第5話 友達

 私の家は、神保町の古書店街にある。 曾祖父の代から古本屋をやっていて、細々とだが、矜持を持って今日まで続いている。店主は、今年七十になる祖父だ。父は丸ノ内でサラリーマンとして勤めているが、休日は店に入り浸って、本の仕分けや接客を手伝っていた。

 私も、高校を卒業したら、美大かアート系の専門学校に通いながら、店を手伝おうと思っている。祖父が大切に守っている店は、私たち家族みんなにとって、心地よく身を寄せられる大樹だった。

 まちも、ときどきうちに遊びに来る。最初は、私の家だとは知らず、本を探しに、客としてうちに来たのだ。

「あれ、秋さんの家、ここだったの?」

 古い詩集と文庫本を手に、奥のレジまで来たまちは、私がいるのに驚いたのか、目を大きく見開いていた。

 休日の彼は、当然ながら学ランではなく、他の男子と変わらないような、活動的な私服に身を包んでいた。誰かに着せられたのではないかと思われる、ゴスロリ風の燕尾服なんかじゃなくて、よかった。私は初めて、彼を「人間」だと感じた。 「おじいちゃんの店なんだけど、手伝ってるの」

 私は、電卓の数字に目を落として、言った。同級生はあまり来ないからと、気を抜いた服装でいることが妙に恥ずかしかった。  趣味の、人形を専門に扱った雑誌を熱心に読んでいるのを見られたのも、心の中を覗かれたみたいで、照れくさい。 「そう。じゃあ、お願い」

 まちは特に気にした様子でもなく、ナチュラルに本を台に載せる。見られて恥ずかしいような本は読んでいないのだ、彼は。  買ってくれた本のうちの一冊は、武者小路実篤の『友情』だった。

 意識してかなりゆきかはともかく、友達を作ろうとしない彼が、こんなタイトルの本に惹かれるなんて、おもしろい。

 そう思ったのが顔に出てしまったのか、まちは小鳥のようにまっすぐに私の目を見つめて、訊いた。

「秋さんは、この本、読んだことある?」

「え、あ、うん」

 一読したことしかないけれど、私はうなずく。読書家の父に、誕生日プレゼントとしてもらって、中学生のころに読んでいた。

「友情って、どう思う?」

「えっ」

 いきなりの質問に驚いたが、彼はどうやら、この小説ではなく、「友情」というもの自体について、尋ねているようだ。 「うーん……。私、友達少ないから」

 そういった哲学的なことに対しての自分の考えを、常にしっかり持っているわけではないので、私の答えは、とても高校三年生とは思えない、幼稚なものになってしまう。抽象的な事象について、あたりまえに「議論」を交わしていた時代の学生たちに比べたら、ずいぶん幼くて頼りない。一人で考え事をしているときには、それなりの結論を手にしているようなつもりになっているのに。こういっただいじなときに口から出てこなかったら、何の意味もないように思える。

「友達、欲しい?」

 まちは、挑発するような瞳で、さらに訊いてくる。 

「いないよりは、いたほうが……」

 私は考えた末にまた、頭の悪そうな回答をしてしまった。 

 本当は、それほど強く、無二の親友が欲しいなどと思ったことはない。いつも本に埋もれていたせいもあるかもしれないけれど、一人でも、孤独だとはあまり感じなかった。家族が身近にいるおかげかもしれないし、お客さんと話す機会が多いからとも考えられる。何より、私には、「画家になる」という夢と、「コンクールで入賞したい」という欲が常にあったから、寂しさの入り込む余地がなかったのだろう。

 高三にもなって彼氏がいたこともないけれど、それもあまり気にしてはいなかった。一生絵を描いていられるなら、恋人には恵まれなくたっていい。

 初めて「絵を描くのが好きだ」と認識した小学生のころ、神様に祈ったのを覚えている。

「私の一生ぶんの恋愛運をさしあげますから、どうか夢を叶えてください」

 夢なんて、他力本願ではなく努力で叶えるものだと悟ってからは、あまり考えなくなっていたことだ。

「僕は、友達、できない気がするな」

 まちは、レジのそばにあった丸椅子を引き寄せながら、つぶやいた。

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