したところで、お前が生き延びる時間が増えるわけじゃないぜ。」


高橋の目が血走った。


次の瞬間、彼の手が佐藤の首に伸び、力任せに締め上げた。


佐藤は抵抗せず、ただ嗤った。


まるで、死を受け入れるかのように。


林は止めようともせず、ただじっと見つめていた。


彼女の呼吸は浅く、かすかに震えていたが、口は固く閉ざされていた。


佐藤の体が動かなくなったとき、制御室は再び静寂に沈んだ。


高橋は荒々しく息を吐き、床に崩れ落ちた。


佐藤の首には、高橋の手形が赤黒く残っていた。


「なぜ…止めなかった?」


高橋は林を睨んだ。


だが、林は答えず、ただ目を伏せた。


彼女の顔には、恐怖と同時に何か得体の知れない感情が浮かんでいた。


時間が無情に過ぎていく。


酸素濃度が低下するにつれ、空気は重く、息苦しくなっていった。


林の体は弱り始め、彼女の顔はますます青ざめていった。


高橋は制御パネルを見つめ、助けを呼ぶ信号を繰り返し送信していたが、応答はなかった。


「高橋…」


林が微かに囁いた。


「私、怖いよ…でも、どこかで…こうなるってわかってた。」


「何?」


高橋は振り返ったが、林の目はすでに虚ろだった。


彼女の呼吸が止まり、静かに椅子に沈み込む。


高橋は彼女の手を握ったが、すでに冷たくなり始めていた。


酸素残量:30分。


制御室はもはや墓場のようだった。


佐藤の死体と林の亡骸が、高橋を孤独に取り囲む。


高橋は膝を抱え、目を閉じた。


両親の顔、佐藤の嗤い、林の虚ろな目が、頭の中で渦を巻く。


「もう…いい…」高橋は呟いた。


「どうせ死ぬなら…」そのとき、制御パネルに光が点滅した。


外部からの通信だ。


「こちら救助船アルテミス、エクリプス号、応答せよ!」


高橋はよろめきながらパネルに駆け寄り、応答した。


「助けて…!生きてるのは俺だけだ…!」


救助船が到着したとき、制御室は惨状を呈していた。


佐藤の首には手形がくっきりと残り、林は椅子に倒れていた。


高橋はただ一人、酸素マスクを握りしめ、呆然と立っていた。


救助隊のリーダー、岩崎は状況を見て眉をひそめた。


「一体何が…?」


高橋は震える声で説明を始めた。


佐藤の告白、怒りに任せた殺人、林の死…。


だが、岩崎の目は冷たかった。


「お前、酸素を独占するために二人を殺したな?」


岩崎の声には疑念が滲んでいた。


「佐藤の首の手形、お前の手だろ。林も、お前が先に死なせたんじゃないのか?」


「違う…!」高橋は叫んだ。


「佐藤が…俺の両親を殺したんだ!俺は…!」だが、証拠はなかった。


佐藤の告白を聞いたのは高橋と林だけ。


林はもう口を開けない。


制御室の監視カメラは酸素供給装置の故障で停止していた。


残されたのは、佐藤の首に刻まれた高橋の手形だけだった。


「連行する。」


岩崎は無情に告げた。


救助隊員が高橋の腕を掴む。


その瞬間、高橋の目に、林の死に顔が映った。


彼女の唇が、ほんの一瞬、微笑んだように見えた。


宇宙船の暗闇の中、警告音が止まり、静寂が訪れた。


だが、高橋の心には、佐藤の嗤いと林の微笑が、永遠に響き続けるのだった。






宇宙船「エクリプス」の制御室は、冷たく重い空気に支配されていた。


酸素供給装置の警告音が、一定のリズムで鳴り響き、


赤い警告灯が三人の乗組員の顔を不気味に照らし出す。


酸素残量:3時間。


生存のタイムリミットが、無情に迫っていた。


「死ぬ前に、言っておくべきことがある。」


航宙技師の佐藤が、沈黙を破った。


40代半ば、頑強な体に無精ひげが目立つ男だ。


その声は、どこか乾いた響きを帯びていた。


向かいに座る若い科学者の高橋は、膝を抱えて震えていた。


医療技師の林は、青白い顔で虚空を見つめ、微かに唇を震わせていた。


「高橋、10年前、お前の両親を殺したのは俺だ。」


佐藤の言葉は、制御室の空気を一瞬で凍らせた。


「金が必要だった。忍び込んだら鉢合わせて…仕方なかった。二人とも、すぐに始末した。」


