36 Sweet Lover

「サイアクっ。

 何、それ」


ゴールデンウィークの明けた5月6日の朝。


来月からアメリカで暮らすと告げた私に、梨音は頬を膨らませた。


「でも――。

 そしたら、もう、梨音が誰かに付き纏われることも無いし」


ほっとして欲しくてそう言ったのに、梨音が唇を尖らせたので、私はとても驚いてそう付け加えた。


「何、まだアイツのこと気にしてるの?

 あれは、真朝のせいじゃないし――。

 仮に真朝のせいでも、全然構わないのに。

 あんなことで、楽しい毎日が消えちゃうなんて、私、納得行かないわっ」


今から須藤 響哉のところに乗り込んでやる、と、学校を早退しようとする梨音を、強引に引っ張って保健室に連れて行く。


「花宮。

 ここは、よろず問題解決所じゃないぞ」


佐伯先生は、ドアを開けた私を見て、やれやれと肩を竦めて見せた。


「だって、梨音が。

 響哉さんのところに抗議に行くって言うんだもの」


「――俺のところに、何の抗議?」


予想外に響哉さんの声が聞こえてきて、びっくりした。


今朝、私を見送った後――。

監督が早速送ってきた台本に目を通すって言ってなかったっけ。


またも勝手にベッドに寝ていたらしい響哉さんが、カーテンの向こうから出てきた。


梨音は一瞬驚いたようだが、それでも唇を開く。


「真朝を攫っていかないで下さいっ」


「俺は別に、人攫いじゃない。本人も合意の元だよ」


響哉さんは涼しい顔でそう告げる。


「何が合意よっ。

 どうせ、口八丁で丸め込んだんでしょう?」


「人聞きが悪い」


響哉さんは苦笑を浮かべた。


「――だって、真朝が居なくなったら、私、淋しいじゃない――」


ぽつりと、梨音が小さく呟いた。


別に、梨音の友達が私しか居ないなんてことはない。


それでも。

――親友がそう言ってくれるのがとても嬉しかった。


「大丈夫だよ、梨音。

 離れていたって、友達だもん。そんなの変わるわけないじゃんっ」


お父さんが、離れていても家族だと私に告げてくれたように、今度は私が、梨音に教えてあげなきゃ。


「――そうだけど」


梨音にしては珍しく、弱々しい声だ。


「それに、自分だって彼氏とラブラブなのに、人の恋路を邪魔しちゃいけないと思うよ」


しれっと、佐伯先生が言葉を挟む。


――彼氏?


思わず、先生と梨音を見比べる。

梨音の頬には明らかに朱がさしていた。


「――どうして知ってるんですか?」


「生徒のことには気を配ってるの。

 これでもね」


一応、『先生』ですから、と。

先生は片目をつぶって見せた。


「梨音、彼氏出来たんだ」


前の彼氏とクリスマス直前に別れたのは知ってたけど。


「だって、真朝って彼氏とキスも出来ないくらいオクテだから……。

 その――。

 色々話すのも気が引けて」


てへ、と、梨音は照れた顔で笑ってみせる。


い――色々っていうのは、その――キス以上の色々な話かしら。


「それは是非とも、たっぷり聞かせてやって欲しいものだな」


響哉さんが意味ありげな視線を私に向けてからそう言った。


その言葉で、私たちにまだ肉体関係が無いと悟った梨音は、意地悪な目を響哉さんに向けた。


「――お断りします。

 真朝には、いつまでもいまのままで居て欲しいもの。

 せいぜい、禁欲生活をお楽しみになったらいかがかしら。鼻先にニンジンをぶら下げられたまま走る馬みたいで素敵じゃないですか」


――あ、梨音が復活した。


呆気に取られる響哉さんと、勝ち誇った梨音を見て、思わず私は頬を緩ませていた。


「本当に可愛くないね、梨音ちゃんは。

 おいで、マーサ」


力づくで抱き上げられた私は、悲鳴さえもあげることができない。


「――だから、ここのベッドをそういうことに利用するなって言ってるだろ?」


先生の呆れた声も響哉さんの耳には入らないみたい。


「折角だから梨音ちゃんにも聞かせてあげようか?

 マーサの初めての声を」


――いやいやいや。


言ってる意味が分かりませんけど。


ベッドに押し倒された私は、思わず身を捩る。


「――授業に戻ります。

 後は二人でお幸せに」


梨音は感情の見えない声でそう言うと、本当に保健室から出て行った。


――やぁ、梨音。

  私を置いていかないでっ。


「じゃあ、俺も煙草吸ってこようっと」


――いつも、ここで吸ってるじゃないですかっ


「留守番よろしく」


と、言い捨てて、佐伯先生は保健室から出て行った。


「――ほら、孤立無援」


響哉さんは形の良い瞳を細めて、笑みを浮かべる。


狭いベッドの上で組み敷かれた私は、どうしていいか分からずに瞳を閉じた。


ふわりと、頬を響哉さんの手が撫でる。


「冗談――。

 ゴメン、悪かった。

 怖がらせたかったわけじゃない」


私はそんなに怯えた顔をしていたのか――。

響哉さんは私の身体を起こして抱き寄せた。


「マーサが出て行ってしばらくしてから、あの女から電話があって」


――あの女――


それは、母親である響さんのことに違いなかった。


「7月18日の海の日に、婚約パーティーをすることになったって言うから、じいさんに招待状を渡しに来て、ついでに頼太にも報告に来た」


「――そう。

 決まったんだ」


「明日、土曜日だから衣装合わせに来て欲しいって言うんだけど――。

 どうかな?」


「私は大丈夫」


面倒そうに言う響哉さんに、私はにこりと笑って見せた。


「ゴメンね、あの人すっかり張り切っちゃって」


「平気。

 大丈夫よ、響哉さん。

 ――一緒に来てくれる?」


「もちろん」


こうして、少しずつでも私が、不器用な親子の架け橋になれればいいな、なんて。


実は密かに願っていた。


チャイムが鳴ったので授業に戻ることにした。


「授業が終わった頃に迎えに来るよ」


「ありがとう」


触れるだけのキスをして、教室に戻る。


梨音は、少しだけ照れた顔で私のところに来て


「今年の夏休み、家族旅行の行き先をロスにしてもらったら、マーサに逢えるかな?」


と、言ってきた。


「当たり前じゃない。

 日程が決まったら教えてね。私も、向こうの様子、知らせるね」


「うん、楽しみにしてるっ」


「だから、彼氏の話、してよね。

 月曜日の放課後、時間空けて」


「――あれ?

