青春は時間の価値を知る前だからこそ

 青春、若き時代のいい思い出として残っている人が多いと思う。

 もちろん青春時代にあまりいい思い出がなかったり現代では学校にいけてなかったなんてこともあるはず。

 日本の物語において青春はスポットが当たりやすくそこで生まれるドラマは甘酸っぱく時に熱く時に切ない。

 しかし、どうしてこんなにも青春が良いものとして表現され、いまもなお物語で高校時代がメインで描かれるのか。

 それはまだ時間の価値を知らない頃にあった刺激的な毎日だからではないかと推測してみる。


 これは個人的な考えにはなるが幼稚園や保育園は親元を離れ、小学生からは自立や勉学や集団行動の初歩から基礎を学び、中学では応用し、高校ではそれらを使ってある程度自由に選択することができる。

 では大学はどうか?

 正直、大学はもう少しだけ勉学に励む部分、もしくは社会に出る前の最後のステップとして機能してほしいと考えているが現在そうじゃない大学も多分にある上、高校の延長という側面が強い大学もあるだろう。

 責任と自由のバランスが恐ろしいほどにちょうどいいのが高校時代。

 制限があるらこそできることは限られその中で奮闘し時に制限を破る。子どものころに友達と入ってはいけない場所に入るようなあのワクワクとドキドキが無知ではなく自らの意思で明確に選択できる年齢なのだ。


 物語を書く人間はみんな大人だ。

 どれだけの社会経験をしていたかはわからないがいろんな経験をしてきた人たちがいる。それでも比較的青春物が目立つのは一つは理由がいらないという部分もあるのだろう。

 大人になると出会いや交流や行動に理由を持たせなければいけない。

 これは非常に面倒でパズルゲームのような連鎖を意図的に作るのと同じ。

 あの人物とこの人物が交流していてあそこから登場する人物と実は幼馴染で~みたいなことをしていってようやく関係を持たせ、物語を違和感なく進められる。

 その点、高校ってのは自由であると同時に嫌でも学校という箱庭で出会いが発生する。さらに移動手段や時間も選べるし家族を出す出さないも選べる。作り手的に便利な設定なのだ。


 それでもやはり面白くなければみんな書かない。

 そこに魅力があり場合によっては自分ができなかったことを物語に落とし込む人もいるかもしれない。

 入ったばかりの時はいつまでも続くと思っていた高校生活。

 しかし3年なんてほんとにあっという間。なのに3年間で経験してきたことを鮮明に思い出せる。辛い日々も過ごしたし楽しい時もあった。

 まだ感受性が鈍る最後のタイミング。

 だからこそ、大人になった時に青春に対して強い思いができてしまう。


 理想の青春を過ごせた人はおそらくそう多くない。

 物語で描かれる青春を見て自分もこんな風に過ごしたかったと思うかもしれない。

 でも、それは書いてる人もまた同じ気持ちかもしれない。

 いまを楽しめなどと簡単ことはいえないが、青春を取り戻せない以上青春以上のものをいまやるしかない。

 時間を取り戻したいという気持ちがあるのなら、いまの時間を無駄にしてはいけないだろうと思うのです。

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