33 駆け引き-1-

メモのとおり、春花さんから預かったチケットとお弁当交換して、響哉さんの楽屋に向かう。


――でも、私そもそもここに来るなんて言ってないし――


それに、質問されたってどうしてここに居るのか、自分でも良く分からないし――。


どんな顔して、何て言ったらいいのかしら。


見知らぬ他人に逢うわけでもないのに、楽屋が近づけば近づくほど、心臓がばくばくと煩く騒ぎだす。



――あれ?

  私、もしかして緊張しているのかしら――


皆が足早に行きかう廊下を歩きながら、私は一人、速度が遅くなっていく。


――響哉さんは、絶対に躊躇ったりしないよね――



すごく平気な顔して、ベッドにあがってくるもの。

当たり前みたいに頭を撫でて、キスをして、抱きしめて――。


同じことを私にしろって言われても、どれもこれも上手くなんてできるわけなくて――。



どうしよう。

地図を辿った私は名札もない楽屋の前で脚を止めた。

ほとんど同時にドアが開く。


「あら、お弁当なら私が届けましょうか?」



さっきステージで通訳をしていたスーツ姿でキリっと決めた女性が、派手なメイクに満面の笑顔を浮かべてそう言った。

差し出された真っ赤なマニキュアで飾られた爪に、目が釘付けになる。


私なんてノーメークだし、服だって、他愛無い普段着だし……。



つい、怖気づいてしまう。



『忘れ物』


不意に聞こえた眠そうな英語に、私は顔をあげた。

響哉さんは彼女のものと思われる打ち合わせ用の本を強引に渡し、


『ランチボックス、奥に置いてくれない?』


と、それと全く同じ口調で私にそう言った。

でも、私にだけ向けられた黒曜石の瞳は、隠し切れない甘い光を帯びている。


「はい」


私はすり抜けるように楽屋の奥へと足を運ぶ。

シンプルでほとんどモノの無い部屋。


『どうして来たの?』


背中から聞こえる優しい声。


『それは――』


答える前に、背中から抱きしめられた。慣れた行為のはずなのに、心臓が飛び出しそうになる。

大きな手のひらが私の唇を覆うのは、盗聴器を危惧してのことかしら。


後ろ頭にキスが落とされるのを感じて、思わず瞳を閉じた。

響哉さんは私が握り締めていたメモをとって、それに目を通す。


「一応、春花もそこまで調べたってわけだ」


小さな声で呟くと、おいで、と私を抱き上げる。


「時間無いんでしょう?

 ご飯、食べないと」


身体が宙に浮いた私は、近づいた顔にドキドキしながら、そう言った。


陶器を思わせる肌、艶のある紅い唇。

宝石のような瞳に、針金でも入れたかのように筋の通った鼻筋。



何度見ても、どこで見ても。

見蕩れてしまうのは、響哉さんがその顔で、極上の笑みを浮かべてくれるせいかもしれない。


「ご飯を食べる時間なんてなくなってもいいけど、キスする時間がなくなるのは困る」


言うや否や、蕩けるようなキスが降って来た。


「――脅されてるの?」


お弁当を広げながらそう尋ねる。


「もっと他に言いたいことはないわけ?

 逢いたかったとか、淋しかったとか」


なんでもない顔で笑ってみせるそれが、余裕の現われなのか、私を安心させるためのものか、私には分からない。


「一晩逢えないくらいで、淋しくなんてならないもんっ」


私の言葉をどう受け取ったのか、響哉さんはくしゃりと頭を撫でてくれた。


私は、漂い始めた甘い空気を打ち消すように、言葉を紡ぐ。


――だって、時間が無いんだもん。


「リチャードソン監督って知ってる?」


「知ってるよ、どう――」


どうして? と、聞こうとした響哉さんが唇を閉じた。

眉間に寄せた微かな皺を私は見逃さなかった。


「佐伯先生に向かって、マインドマスターって言ってたから」


「黒幕、か。

 そういえば、彼の映画で、序章で主人公が、自分が黒幕だと告白するシーンがあったっけ」


響哉さんはひとりごちた。


先にお弁当を食べ終わった響哉さんが、スマートフォンを取り出した。


「お疲れ。

 何やってるの?」


電話の向こうで怒鳴り声がする。


「誰のせいでこんな目にあってると思ってるわけ?」


漏れ聞こえた声は、佐伯先生のもの。

響哉さんは電話を耳から離して、私に苦笑を送ってくれた。


「そういう宿命なんだよ。諦めろ。

 俺? マーサ次第でどっちでもいいって言っといて」


――私次第って?

