自らレッテルを張って動けなくなってないか?
他者から優しい人だねとか正直な人だねとか、頼りになるねとか明るいよねとか、ふとした時に言われることってのはあるだろう。
それが正しいかどうか置いといて、少なくとも言ってる人本人がそう見えていることは事実であり、こっちがどうこうしたところ変えられるものではない。
そのため、他者からの印象と言うのはもう好きにさせておくしかない。
しかし、中には自らをどういう人間かとレッテルを張る人もいる。
別にこれが悪いことと言うわけではないが、むしろそのせいで生きづらくなっている人もいるんじゃないかとたまに思うのです。
なりたい人や憧れの人の真似て自分に特殊な部分をつける人もいるし、特定の事象から逃げるために得意じゃないと、苦手だと決めつけて自ら流布する人もいる。
それくらいならまだましだけど、例えば昨今の性別の話などは結構めんどうになってくる。
大人になって性別や性癖を理解しているならおそらくちゃんと認識してる上で、公言してるのだと思いたいが、若い時ってのは感情の変化でつい妄言をいってしまうことがある。
中二病のあれと同じようなものだ。
別にレズだろうとゲイだろうとノンセクシャルだろうと、周りの人からすればどうでもいい話なのだがそれを自ら公言し発信してるってのは何かきな臭いものを感じる時がある。
表現し発信する時は常に何かしらの返しを求めている時だ。こうやって文章をつらね雑なエッセイを書いてるのも、誰かの目に留まり良くも悪くも感想を書いてくれないかと淡い期待を抱いてるからだ。
期待してないなら最初からノートか鍵垢のSNSにでも書いておけばいい。
ちょっと脱線してしまったがつまり何が言いたいかと言うと、世の中のトレンドやお洒落感で性別や性癖なんかを変えてわざわざ発信してる人がいるのではないかということ。
ほかにも自分は金持ちで~とか、海外旅行によくいってて~とか、そういう人間として発信し生きていくと常にそういう振る舞いを要求される。
となると金に困ってる話なんか一切できないのに、現実とのギャップ苛まれたり愚痴を言えなかったりとするわけで。
要はキャラ設定を現実の自分とかけ離れたものにすると結果的に苦労をするのは自分だし周りを常に裏切り毎日嘘をついてる状態になって、それに気づいた時に罪悪感に苛まれることもあるよねってこと。
でも、自分を全力でこういう人間だとレッテルを張り、さらには洗脳していけばもしかしたら本当にそうなれるかもしれない。
洗脳で好きなものを嫌いになるのならその逆も可能なはずだ。
中途半端なごっこ遊びをするから苦しくなるわけで、人生賭けた本気の洗脳ならぶちぬけることもあるかも。
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