32 イベント-3-

翌朝――。


ゴールデンウィーク初日、イベント情報や道路渋滞情報に余念の無いワイドショーを私はぼんやりと眺めていた。


それによると、キョーヤ・スドーのDVDの売れ行きは今までの記録を塗り替えるほどの好調ぶりで、今日からの握手会を含めたトークショーのチケットは完売だということだった。


三日に分けた握手会。

――どう振り分けたのかしら。


短時間でそこまでやる春花さんの手腕は相当なものじゃないかしら。


「事務処理は大変だけど、飽きっぽい日本人にはこのくらいのやり方が向いているのかもな。」


行儀悪く、食後の珈琲を飲みながら歩いてきた佐伯先生が、そう言いながら私の隣に座る。


ベージュのチノパンにカジュアルな黒いシャツ。

眼鏡もかけて、今日の先生は『休日の佐伯 頼太』という感じ。


「昨夜、響哉に逢った?」


「いいえ」


さすがに、前日は忙しいのねと思ったくらいで、それ以上のことは考えてなかった私は素直に首を横に振る。


「じゃあ、やっぱり本当か――」


先生はぼそりと呟いた。


「何がですか?」


私は軽い気持ちで聞いてみる。


テレビでは丁度、お天気お姉さんがこの一週間全国的に快晴で過ごしやすいでしょうとにこやかに伝えているところだった。



先生は手を伸ばして私の肩を抱く。逃げる間もなく耳元に唇を寄せて囁いた。


「真朝ちゃん、騒いじゃ駄目だよ」


こくりと頷くのを見てから、先生は続ける。



「響哉が脅されてる――って」


低い声は突然、私の世界をモノクロに変えた。

お天気お姉さんの満面の笑みさえ、途端に色あせて見える。


「誰に?」


思わず声を荒げる私に、先生はいつもの軽い仕草で、しっと、おどけて見せるだけだ。


「折角の休日。テレビを見て過ごすのも退屈だろう?

 一緒にドライブでも楽しまない?」


いくらそれが、ナンパに慣れた青年の軽口を思わせるものであると言っても、今日ばかりは、私も、差し伸べられた手を掴まないわけにはいかなかった。


スカイラインの助手席に、私は祈るような思いで座っていた。


「でも――。

 今日はイベント初日なんですよ。響哉さんが居なければ、騒ぎが起きるんじゃないんですか?」


「だから、当然普通の顔してそこに居るに決まってるだろう?

 別に、拉致監禁されたってわけじゃない」


流れる景色を眺めながら、ふと、思いついたことを口にする。


「先生は昨夜、響哉さんに逢ったんですか?」


「そう」


「誰に何を脅されているんですか?」


「さぁ。

 それを確認に行こうね」


先生は、コンビニに弁当でも買いに行こうか、というくらい軽い口調でそう言うと、窓を開けて煙草に火をつける。

吹き込む風に、髪が揺れた。


眼鏡の奥の瞳が、きらりと光る。


「どうして、先生も響哉さんもこういう修羅場に慣れてるんですか?」


「あれ、そう見える?」


不思議だな、なんて笑ってみせる。


「そうにしか見えませんっ。

 響哉さんなんて、玄関を見ただけで、侵入者が居るかどうかを見破ったんですよ」


先生は、別段驚かない。

むしろ、楽しそうに瞳を眇(すが)めた。


「それはね。

 自分の身は自分で守れって言うのを実践してるだけ」


「度を越してません?」


「そう?