急に私の名前が出てきてびっくりして顔をあげた。


「響哉さん、私がどうかしたの?」


「まさか、リチャードソンがここまで来ると思わなかったからね。

 マーサさえ良ければ、一回6月にアメリカに戻ろうかと思って」


響哉さんは、来週の休日何処に遊びに行くかについて話し合うかのような、軽い口調でそう言った。


それって、夏休み前にもう、アメリカで暮らすってこと――?


言葉がでない私を見て、ふわりと口許を緩ませると、


「返事は後でいいから」


と、柔らかく言って、立ち上がると電話で別の誰かと、打ち合わせ始めた。


食事を終えた私は、お弁当箱を片付ける。


「では、万事よろしく」


どうして急に声が耳元で聞こえたんだろうと思う間もなく、後ろから抱き寄せられる。


「うわっ」


「……そんなに驚かなくてもいいのに」


電話を切って、テーブルに投げた響哉さんはくすくすと笑いながらそう言った。


「……だって、今、気配しなかったよ?」


「そんなわけない。

 疲れてるんだよ、きっと」


甘い口調には、根拠の無い説得力がある。

私は黙ったまま、腕の中で向きを変えた。


「このまま全部投げ出してどっか行こっか?」


冗談でも無さそうに響哉さんが言う。


「駄目よ。

 今日の為に頑張ったんでしょう?」


それも、響哉さんだけじゃなくて、春花さんをはじめ、多くの人が。

それに、ファンの人だって、楽しみにしているのに。


「そんなワガママ言わないで」


響哉さんは一瞬目を丸くして、それからくすりと笑う。


「承知しました、お嬢様」


冗談めいた口調でそう言うと、額にキスをする。


「俺のワガママを止められるのはマーサだけだね」


ことさら柔らかい声が、そっと耳に注がれた。


「そういう大人げないこと言わないでっ」


強く言ったつもりの声は、予想以上に力が抜けていて、まるで吐息。


「大人げないことも言えるのがオトナの特権」


――だろ?

なんて、響哉さんは茶目っ気たっぷりに笑って見せた。


――な、なんて横柄な。


とっくに響哉さんの自己中ぶりには慣れていると思い込んでいた私も、空いた口が塞がらない。


響哉さんも、佐伯先生も、なんていうか――。

「良くないオトナ」の見本みたいな人たちなんじゃないかしら。


それとも私が知らないだけで――。

オトナって言っても、所詮は大きくなったコドモみたいなのが当たり前、なのかしら。


なんとなく、真実は私がオトナになるまで判らない気がした。


だから、諦めて、響哉さんの振りまく、角砂糖を溶けるだけ全部溶かした珈琲みたいな、眩暈のしそうな甘ったるさに負けないようにと気を引き締める。


「私に何か、手伝えることは無い?」


そうそう。

相手がコドモなら、こっちがオトナになればいいんだわ、きっと。


「あるよ、もちろん」


――ほら、ね。


「次は、数分のトークだけだから、ここで待ってて。

 マーサが待っててくれると思ったら、それだけで頑張れるから」


珈琲カップの底に溶けきれなかった角砂糖がざらりと残るほどの甘さで、囁くと響哉さんは歯磨きを始めた。


そのうちノック音がして、春花さんとメイクさんが入ってきた。

メイクを直した響哉さんは、慌しくステージに戻っていった。


「社長も少しは元気になったんじゃない? これでまた頑張ってくれるわね。ありがとう、真朝ちゃんのお陰よ」


独り残った春花さんが、どことなく得意げな笑みを浮かべてそう言った。



「利用しました?」


「あら、人聞きが悪い。

 真朝ちゃんも楽しかったでしょう? 

 社長も、真朝ちゃんも、私も幸せ。これぞ、Win-Winの関係だわ」


別に私が悪いわけじゃないわよ、なんて。

微笑む春花さんが、どこか腹黒く見えてしまう。


――オトナってやっぱり、大きなコドモなんかじゃないわ。

  多分、それよりもっと、ずっと、タチが悪いに違いない。

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