34 告白-3-
夕食も、入浴も終えて、ベッドに横になったのは夜の11時頃。
「安心していいよ」
と、私を腕に抱き寄せて響哉さんが口を開く。
「――何のこと?」
「マーサがどれだけ暴走しても、アイツみたいにはなれないし――。
万が一、そうなりそうだったら、俺が全力で止めてやるから。
だから、安心していっぱい心配や迷惑をかけてくれればいい」
「――変なの」
どこか矛盾したその言葉に、私は思わず頬を緩ませる。
「駄目かな?」
「――いいよ」
10年もあればきっと。
私の考えだって変わるはず。
良かった、と。
相好を崩した響哉さんは私の唇にキスを落とす。
それだけで、満ち足りた私は、響哉さんの腕を枕に、深い眠りに落ちていった。
遠い、サイレンの音に目が覚めた。
それは、どんどん近づいてくる。
私は思わず飛び起きた。
隣に、響哉さんは居ない。
がちゃりとドアが開いて、響哉さんが戻ってきた。
その間にも、どんどんサイレンの音が大きくなって、胸に不安が広がっていく。
「――どうしたの?」
「なんでもないよ」
本当になんでもないことのように甘く微笑む。
「だって、サイレン――っ」
おいで、と、響哉さんが私を抱きしめる。
「オダが、鳩舎に火をつけたんだ。
――ヘンリーは、ヤツに火のつくものなんて持たせてなかったつもりだし、縛り付けたままだったのに、どうして火をつけたのかは不明。
あそこは遠いし、今夜は風も無い。ここに飛び火する心配は無いからちょっと騒々しいけれど気にせずにお休み」
「駄目よっ。
響哉さんの思い出の場所なのに――」
鳩も亡くなって、鳩舎も無くなるなんて淋しすぎるじゃない。
慌てて駆け出そうとする私の手を、響哉さんが掴む。
「駄目だよ、マーサ。
せめて、着替えて。俺も着替えるから」
二人で急いでパジャマから、平服に着替えて外に飛び出した。
鳩舎は炎に包まれている。
放水によって、炎は小さくなっていて、私たちが近づく頃には、すっかり鎮火されていた。
暗くてよくは見えないけれど、辺りはまだ焦げ臭い。
消防士さんが慌しく走り回っていた。
「危ないから、あまり近寄らないほうがいい」
「――でもっ」
気づけば私は泣いていた。
「響哉さんの大事なものでしょう?
それなのに――」
――酷い。
「ほら、戻るよ」
響哉さんは私を抱き上げて、混乱の中から抜け出し、静かな部屋へと戻っていく。
焦げ付いた匂いが、鼻腔にこびりついていて、ひどく不快な想いがしたけれど、私は促されるままにもう一度パジャマに着替えなおした。
「マーサ。
人は二度死ぬって知ってる?」
私が泣き止むと、響哉さんはベッドの中で、静かにそう切り出した。
「――え?」
「真一と朝香ちゃんの葬儀で、お坊さんから聞いた話なんだけど。
一度目は肉体の死。
そして、二度目の死は、生きている人の記憶から完全に消え去るときに訪れるんだって」
響哉さんの声は、耳に心地良い。
「先月、ヘンリーから久々に連絡があったんだ。
俺の鳩――、最後の一羽が亡くなったって言うね。
その時、俺は不意にこの話を思い出した。
それでね、マーサ。
頼太とも相談して、このタイミングで日本に来ようと思ったんだ」
響哉さんは私の髪をことさら優しく撫でながらそう言う。
「お節介だとも思ったけれど。
でも――。
やっぱり、真一と朝香ちゃんを、甦らせてあげたくて。
マーサの中に」
私は思わず顔をあげた。
これが、本当の理由なんだ。
響哉さんが私のところに現れた――。
「啓二くんにも相談した。
彼も、その方がいいと言ってくれた。
娘にくれぐれも手は出すなと、散々釘を指されたけどね」
苦笑してから、キスくらいは許容範囲だよねと、言い訳するように呟いて、私の唇を優しく奪っていく。
「どうせ、鳩舎も壊すほかなかったし。
アイツに燃やされたのは心外だけど――。
耐えられないことじゃない。
だから、もう、泣かないで」
良い子だから、と、響哉さんは私のこめかみにキスをする。
私は、妙に納得が行って思わず頬を緩ませた。
「じゃあ、目的を達成したから、独りでアメリカに帰るのね?」
「――人をこんなに夢中にさせておいて、そんな意地悪を言う子に育つなんて――」
響哉さんはオーバーに嘆くと、腕の中に私を抱き寄せた。
「一緒に来るってマーサが言ってくれたんだろう?
ゴールデンウィークが終わったら、パスポートの申請に連れて行く。
転校の手続きは俺に任せて」
決定事項のように、響哉さんがそう告げる。
「婚約パーティーのことはもう、母親が夢中になっているから任せることにした。
――いい?」
母親、と口にするときだけ、酷く苦いものでも噛んだかのように顔をゆがめる響哉さん。
――いいわ。
そのわだかまりは、私がなんとかしてあげる。
きっと、そのうち。
「駄目って言っても、そうするくせに。
本当にワガママなんだからっ」
私が冗談めかしてそう言うと、響哉さんは瞳を細める。
「でなきゃ、俺じゃなくなるからね」
「ズルイっ。
響哉さんだって、自己中じゃなくなるんだからっ。
――10年後には」
「――そう?