 足りないくらいだと思うけどね。

 実際、そこまで警戒していても真朝ちゃんは攫われたし、響哉は脅迫されている――。

 用心しすぎ、なんてこと、ありえないんだよ」


――確かに。

  私って、平和ボケしちゃってるのかしら――


黙り込んだ私は、差し詰めご主人からお預けをくらった子犬のように見えたに違いない。

先生はふわりと私の頭を撫でた。


「ま、こっちは慣れてるんだから。

 真朝ちゃんは安心して任せてくれればいい」


不意に耳に聞こえた優しい声は、気まぐれな春風を思わせた。


人でごった返している会場近く。

先生は当たり前のように関係車両として、車で地下駐車場に向かう。当然のようにスタッフパスを取り出して、私にも渡してくれる。


「どうして私を連れてきたんですか?」


決まってるだろ、と、軽く肩を竦める。


「君が響哉のアキレス腱だからだよ。

 家においておいたら、攫われる」


「ちゃんと護衛も居るのに?」


須藤家のセキュリティーはしっかりしている。

監視カメラもあるし、護衛の人もいる。


「力づくで攫ってくような相手になら、それも効果はあるんだろうな。

 カルロスみたいに」


おいで、と。

スカイラインから降りた先生に誘われるままに、私も車から降りる。


「でも、力づく以外にどういう方法があるんですか?」


先生は不意に私の肩を抱き寄せた。


「俺の言うとおりにしなければ、須藤 響哉に危害を加える」


ぞくりとするほど低い声が、静かに私の耳に注がれる。



「――なっ」


言葉と顔色を失って、足を止めて先生を見上げる。眼鏡の奥の瞳は、冷たい光を放っていた。


――修羅場に慣れた男に私が敵うはずもない。

  でも、どうして急にそんなことを。



呆気にとられて、先生を見つめるほか無い私を、無言でしばらく見つめた後、不意に顔を手で覆い、面白そうに笑い出した。


――冗談?


「ね?

 冗談でもそんな風になるんだから、本気で脅されたらもう――。

 どうなるか、わかるだろ?」


「――笑い事じゃないですよっ」


心臓が凍るかと思ったんだからっ!

なんて、悪趣味なのかしら。

腹を立てて歩き出す私の肩を、先生は慌てて掴んだ。


「離してっ」


振り払おうとする私を、再び先生が抱き寄せる。


「駄目だよ、真朝ちゃん。

 今は俺の恋人として振舞ってくれないと」


「離してくださいっ。

 言ってる意味が分かりません」


「それは困ったな」


全く手の力を緩めずに、ため息をつく。


「それじゃ、折角彼女が身代わりになってくれた意味がなくなってしまう」


「――身代わり?」


「そう。

 須藤 響哉の彼女は磯部 梨音。

 ヤツはそう勘違いしていたから、そのまま利用させてもらった」


「――どうして?」


「駐車場で張って、丁度見かけたのが二人が抱き合ってるところだったからじゃない?」


そこまで言われると、なんだか、冗談にも思えなくなったので、私は仕方なく先生に従うことにした。


「誰が張ってたの?」


パスを見せて、中に足を進めながら、先生に聞く。


「あれ、聞いてない?」


深刻な事態だと微塵も感じさせないような、軽い口調で先生は首を傾げる。


「もしかして、カーチェイスの……」


「正解」


よく出来ました、と、ぽんと頭をはたかれる。


「で、ソイツが今も私たちを見張ってるの?」


声を潜めて聞いてみた。


「まぁね。

 でも、きょろきょろしちゃ駄目。

 見張られていることに気づかないふりっていうのが大事なんだから」


……無理。

  私には、難易度が高すぎます、先生――。


当然の顔で控え室に向かう。


その途中。


「Excuse me.」


と、ロマンスグレーの髪を持つ初老の男に話しかけられた。


先生ははて、と首を傾げ、


「ソーリー、アイ キャント スピーク イングリッシュ」(すみません、英語喋れません)


と、片言の英語を口にした。


けれども、男は諦めない。


『あなたのことは存じています。××も読ませて頂きました』


途中の長ったらしい言葉は、私には聞き取れなかった。


「人違いでは?」


先生は軽く言いそうとするが、男はその手をがしりと掴んだ。


近くで見ると意外と背が高く、威圧感がある。

がしっとした鷲鼻に、彫りの深い顔立ち。

眉間に刻まれた皺が、彼の人生を物語っているようだった。


「ワタシ、ニホンゴ ワカリマセン」


男は、片言の日本語を口にする。


――狐と狸の化かしあい――?


