33 駆け引き-2-
コンコン
ノック音に、二人で顔を見合わせた。
魚眼レンズで外を覗くと、佐伯先生が居た。
「佐伯――さんです」
ここで『先生』と言っていいのかどうか判然としない私は、そう、春花さんに告げた。
春花さんは躊躇いもせずにドアをあけた。
「お疲れ様です、先輩」
ああ、そうか。
響哉さんの後輩ってことは、必然的に佐伯先生の後輩にもなるわけだ――。
にこやかな笑顔は、従順な後輩を思わせる態度。
でも、先生はふぅとため息をついて、隣に居る監督を見上げた後で、春花さんに向かって言う。
「――お前、この俺をハメたろ?」
「嫌ですわ。
先輩をハメるだなんて、無力な私に出来るわけないじゃないですか」
春花さんは嫣然とした笑みを浮かべると、
「あら、まあ。
もう、こんな時間。
真朝ちゃん、先輩、それから、そちらのアナタ。
ごゆっくり」
と、何か言いたげな監督の傍を通り抜け、楽屋から出て行った。
「春花ちゃん、昔は無邪気で可愛かったのに、いつの間にああなっちゃったんだろうね」
いったんポケットから煙草を取り出した佐伯先生は、監督に「禁煙」と諭され、諦めて煙草を片付けながらぼそりとそう呟く。
――責任の一端は、先生と響哉さんにあるのでは?
私がそう口にする前に、先生はにこやかに微笑んだ。
「真朝ちゃんはいつまでも、今のままでいてね」
――それは、無理です、多分――
本音を伝えてよいものかどうか、考えあぐねているうちに、先生はリチャードソン監督に椅子を勧めていた。
「ランチは?」
「もちろん、彼女の心遣いでお弁当を頂いたさ」
やれやれ、と。
吸えない煙草を弄びながら、先生も椅子に座る。
「梨音は?」
「心配ない。
それより、真朝ちゃんの心が決まらないと、話が進まないんだけど」
「だから、どうしてそうなるんですかっ」
いきなり、事件の関係者にされた私は、頬を膨らませる。
「さぁ、それは響哉に聞けば?
俺が決めたルールじゃないし」
「――ですよね」
冷たく思えるほど冷静に、真実を告げられた私は、ふぅ、と、小さなため息をつく。
「響哉さんが望むなら、私は別に6月からアメリカで暮らしても、構いませんよ」
刹那。
先生は眼鏡の奥の瞳を丸く見開いた。
そうして、クッと、喉を鳴らして笑い出す。
ひとしきり笑った後、憮然としている私の頭を一撫でして、ご丁寧に目尻に浮かべた涙まで拭ってみせる。
――最低。
「この非常時に、良くそこまで楽しそうに笑ってられますね」
もちろん、私の皮肉に動じるような人ではない。
「そりゃ、俺の人生、大半は非常時・非常識だからね。
笑ってないと、やってられない」
先生の軽口が、冗談なのか重たい真実の告白なのか、私には見極める術が無い。
「それにしてもあれだね。
そこまで簡単に引っかかるともう、駆け引きというよりただの罠」
「――え?」
自覚の無い私は、首を傾げるほかない。
「いや、まあ。
別に。
気づかないほうが幸せってことも、世の中にはたくさんあるよ」
あからさまに目を躍らせても、もう遅いんですけど。
「先生、今更遅いですよっ。
どういう意味ですか?」
私は思わず噛みつく勢いでそう聞いた。
「まぁまぁ。
そんなにムキにならなくても」
「ムキになんてなってません。
気になってるだけですっ」
「お、それ、ゴロがいいねぇ」
話を逸らせようとする先生から、私は瞳をそらさない。
諦めたのか、先生は、仕方ないな、これは俺の勝手な推測で根拠はないよ、と。
言い訳がましく前置きをしてから、口を開く。
もっとも、疑心暗鬼になっている私としては、先生のその態度さえ、芝居なのかも――と、勘繰らずにはいられない。
まぁ、残念なことに、私がどれほど勘繰ろうが疑おうが、本当のことなんて微塵も見えてはこないんだけど。
「アイツ、どうして脇役ばかり選んでやってると思う?」
「そういう役がオファーで来るからじゃないですか?」
「あれ。
彼女の評価は手厳しいもんだね」
「――いや、そういうわけでは――」
だいたい、私にハリウッド映画界の仕組みなんて、わかるはずも無い。
「アカデミー賞なんて取ったあかつきには、彼女に
――はい?
