34 告白-2-
その後、全てを綺麗に清算した監督を先生にホテルまで送って貰い、私は客間に居る梨音とようやく顔を合わせることが出来た。
「真朝、大丈夫?
真っ青じゃない」
先に心配されたのは、残念ながら私の方。
「――ゴメンね、梨音――」
「まさか。
真朝が仕掛けたわけじゃあるまいし。
謝らないで」
梨音はもう落ち着いたのか、にっこりと笑ってくれた。
「でも」
「仕方ないわよ。
私だって須藤 響哉と面識が無いわけじゃないし。
実害はなかったから、心配しないで」
「でも――」
「悪いのは俺で、マーサじゃない」
声に驚いてドアを見ると、響哉さんが立っていた。
「――終わったの?」
「ちゃんと最後まで仕事はしたよ」
お陰で手が痛い、と、響哉さんは形の良い顔を崩して笑った。
「マーサ、真っ青だ。
ほら、おいで」
抱き寄せられそうになって、私は慌てて逃げた。
「駄目なのっ。
梨音に謝らないと……っ」
「だから、真朝のせいじゃないって言ってるじゃない。
須藤さん。
私も落ち着いたので、家まで送ってもらってもいいですか?」
「ああ、手配させよう」
響哉さんは内線でヘンリーを呼んだ。
私は、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、情けないことに、ただ、梨音を見送ることしか出来なかった。
「いつも、肝心なときに傍にいてあげられなくて――ゴメン」
響哉さんは、距離を空けてリビングのソファに座る私を困った顔で見ながら謝る。
私は無意識のうちに爪を噛みながら、床を見つめていた。
「――響哉さん。
私も、すぐに一緒にアメリカに行く」
ああ、と、響哉さんはふわりと笑う。
「その話なら頼太から聞いたけど――。
俺は別に、そういう風にマーサをはめようとしたわけじゃない。
監督の作品に出て問題ないと言ってくれるなら、ほんの一ヶ月半くらい、一人で過ごせる」
だから心配しないで、と、頭を撫でようと、いつものように手を伸ばしてきた響哉さんの、手首を掴んで首を横に振る。
「――違うの。
私がここにいたら、また、梨音に迷惑かけないとも限らないし――」
だから、もう。
ここには居たくない。
響哉さんは一度伸ばした手を諦めて引っ込めて――。
そうして私を油断させた後、あっさり腕の中に抱き寄せた。
私が少々もがいたところで、腕の力を緩めてくれる気にはなれないらしい。
「放してっ」
「嫌。
マーサ、諦めて、大人しくして」
艶やかな、甘い声。
「嫌よっ。
もう――嫌なの。
私――」
これ以上喋ると泣いてしまいそうで、私は諦めて唇を閉じる。
「独りで泣きたい?」
響哉さんはズルイ――。
「泣きたいに、決まってるじゃない」
だから、独りにして欲しい。
こうやって、優しく抱きしめて私を安心させるのは、やめて欲しい。
「――お願い、響哉さん。
分かって――」
涙を堪えて搾り出す声は、三日月の月光のように淡く儚い。
「分かって欲しいのは、こっちの方だよ」
響哉さんは半ば強引に私の顎を持ち上げながら、顔を覗き込む。
だから、見たくなかったのに。
私のことが、心配で不安で堪らないという彼の表情なんて――。
私は、誰かに心配させたり、迷惑をかけたりするのは嫌なの。
成分の100パーセントが優しさで出来ているその視線から逃れたくて、ぎゅっと瞳を閉じる。
溜まっていた涙が、目尻から落ちていく。
響哉さんの唇が、涙を止めるかのように頬に触れた。
「どうして、俺に心配させてくれないの?
迷惑かけてくれないの?
嫌われるとでも思ってる?」
一際、ゆっくり発声される声は、別段私のことを非難なんてしてなかった。
ただ、淋しくて溜まらないと、その声音は告げていた。
「良い子にしてないと嫌われるって思ってる?」
響哉さんは無言のまま逃げきろうと思っている私に、さらに重ねて聞いてきた。
「――だってっ」
耐え切れず私は、唇と瞳を開く。
「嫌われたくないとか、そういうのじゃないもんっ。
ただ、自分のことで、誰かに迷惑かけたくないの。
私――、そうなっちゃ駄目だと思って今まで頑張ってきたから」
両親の事故死のことで、しばらく混乱していた私は、気づけば義理の両親と弟と一緒に暮らしていた。
養ってもらっていることに感謝して――良い子にしてなきゃ。
私は、実の子じゃないから――心配かけないようにしなきゃ。
自然にそう思うようになって、何が悪いって言うの?
困ったな、と、響哉さんはため息をつく。
でも、もう、彼の端整な顔は涙で霞んではっきりとは見えなくなっていた。
「俺の傍では泣いて欲しいって言ったよね?
