いまやってなきゃ明日もないんだよなって
子どもの頃と何が違うかなってのをふと考えてみた。
いろんな出来事や見ているものがいまよりも刺激的で新鮮だったことはもちろんだが、それはもう取り戻すことが難しい感覚。
じゃあ、ほかに何が違うかなって考えると肉体の軽やかさと未来のことをさほど考えず今の時間が一番だったということかなって。
もちろん子どもの頃も明日のことを考えることはあった。
台風になってお休みなるといいなとか、明日はテストかぁ~とか。
でも、いまってそんなレベルじゃなくもっと先の未来まで考えてしまっている。
このままで自分の人生いいのだろうかとか、このまま何もできず終わるんだろうかって。
それぞれ立場ができたり安定した生活が整い始めたりで、子どもの頃より無責任に動けなくなったことが理由の一つでもあるだろうけど、 結局のところ未来ってのは今の連続の先にあるもので今の自分のまま特に変化せず生きたならその延長線上の平坦な未来にしかならない。
不摂生や睡眠不足で体が悪くなるように物事は連続で行わなければいけない。
よく言われるコントロールできないこととできることを分けて考えて、いま自分に降り注いでいる不幸のどの部分がコントロールできるものだったのかを一度確かめた方がいいかもしれない。
例えば、僕はYouTubeチャンネルを作ってみたりこうやってエッセイを書いてみたり、あと現在はショートの物語を書いたり、Xでフォロワーを増やしてみようと思ったりと行動をしてみている。
しかし、結果はとてもいいものとは言えない。
YouTubeは8000人登録になったものの二年かけてこの結果では正直褒められたものではないだろう。順当に時間をかけて登録者が増えたようなものだ。ある意味必然。
Xに関しては交流もいまいちやってないし小説に関しちゃ長編を書き始めることができていない。ここ数日は何も投稿できなかった。
もしこのまま同じ生活を続けていたらどれだけ大きな夢を描こうと、結果を望もうと叶えることはできない。だって、なにもしてないのだから。
夢を叶えるというのはロマンあることで素敵なものではある。
とくに夢を叶えた人の言葉なんてのは勇気をもらえることもあるし、時に自分の行動力に繋がる。
だが、おそらく夢を叶えた人たちの道中は修羅の道だ。
僕らが想像できない苦労がそこにはたくさんあって、精神的肉体的にボロボロになりながら、時には家族や友人とトラブルになったこともあるはず。
そんな背景を知らずにハリボテの思いと薄っぺらな言葉を並べて夢を語り望んでも何も結果は出ない。
いま見つめなおすべきは今をどう生きているか。
おおげさな話ではなくすごくシンプルな話。
今やっていることが夢に繋がる行動なのか、望む何かに繋がる行動なのか。むしろ利用できるのか。
そんなに休む必要があるのかそんなもの食べてる暇があるのか友達と会うような時間があるのか。
夢を叶えるということは、目は血走り血尿たらしながら殺意で続けた先にあるのかもしれない。
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