今度は私が瞳を丸くする番だ。
そもそも、響哉さんって、『それなりの作品で何らかの役を演じれば、アカデミー賞はとれる』とまで思ってるわけ?
いくらなんでも――
「ある年なんて、わざわざアカデミー賞助演男優賞にノミネートするのは止めてくれって、噂になった段階で関係者にかけあいにいったくらいだもの」
「そんなの、通用するわけ――」
「普通は通用しないどころか、そんな行為自体禁止だろうね」
先生はなんでもないことのようにそう言うと、陽だまりで眠る猫のように柔らかい笑みを浮かべる。
全部冗談なのかしら。
それとも、兄の気持ちで微笑ましく思っているのかしら。
「な、んで?」
「世の中、誰も彼もが著名人や有名人を好むわけじゃない。
好きなところを歩き回れなくなるし、パパラッチから逃げなきゃいけなくなる。
朝香ちゃんはどちらかと言うと、そういうの嫌いだったからね」
――なんとなく、それは分かるかも。
「『有名になったら、ロクなことないわ。止めときなさいよ。須藤くん』
空港でも、まだ、そんな風に説得してた」
「だから、私もそうなのかもって?」
「そう。
ただ、今度の映画、監督は賞狙いでいきたいんだって」
――狙って獲れるような、生易しい賞ではないのでは?
「だから、真朝ちゃんがそれでも良いって言えば、一足早く向こうでクランクインしようと思っただけじゃないかな」
話の途中でがちゃりとドアが開いたのには気づいていたけれど、集中していた私は振り向くことが出来なかった。
「That's right.」(その通り)
背中で響哉さんの優しい声が響く。
「それで、彼女の答えは?」
「それは――」
うわっ。
私は思わず先生の目の前で手を振る。
「駄目っ。
言わないでっ」
「――俺は別にいいけど」
真剣な私に、先生は珍しくこくりと頷いてくれた。
その後、茶目っ気たっぷな笑顔を浮かべる。
――うう、なんとなく悪い予感。
「後ろの彼氏の血相は、変わってるけど。
それでよければ」
「きゃあっ」
先生の後半の台詞は、自分の悲鳴でかき消された。
だって、二人きりのときならともかく、目の前に人が居るのに抱き上げるなんてっ。
し、しかも、映画界の巨匠だよ!?
ちなみに、当の巨匠はにこやかに微笑んで私たちを見ている。
例えていえば、孫とその友人が手を繋いでいるのを微笑ましく眺める祖父のような感じで。
「ちょっと、響哉さん?」
真っ赤になって抗議の声を上げてみるけれど、響哉さんは涼しい眼で私を見つめるばかりだ。
「人が一生懸命働いている時に、他の男と秘め事する子とどっちが悪い?
それも、よりによって頼太とだなんて」
――ご、誤解だからっ!
私は、誤解誤解、と、何度も繰り返す。
「ねぇ、真朝ちゃん。
大抵の詐欺師は、自分のことを誠実だって言うもんだよ」
必死な私に、のんびりとそんな一般論を吐いてくるのは、佐伯先生。
「い、今はそんな一般論しなくていいですっ」
誤解が増すばかりでしょ?
