35 最後の欠片
翌日。
私たちは、須藤家の客間に居た。
私と響哉さん。
そして、育ての両親。
ついでに、佐伯先生が居るのは何故かしら。
「わざわざご足労頂きありがとうございます」
スーツ姿の響哉さんは丁寧に頭を下げた。
「いえ。
こちらこそ――。
まさか、真朝が兄の写真を見たいと言ってくれる日が来るなんて。
夢のようです」
お父さんはそう言うと、私を見てにこりと笑った。
傷ついてなんて無いみたい――。
その現実が、私をとりあえずほっとさせた。
「大量にあるわけでは無いんですが――」
それでも、開いてくれたアルバムには、ママとパパが写っていた。
今まで薄っすらとした影でしか思い出せなかったパパの顔。
私の記憶を完璧にするのに必要だった、最後の欠片――。
少し気弱そうで、お調子者っぽくって、笑顔が素敵なパパ。
数枚の写真が引き金になって、私の脳裏に昔の映像がいくつもいくつも鮮やかに甦ってきた。
手を伸ばせば、届きそうなほど鮮明に。
「パパ――」
頬を滑り落ちる涙を隠すほどの余裕は、もう、なかった。
それは、淋しさや辛さがもたらした涙ではなくて。
ただ、溢れんばかりの記憶が、液体化して滑り落ちたかのように、温かい涙だった。
「少し、彼女と二人で散歩してきても?」
私が泣き止んで落ち着くのを待ってから、お父さんがそう切り出した。
「どうぞ。
紅茶でも飲みながらのんびりお待ちしています」
響哉さんはそういうと、ヘンリーさんにお茶の準備を頼んでいた。
私は啓二お父さんの申し出に従って、二人で庭に出た。
新緑の匂いが心地良い。
この年になると、お父さんと二人きりで歩くなんてなかなかないことで、なんとなく照れくさい。
「ある日急に須藤さんがうちにやってきて――。
真朝の記憶を取り戻すべきだと、熱弁をはじめたんだ」
お父さんは、ぽつりとそう喋りだした。
「元々、二人が婚約関係にあることは知っていた。
だから、二人で暮らすための詭弁かと勘繰ったりもしたけれど。
両親のことを思い出すことは彼女にとってもきっとプラスだと、須藤さんは真剣にそう言った。
もちろん、記憶を取り戻すにあたっては問題ないという医師の所見もあるし、無理強いはしない、とも――。
ただ、その目的を明かして真朝を誘っては何の意味もないとも言われて。
だから、あんな形で真朝を家から出すことになってしまった」
無口なお父さんが、珍しく長く喋るので、私は黙って聞いていた。
「本当は、年頃の大切な娘を男と同居させるなんて、耐えられないんだが――」
ふぅ、と、お父さんは苦々しい笑いを浮かべた。
「兄貴と同じで、お父さんも、どうも須藤さんには言いくるめられるようだ」
「でも、結果として、真朝が兄貴の写真を見たいと言い出してくれたこと、本当に良かったと思っている。
――だから。
目的も達成したことだし、家に帰ってこないか?」
お父さんが足を止めて真っ直ぐに私を見てそう言った。
え、と。
私は目を見開く。
「うちは四人家族だからな。
真朝が居ないと、どうにもこうにも淋しくていけない」
「――お父さんっ」
響哉さんのお陰で、涙腺が緩くなったのか。
さっき泣いたせいか。
あんなに、両親の前で涙を見せないと決めていた私の頬を、簡単に涙が伝って行った。
「――うちは、四人家族なんだ」
お父さんは、もう一度、大事なものを噛み締めるようにそう言った。
「でも、まぁ――。
家族はどれだけ離れて暮らしても、家族に違いないからな。
どうしても一緒に行きたければ、そうすればいい」
私が泣き止むまで辛抱強く待っていたお父さんは、私の肩を抱いて、そう呟いた。
まるで、花嫁の父のように複雑な心境を隠さないままに――。
「でも、お父さんもお母さんも、いつでもお前の帰りを待っているよ。
たまには、連絡してきなさい」
分かったね、と、諭されて私はこくりと頷いた。
そうして、照れ隠しに思わず空を見上げた。
青く、澄んだ空はどこまでも優しく、大地を包み込んでいた。
見上げなかったから気づかなかっただけで。
お父さんもお母さんも、実の両親と何ら変わらぬ深い愛で、ずっと私を包んでくれていたんだ。
――あの日から、今まで、ずっと――。
そういえば、お父さんは、写真で見たパパの顔に、よく似ていた。
兄弟だもの、当たり前かもしれないわ。
遠くにしかないと思い込んでいた、最後の欠片は、実は私の身近に最初から存在していたなんて――。
「ありがとう、お父さん」
「なんだ、改めて。
照れるじゃないか」
お父さんは、顔を背けてそう言った。
「いいの、いいの。
お腹すいちゃった。私たちも美味しい紅茶、いただかない?」
「そうだな」
私は、バージンロードを歩く花嫁のように、お父さんの腕に手をかけて庭を歩いた。
「ただいま」
客間に戻ると、三人が談笑しているところだった。
「私たちも美味しい紅茶が飲みたいの」
「いいよ、ヘンリーに淹れさせようね」
響哉さんは手配してから、口を開く。
「今、話してたんですけど。
今から、真一と朝香ちゃんのお墓に皆で参りませんか?」
そう、お父さんに向かって切り出した。
「良いですね」
「私、お花持って行きたい」
響哉さんは、紅茶とケーキを持ってきてくれたヘンリーに、花壇の花を使って花束を作らせるよう頼んでくれた。
両親の記憶をなくしていた私は、お墓参りをするのも初めてだった。
それは、郊外の霊園にあった。
広々としてとても綺麗なところで、まるでピクニックにでも来た気持ちになる。
それでも、車から降りた私は、少し戸惑って響哉さんの手を掴んだ。
「ねぇ――。
パパとママ、私があまりにも遅すぎて、私のこと忘れちゃったり――してないかな?」
「そうかどうか、聞いてみようか」
響哉さんはふわりと笑う。
「万が一忘れてたら、俺が、思い出させてあげるから心配しないで」
くしゃりと頭を撫でられて、私も勇気を持って足を進めた。
お墓がとても綺麗なのは、きっと両親が面倒を見てくれているからだ。
それなのに、私ときたら――。
「ほら、こうやって水をかけて。
そう、それから、お花を供えて――。
線香はここ」
皆が、私に手順を教えてくれるのが、くすぐったくて、そして、嬉しかった。
言われたとおりに、線香の匂いを鼻にしながら、お墓の前で手を合わせる。
パパ、ママ――。
遅くなってごめんね。
真朝だよ。
こんなに大きくなっちゃった。
分かる?
ねぇ、忘れていてごめんね。
思い出したから――。
もう、忘れたりしないから――。
安らかに眠ってね。
ぽたり、ぽたりと大粒の涙が下に落ちていく。
葬儀のときに、泣けなかった分まで、全部。
柔らかい風がそんな私を慰めるかのように、頬を撫でていった。
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