 まだ、その話忘れてなかったか」


「忘れるわけないでしょーっ」


とりあえず、写メ見せなさいよ、と、照れる梨音にじゃれついた。

これで、私たちはすっかり元通り。


友達と仲直りするのなんて、とても簡単で、すごく楽しいことなのだ。


もちろん、平日は学校に通いながら、空いた時間に須藤家で婚約パーティーの打合せをしたり、ロスに行く準備をしたり、それでもその忙しい時間を縫って梨音をはじめ、友達と遊び、時には実家に帰って両親や弟と積もる話をするうちに、一ヶ月は瞬く間に過ぎていった。



――6月某日。


私はドキドキしながら、成田空港に居た。

サヨナラパーティーは、前日に盛大に開いてもらったので、今日ここに居るのは、私と響哉さん、それに佐伯先生だけ。


交わす言葉もなくて、なんだか気まずい。


私は響哉さんの手を掴んで、佐伯先生を見た。


「今からハネムーンに向かう新婚さんみたいでしょ?」


「いや」


と、佐伯先生は肩を竦める。


「今から家族旅行に行く親子にしか見えないな」


「意地悪なんだから」


私は頬を膨らませる。


「でも、7月に帰ってきた時には、どこからどう見ても、sweet loverにしか見えなくなってるんだろうな」


「――当たり前だろ?

 身体つきだってきっと、今とは違ってるよ」


響哉さんが口を挟む。


いくら、周りに人が少ないからって、昼間の空港でそういうことを堂々と言うのは止めてもらえます?


「じゃあ、その変貌ぶりを楽しみに残り少ない教職生活を味わうとするか」


気をつけて、というと、先生は踵を返して行ってしまった。


「――もう、響哉さんっ」


「何?」


悪びれもしない、甘い笑顔。

一ヶ月以上一緒に過ごしたのに、未だに慣れるなんてことはなくて――。


私の心臓は、どきりと高鳴る。


「何、じゃなくて。

 私は――」


「まだ、そういう関係にはなりたくない?」


響哉さんは意地悪だ。

本当に夜、一緒に寝るときにはキス以上のことは何もしないくせに。


こうやって、どうしようもないときに、いつも私の気持ちを確かめに来る。


――言葉にするなんて、とても、恥ずかしいのに――


「もういいっ」


私は、セキュリティーチェックに向かって歩き出す。

響哉さんはくすくす笑いながら、私の手を掴んだ。


「迷子になると困る」


「迷子になんてならないもんっ」


搭乗口だってもう、どこかちゃんと分かってるし、パスポートもちゃんと持ってるわ。


「何言ってるの。

 マーサが居ないと迷子になっちゃうのは、俺の方だよ。

 だから、しっかり捕まえといて」


頼むよ、と、響哉さんは甘く微笑む。


――だから。

  あんまりよくないんじゃないかしら。

  そうはいっても人目のあるところで、こんなに顔を近づけるのは。


「――響哉さん、その――。

 人が見てる」


「いいよ、別に。

 見せ付ければ」


「だって――」


だって、響哉さんは有名な俳優なんでしょう?


「俺にとっての一番はマーサで、二番目以降は何も無いって、何回言わせるつもり?」


言って響哉さんはくすりと笑って付け加えた。


「もちろん、お望みとあらば、何万回でも言うけどね」


私は頬を赤らめたまま、歩くほか無い。


本当に、響哉さんって顔が良くて口も上手くて――。

ワガママで、自己中で、自分勝手で、謎だらけで――。


それなのに、どうして。

私は響哉さんを見ているだけで、顔が笑っちゃうのか不思議で仕方が無い。


響哉さんの趣味がマジックだから?

私はとっくに、何かの魔法にでもかけられちゃったの?


「ほら、手を離さないでって言ってるだろ?」


出国審査が終わってパスポートを片付けていると、響哉さんがそう言って、私を捕まえに来た。


「出国審査は一人ずつなんだから、仕方ないじゃないっ」


「そう?

 じゃあ、そういうことにしておいてあげる」


俺はオトナだからね、なんて呟くのは、どういう冗談のつもりかしら。


「――ねぇ、ロスについたら、さらに謎が増えました――ってことは、ないわよね?」


「当たり前だろう?

 もう、マーサに隠していることなんて、何一つないよ」


早足で歩きながら、響哉さんが笑う。


いつも以上に陽気なのはきっと、しばらく『須藤家』のことを忘れていられるからに違いなかった。


そんな笑顔を見ていると、こっちまで釣られて嬉しくなってくる。



婚約パーティーまでの一月(ひとつき)ちょっと、だけでもいい。

今までのしがらみも、この先の憂鬱も。


何もかも忘れて、きっと楽しく過ごせるに違いない。



楽しい新生活に期待を込めて、私たちは一歩ずつ確実に搭乗口に向かって足を進めていった。



Fin.

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Sweet Lover 華寅 まつり @matsuri

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