「でも、不思議なことに、『俺は詐欺師だ』って口にしても尚、人を騙せるヤツもいるんだよねぇ」
……だから、なんなんですかっ。
「あのね、響哉さん。
別にものすごい隠し事をしているわけじゃなくってっ」
焦る私は、きっと、ますます怪しく見えているに違いない。
すごい至近距離で見る響哉さんの黒い瞳は、不服そうな色を宿していた。
「じゃあ、マーサは軽い隠し事は気にしないタチなんだ?」
「――え?」
私の頭に、衝撃が駆け巡る。
「響哉さん、基本的に私に、何もかも隠してるじゃないっ」
軽い隠し事、なんて生易しいものじゃないわよ。
響哉さんのしていることは。
「どこが?」
それなのに、響哉さんは不思議そうに首を傾げる。
「どこって。
だいたい、最初はアメリカで俳優していることも明かさなかったし、須藤家の次期当主ってことも黙ってたし。
――それから」
それから。
本当、ありすぎて、言葉にしきれないわ。
「無茶を言うね、マーサは」
それなのに、どうして響哉さんの方が呆れた顔をするのかしら。
私が無茶なんて言うはずはないし、言ってるとしても響哉さんのワガママと比べたら、数千分の一にしかならないはずよ。
「いい?
数週間前、花宮家で会ったときに『マーサちゃん、久しぶり。大きくなったね。ご両親の葬儀以来だ。もちろん、日々のマーサちゃんのことについては、それなりに知ってるよ。俺、君の高校の理事だからね。
マーサちゃんは俺のことなんてすっかり忘れていると思うから、改めて言うけど、俺、今アメリカで映画俳優やってるんだ。
日本ではもちろん、須藤家の次期当主――もちろん、マーサと結婚して子供が出来ればの話しだし、俺としてはそんなことどうでもいいと思ってるけど。
で、突然だけど今日から一緒に暮らさない?』――って切り出したら、どうしてた?」
とりあえず、よく口が回る人だなーと、感心したような気がする。
それから。
「家から追い出して、――それっきり」
いくらなんでも、胡散臭い以外の何者でもないじゃない。
そんな言葉を鵜呑みにして、ほいほいついていくような人なんて、一億人に一人もいないと思う。
「ほら、ね――」
と、切なそうなため息と一緒に、ますます私を抱き寄せる響哉さん。
「そうなると、もう、マーサと俺は、こんな蜜月な時間なんて過ごせなかったんだよ?」
なんて、囁いておもむろに頬にキスをした。
えええっと。
別段「蜜月な時間」なんて過ごしてないし。
佐伯先生も、いちいちそこだけ、honeymoonなんて訳さなくていいからっ。
嫌だ、もう――。
「世界ワガママ王選手権」があったら、三位にものすごい差をつけて、一位と二位の座を競いそうなこの二人を、誰かなんとかして――。
そうよ、例えば春花さんとか。
例えば、梨音とか――!
「梨音っ。
ねぇ、響哉さん。
梨音は?」
「梨音ちゃん?」
騒ぎ出した私を、響哉さんは諦めたように下ろしながら首を捻る。
「梨音ちゃんは元気だけど、何? ここに呼んで欲しいの」
その後、ぼそりと、マーサはワガママなんだから、と、付け加える権利が響哉さんにあるとも思えない。
「だって、私の代わりにオダか誰かに捕まってるんでしょう?」
「惜しい。
正確には、捕まってた」
そう言ったのは佐伯先生。
「誰が助けてくれたの?
警察?」
「――まさか。
国家権力には、あまり恩を売らせないことだ」
若干不穏な空気を纏った、先生の言葉の裏の意味までは探らないことに決めて、私は響哉さんに視線を戻す。
「誰が梨音を助けたの?」
私は響哉さんに流されないように、気合を入れて質問を口にする。
「ヘンリー」
なんでもない顔で、響哉さんが言う。
でも、私はなんでもない顔で、それを聞き流すことが出来なかった。
「――ヘンリーって、あの、執事のヘンリー?」
あの、にこやかで穏やかな空気を身に纏った好々爺が――?
「ヘンリーが、どうやって?」
「あの人、空手好きが高じて、道場破りがしたくて、来日したんだよ。
知ってた?」
先生が、のんびりした口調でそういった。
「――うっそ――。
全然そんな風には見えないけど――」
驚く私に、先生は笑顔を見せる。
「強そうなヤツが強くたって、ちっとも面白くない。
そうだろう?」
――面白いかどうかは、この際関係ないのでは――。
そう思うけれど、呆気に取られすぎて、言葉がすぐに出てこない。
「ほら、今度は佐伯に見蕩れてるし。
何があったの?」
お兄ちゃんに話してごらん、なんて嘯(うそぶ)きながら、響哉さんが背中から私を抱き寄せてくる。
「何があったも何も――。
事実を受け止めるのに時間がかかってるだけですっ」
「敬語なんて使って、他人行儀なんだから」
ついうっかり、口をついて出た言葉も、響哉さんは聞き逃さない。
「そんなつもりじゃないもんっ」
「――そう?