それも、本当は納得できない?」
「だからこうして泣いてるじゃないっ」
私は思わず
「そうだね」
と響哉さんは言うと、顎から手を離し、再び私を抱き寄せた。下を向いた途端、また、瞳に溜まっていた涙が落ちていく。
「じゃあ、マーサはどうして俺のこと、嫌いにならないのかな?」
響哉さんが私の髪を撫でながらそう囁く。
「――え?」
「周囲にやたらと、心配や迷惑をかけてワガママに過ごすのは、俺の
それなのに、どうして一緒に暮らしたいって言ってくれるの?」
私は、もう、感情で胸がいっぱいになっていて何もいえなかった。
コンコン、と、ドアがノックされる。
扉が開いた。
「もう、お時間は8時を過ぎたのですが、夕食はどうなさいますか?」
ヘンリーさんの声だ。
「食べれる?」
響哉さんの声に、夕食という言葉で空腹を覚えた私は小さく頷いた。
「そうだな。
じゃあ、上の部屋に持って上がって」
「承知しました」
ヘンリーさんが出て行った。
「答えは、いつでもいいから。
分かったら教えてくれる?」
響哉さんはそう言うと立ち上がった。私はソファに身を沈める。
「それにしても」
ドアまで歩いた響哉さんが、足を止めて振り向いた。
「馬鹿みたいに広すぎる屋敷だろう?
ここには毎日、いろんなことを頼みに来る奴らが大勢居る」
響哉さんは静かな口調で語り始めた。
「言葉巧みに無理難題を押し付けるヤツ。腹黒いヤツ。もちろん、本当に助けを必要としているヤツも、ね。
それを全て見極める術なんてない。
だから、他人の言うことなんて聞いちゃいけない。
己を信じて突き進まないと、道に迷った挙句、誰かのせいにしないといけなくなる」
だからね、と、響哉さんの唇が苦笑で歪んだ。
「だから、ワガママで自己中であるべきだと、俺はそう教わった。
それに忠実に生きてきたつもりだ。
だけど――」
響哉さんは言葉を切って、一瞬、天を仰いだ。
そうして、人間が誰も足を踏み入れたことが無い深い山奥にひっそりと存在する湖の如く澄み切った瞳で私を見つめた。
「道に迷って全てを失うとしても、俺は――。
マーサの言葉にだけは耳を傾けたい」
私は、しばらく言葉が出なかった。
それは、嬉しさで胸がいっぱいになったせいなのか。
それとも――。
好きで好きで仕方がないという感情が暴走しているせいなのか。
はたまた――。
理由なんてさっぱり分からない。
けれども。
響哉さんの言葉は私の胸の奥にある、前人未到の柔らかい部分をぎゅっと掴んで離さない。
おいで、と言われたわけでもないのに、マリオネットのように私はふらりと立ち上がり、ドアのところで待ってくれている響哉さんの手を掴む。
大きな手は暖かく、震えている私の手を包み込む。
「マーサが人に迷惑も心配もかけない生き方を望むなら、反対はしないけど――。
俺のことだけは例外枠に入れてくれない?」
無理ばっかり言うのね、と、私は苦笑する。
でも、響哉さんは私の指に自分の指を絡めながら、話を続ける。
「もちろん、今の考えをすぐに変える必要なんて無い。
10年後に、そうなってくれればいい。
気は長いほうなんだ」
――10年後――?
首を傾げる私に、響哉さんは至極真面目な目を向ける。
「今の考えで、マーサは独り10年も頑張ってきたんだろう?
だったら、同じだけ時間をかけて、俺がゆっくり解(ほぐ)してあげる」
でもね、と、響哉さんは付け加えた。
「人を好きになるとか、人と一緒に暮らすとか、誰かと仲良くするってことは――。
その人からかけられる迷惑や心配も自分のできる範囲できちんと受け止めてあげるってことを意味していると思うけどね、本当は」
ここからは、俺の独り言だから聞かなくていいけど、と、前置きをして歩きながら、響哉さんは話を続ける。
「姪を引き取って育てます。
でも、心配や迷惑はかけて欲しくない――なんて思う人、居るのかな。
そもそも、彼女のことが心配だから、引き取ったんでだろう? 迷惑だと思ったら、自分の元で育てたいなんて言い出すはずもない」
響哉さん言葉には説得力があって、私は飲み込まれそうになる。
――でも。
おいしそうな食事がセットされたテーブルにつきながら、私は唇を開いた。
「じゃあ、オダは?
話、聞いたでしょう?
感情のままに突っ走って、その結果がアレよ」
「アイツは明日、警察に引き渡す。証拠の映像もあるし、梨音ちゃんも証言してくれるって言ってくれたからね。
まぁ、精神鑑定の結果、病院送りになる気もするけど」
そして、響哉さんは黙って食事を始めたので、私もそれに釣られるかのように食事を始めた。
ふと、ナイフとフォークを使う手に目が止まる。
「――握手、大変だった?」
「大丈夫。
別段、楽しい仕事じゃなかったけど、今夜はマーサとゆっくり眠れると思ったら、それだけで乗り越えられたから」
「後二日。
頑張ってね」
「――ありがとう」
穏やかな時間。
心配事や不安なんて抜きにして。
好きな人とは、ただずっと、こうして過ごしたいだけなのに。
それは私のワガママなのかしら。
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