AIイラストが嫌いというわけではないが

 ここ数年でAIイラストの生成能力は爆発的に向上しものによっては一瞬わからないレベルまで進化している。今後さらに技術があがり細かく変化をつけて個性も出始めたらいよいよ人が書いたのかAIなのか見分けはつかないだろう。

 ただ、AIイラストに対して強い嫌悪感を示す人たちもいる。気にしてないふりをしつつも胸の内は穏やかではない人も多いと見える。

 これは作るという行為、クリエイターという存在が昔よりも大きい存在で夢があり憧れの対象になったことが一つの理由じゃないだろうか?


 いまでこそ手塚治虫、藤子不二雄、高畑勲、宮崎駿、富野由悠季、新海誠、庵野秀明などアニメや漫画に関わる人はかなりの知名度を誇っており、現代ではイラストレーターやゲームクリエイター、トラックメーカーに至るまで名を広げることができる。

 

 しっかりと実力があれば拡散し誰かの目にとまりやすくなった時代だからこそクリエイター時代に突入したと言える。

 

 実力の有無はおいといて多くの人たちがクリエイターとして何かを作り日夜ネット上にアップしている。ただ同時に、多くの人たちがクリエイターとして活動するということは、比較される対象もまた増えてしまっている。

 表に出す以上は常に批評の対象となり、心無い言葉を書かれることもある。

 しかし、そんなつらい日々を越えて続けた人のみが職業としてクリエイター活動を続けている。


 そんな中、AIは指示すればある程度綺麗なイラストが生成できてしまうヤバイ代物だった。

 現代ではまだ見分けはつくし時折おかしなイラストになるが、AIの動画生成をみればすぐにでもそこそこのクオリティのアニメーションを作ってもおかしくないと思えてしまう。

 

 素養がなくても頑張る人たち、凡才でもなんとか食らいつこうとする人たち、必死にクリエイターになった人たち。

 そんな人たちからすればいきなり現れた手軽に作れるツールは驚異でしかない。

 自身の個性を確立した人ならまだしも、志半ばの人たちからすれば中々肯定しづらいものだ。


 もちろんAIを利用し武器にできればいいのだが、どうもクリエイターというのは職人気質な思考を持ってしまう人もいて、素直にうなずけないのだ。

 いずれ今以上にAIは作る世界にも浸透してくる。いや、いまもすでにアニメーションの世界でさえ使用している。

 コンテンツの消費スピードがまだ遅くならないのなら、いずれどこかに妥協点をみつけAIを利用していく必要がある。


 自分としてもAIが物語を書けてしまう以上なんら他人ごとではない。

 ただ、それよりも物語の世界。もっといえば小説や本の世界は、まず読む人が減少中と言う根幹の問題もあるのだけど。

 

 作るという行為の延長線上に稼ぐという行為があるが、作るの手前には楽しいがなければならない。

 稼ぐ先行ではAIに負けてしまう。

 今一度、なぜ自分が作るのかに戻ってみるのもいいかもしれない。

 

 

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