じゃあ、その日を楽しみにしてようか」
言うと、小さく欠伸をする。
「今日も早いから、もう、寝ていい?」
「うん。
――でも、一つだけお願いがあるの」
「一つなんてけちなこと言わずに、たくさんお願いしてくれていいのに」
私の話を聞き終わった響哉さんは、にこりと笑ってそう言った。
それから、
「いいよ。
時間と場所、打ち合わせておくね」
と言うと、電池が切れたロボットのように瞳を閉じて、動かなくなった。
私もつられて瞳を閉じた。
翌日は、一緒に会場に入って、そっと後ろから響哉さんが出ている映画を見せてもらうことにした。
――その、翌日も。
スクリーン越しに見る響哉さんは、響哉さんで居て、そうではなかった。
キャラクターはまるで別人。
でも、どんな役を演じても、その人に成り切っていて――。
不意に響哉さんを遠くに感じて、私は何度も何度も、あれはフィクションだと自分に言い聞かせないといけないほどだった。
ちなみに、オダはあの火災で死んでいた。
詳細は教えてもらえなかったけれど、警察の調べでは、ロープは歯で食いちぎっていたという。また、肛門にマグネシウムファイアスターターと呼ばれる小さな発火装置を忍ばせていたと言う事だった。
何かあったら焼身自殺を図る――
彼の自室には、そのようなメモがあったとも言う。
また、須藤 響哉に関する資料の数は膨大だった、とも。
大好きな男の大切な思い出の場所と一緒に遺灰になれたことは、オダにとって至福の喜びだったに違いなかった。
イベントの翌日、レストランを借り切って、スタッフの方とささやかな打ち上げを行った。
イベントは大成功。
DVDの売上も、記録的だったと言うことで、配給会社の社長もとても嬉しそうだった。
本当は2日は学校だったけれど、私と佐伯先生は学校をサボってその席にいた。
佐伯先生は、午前中は学校に行っていたらしい。
私は午前中、パスポートの申請をした。
パーティーには、帰国直前のリチャードソン監督もやってきて、『キョーヤ・スドー、次の私の作品に出てくれてありがとう』と、皆に言ってから慌しく帰っていった。
響哉さんに、キャンセルさせないためのパフォーマンスに違いない。
スタッフの中には、マスコミ関係者も居るので、明日のスポーツ新聞にはきっと、この話が大々的に載るのだろう。
さらにその翌日は、久々にマンションに戻って響哉さんと二人きりでのんびりとした時間を過ごした。
響哉さんはソファに座って、音楽を聴きながら私を膝に座らせる。
「明日――」
気まぐれに、頬や髪にキスを降らせていた響哉さんは、唐突に真剣な顔で切り出してきた。
「なぁに?」
「啓二くんに、娘さんを抱かせてくださいって頼んでもいい?」
私は思わず顔を赤らめて、自分で自分を抱きしめた。
「――だ、駄目よ」
そんなこと、真顔で切り出されたらお父さんだって困るに決まってるわ。
「じゃあ、俺はいつまでこうやって我慢してればいいのかな?」
言うと響哉さんは、私の腰を抱き寄せて、さっきまでとは違う、深いキスで私の口腔内を貪った。
恥ずかしいほど湿った音が、部屋に広がる。
柔らかいソファに背中を押し付けられていた。
「――怖い?」
響哉さんが私の頬を撫でながら、そう聞いてくる。
「マーサが嫌だって言うなら――いつまでだって、待つけど――」
言葉とは裏腹に、その声には不服そうな色が混ざっている。
情熱を隠しきれない黒い瞳に、吸い込まれそうになる。私は抗おうと、必死になって彼の瞳を見つめていた。
「優しくするから――」
響哉さんは熱っぽく囁いて、官能を誘う手つきで私の唇や耳をなぞっていく。
別段、それに流されてはいけないなんていう決まりはないに違いない。
――でも。
最後の1ピースが欠けているから、私は行為に踏み切れない。
眉間に皺を寄せた困った顔の私を見て、我に返った響哉さんは手を止め、押し倒した私を抱き上げてくれた。
「――ゴメン。
その――」
「大丈夫。
響哉さんは待ってくれるわ。私の心の準備が出来るまで。
――そうでしょう?
だって、私のお兄ちゃんだった人だもの」
「ズルイな、マーサは」
言葉とは裏腹に、響哉さんは目尻を下げていた。
「ズルくなんてないもん。
キョー兄ちゃん、抱っこして」
私はわざと、小さな子供のように甘えた声でそう言った。
「いいよ。
おいで、マーサちゃん」
この時ばかりは、響哉さんも、ただ子供を無条件に抱き寄せる父親のように、官能の色をゼロにして私を抱き寄せてくれた。
私の中で、何故かその時ようやく、記憶の中のキョー兄ちゃんと、目の前に居る響哉さんが、カチリと小さな音を立てて、重なった。
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