だったらいいけど」
――諦める。
もう、この際、響哉さんに後ろから抱き寄せられている状態っていうのは、――甘んじて受け入れようじゃない。
で、そちらの監督。佐伯先生に向かって、
『彼女、女優じゃないの?』
とか、
『次の作品で使いたいんだけど』
なんて、リクエストするのは止めてくださいっ。
私を混乱から救ってくれたのは、ノック音だった。
「握手会の準備に入ります」
春花さんがにこやかに部屋に入ってきた。
響哉さんは、ますますぎゅうと私を抱き寄せる。
私は、もう、諦めた。
「彼女がヤキモチ焼くからやめる――」
今日、お腹が痛いから学校サボる、と、平気な顔をして言い張るコドモのように、下手な言い訳。
「――焼いてませんっ」
私は真顔で春花さんを見る。
今にも人間に捕獲されそうな、野生動物のように必死な顔をしているに違いない。
「じゃあ、とりあえず気が済むまで真朝ちゃんと握手したらどうですか?」
春花さんは顔色一つ変えず、事務的にそう、響哉さんに提案する。
「――握手だけで終わり、なんてこと出来るわけ無いだろ?」
響哉さんはしれっとそういうと、私の頭にキスを落としてようやく身体を離してくれた。
「握手会、頑張ってね」
私が右手を差し出すと、響哉さんは手を握ると同時に腕の中に抱き寄せて、頬にキスをする。
「マーサがそこまで言ってくれるなら、頑張ろうかな」
なんとなく、頼りなさげにそう言うと、ようやく駄々をこねるのを諦めたのか、春花さんと一緒に出て行った。
「真朝ちゃんが甘いから、アイツをつけあがらせるんじゃないの?」
やれやれ、と。
嵐が去った後を見送りながら、先生が伸びをした。
「甘くなんてないですよっ」
「そう?
無自覚ってわけ」
別にいいけど、と、先生は立ち上がる。
「じゃ、行く?」
「――どこに?」
響哉さんの仕事が終わるまで、ここにいるのかと思っていた私は驚いた。
「おや。
これだから、彼氏に夢中な子は困る。
磯部のこと心配してただろ?」
「何処に居るの?」
「説明するより、行ったほうが早いだろう」
かくして私は、再びスカイラインに乗り込んで、――もっとも、今度は監督が助手席に乗っているので、私は後ろの席だけど。
「面白いもの見せてあげよう」
ほら、と、先生にノートパソコンを渡される。
何処に接続したのか、画面は、ヘンリーとオダ、そして梨音を映していた。
椅子に縛られている梨音。
突然部屋に入ってきたヘンリーに、驚くオダ。
「――これって」
「心配しなくても、これはリアルタイムな映像じゃない。
ま、黙ってみてれば?」
無音のまま、映像は続く。
何か喚き散らすオダ。
相変わらず、穏やかな笑みを携えているヘンリー。
だが、オダが、ヘンリーに向かって攻撃を仕掛けた一瞬後、オダは床に投げ倒されていた。
無音なのに、ばたんという音が、響いてきそうなくらい、華麗で見事な技。
これは、空手というよりむしろ合気道では――。
「はい、到着」
その声に我に返って顔をあげれば、――そこは、須藤家の屋敷。
「帰ってきたの?」
「そう。
ヘンリーがここに二人を連れて来てくれてる」
「――やり手ね」
「そりゃ、須藤家の執事だからね」
いや、執事としての仕事の枠を大幅に超えていると思われますが――。
「ほら、とりあえず黒幕に事態を沈静化してもらおう。
磯部ちゃんは、客間に居るはずだ」
言うと、監督と和やかに喋りながら、離れへと向かっていく。
私は一瞬躊躇ったけれど、結局二人を追っていくことにした。
事件の結末を、ちゃんとこの目で見ておきたいもの。
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