高橋の瞳が揺れた。


警告音だけが、虚しく響き続ける。


林はただ黙って二人を見つめ、呼吸を潜めていた。


「お前…何?」


高橋の声は掠れ、震えていた。


だが、怒りに燃えるでもなく、ただ茫然と佐藤を見つめた。


佐藤は目を逸らさず、淡々と続けた。


「言わなきゃ死ねなかった。このまま、黙って死ぬのは嫌だったんだ。」


高橋はしばらく黙り込んだ。


制御室の空気はますます重くなり、酸素の薄さが彼らの意識を締め付ける。


やがて、高橋が口を開いた。


「佐藤…俺たちは、同じ業を背負ってここにいる。そして、死ぬんだ。」


彼の声は静かだったが、どこか決然としていた。


「最後の最後に、そんなの関係ないだろ。


それに、今まで黙っていて、この状況で口を開くのは、相当な覚悟がいる。…だから、俺は佐藤を許すよ。」


佐藤の目が一瞬揺れた。


だが、すぐに顔を伏せ、呟くように言った。


「…そうか。」


林はただ黙って二人を見ていた。


彼女の目は、恐怖と何か言い知れぬ感情が交錯しているようだった。


時間が無情に過ぎていく。


酸素濃度が低下するにつれ、空気はますます息苦しくなった。


林の体は弱り、彼女の顔は死人のように青ざめていた。


やがて、彼女の呼吸が止まり、静かに椅子に沈み込んだ。


高橋は彼女の手を握ったが、すでに冷たくなっていた。


「林…」


高橋は呟き、目を閉じた。


だが、すぐに立ち上がり、制御パネルに向かった。


諦めきれず、救助信号を繰り返し送信し続ける。


佐藤は黙ってその背中を見つめていた。


酸素残量:30分。制御室は墓場のようだった。


林の亡骸が二人を見下ろしているかのように、静寂が支配していた。


高橋は信号を送信し続け、かすかな希望に縋る。


佐藤はただ黙って座り、時折、高橋の背中に視線を投げていた。


そのとき、制御パネルに光が点滅した。


外部からの通信だ。


「こちら救助船アルテミス、エクリプス号、応答せよ!」


高橋の顔が輝いた。


「助かった…!」


彼はパネルに駆け寄り、応答しようとした。


その瞬間、背後でかすかな足音が響いた。


佐藤が音もなく立ち上がり、高橋の背後に忍び寄る。


手に握られたのは、制御室の工具箱から取り出した鋭いナイフだった。


「佐藤…?」


高橋が振り返った瞬間、ナイフが彼の喉を切り裂いた。


鮮血が制御パネルに飛び散った。


高橋の目は「なぜ」と叫ぶように佐藤を見つめた。


佐藤は冷たく笑った。


「だって、俺、お前に罪を告白しちまったじゃないか。


助かるなら、黙ってた方が良かった。悪いこと、口にしちまったな。」


高橋の体が崩れ落ち、床に血だまりが広がった。


佐藤は冷静にナイフを高橋の手元に置き、まるで彼が自分で喉を切ったかのように見せかけた。


そして、救助船に応答した。


「こちらエクリプス号!生きてるのは俺だけだ…助けてくれ!」


救助船アルテミスが到着したとき、制御室は凄惨な光景だった。


林は椅子に倒れ、高橋は血にまみれ、ナイフを握りしめて息絶えていた。


佐藤は震える声で説明した。


「酸素が…残り少なくなって、高橋は錯乱したんだ。自分で喉を切って…俺は何もできなかった。」


救助隊のリーダー、岩崎は眉をひそめた。


酸素残量を確認し、高橋の喉の傷と手に握られたナイフを見た。


「錯乱、か…」


彼の声には疑念が滲んでいたが、証拠はすべて佐藤の言葉を裏付けるように見えた。


林の死、高橋の手にあるナイフ、そして佐藤の震える演技。


佐藤は救助船に連れられ、エクリプスの暗闇を後にした。


だが、彼の心には、高橋の「なぜ」という目と、林の虚ろな視線が焼き付いていた。


許しを得たはずの男は、結局、己の罪を再び血で塗り潰した。


宇宙の果てで、警告音は止まり、静寂が支配した。


だが、佐藤の耳には、永遠に高橋の最後の息遣いが響き続けるのだった。

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