そんな言葉が私の脳裏を掠めていった。


「But I know ODA.」(でも、オダのことは知ってます)


男の青みを帯びたグレーの瞳に、鋭い光が差した。


先生は、人当たりの良い笑顔を携えたまま肩を竦めて足を進める。



「I'm the mastermind.」


背後から響く、地を這うような一際低い声に、先生は足を止めた。


「マスターマインドって?」


私の問いかけと、先生がため息をつくのはほとんど同時だった。


「黒幕ってこと」


――く、黒幕?


それって、自分で言うことじゃないのでは……?


先生は、やれやれと髪を撫であげ踵を返す。

私が先生の後ろに隠れるようになったのは、きっと、偶然なんかじゃないんだろう。


『それは、直接Mr.スドーと話せばよいのでは?

 私に言われても、どうしようもありません、Mr.Richardson.』


諦めたのか、先生は流暢な英語を口にした。


リチャードソンって言うんだ、この人……。

っていうか、どうして先生は彼の名前を知ってるの?


『分かります。

 でも、彼は忙しい。ご理解頂けるとは存じますが、私は出来るだけ早くアメリカに戻りたいのです』


『つまり、彼を脅しているのは自分だから、協力しろ、と?

 とても、映画界の大御所がされることだとは思えませんね』


先生の軽口に、初老の男の顔色が変わる。


『大御所だろうが、無名だろうが関係ない。

 私には彼が必要なんだ、どうしてもっ』


彼の口調からは、溢れる情熱が迸っていた。


「先に入ってて」


先生に日本語で囁かれ、私はスタッフの控え室へと足を進めた。


「Who is she?」(彼女は?)


背中越しに声が聞こえる。


「She is my girlfriend.」(恋人ですよ)


しれっと言われても、困るんですけど。


――戻るべき?


一瞬躊躇するけれど、気づかないフリを装って、そのまま控え室の扉を開けた。


「こんにちは」


「あら、真朝ちゃんいらっしゃい」


笑顔で出迎えてくれたのは、春花さん。


「……ここに居ていいんですか?」


てっきりステージの方に居ると思っていたので、私は目を丸くした。


「いいのよ。

 今日はプロの司会者も雇ったし。ステージには専門家にお任せして、私は事務仕事に徹するの。握手会までにはまだ時間があるし、それまでは主に映画の上映会だから。

 モニターあるから、ここで見る?」


手帳を見ながら、春花さんは一気にそう伝えてくれた。


――それはつまり。

  忙しいからあなたの相手をする暇はないわよってこと――よね?



私はモニターの前に座る。

光沢のあるグレーのスーツをほどよく着崩し、いつもとは、また違う感じで髪を整えている響哉さんは、眩暈がするほどかっこよくて、私はモニターに釘付けになってしまう。


マイク片手に、椅子に座って脚を組みながら、耳に心地良い声で流暢な英語を紡ぎながら、次の映画の説明をしていた。


私がモニターに釘付けになっていると、別のスタッフ二人連れが、やたらとテンション高く部屋に戻ってきた。


「葛城さんっ。

 私、今、リチャードソン監督とすれ違っちゃいましたっ」


「もしかして、キョーヤ・スドーの次回作はリチャードソン監督の作品ですか?」


「そんな邪推は後にして。

 ほら、お昼になる前にお弁当の準備、最終チェックお願いね」


春花さんに早口に指示されて、はぁい、と、二人のスタッフは部屋から出て行った。


「あれ、リチャードソン監督だったんだ」


私の隣でモニターを眺めていた茶髪の女性が、ぼそっと呟いた。


「ご存知なんですか?」


「あら、知らないの?

 相当有名よ」


――でも、見かけたけど気づかなかったんですよね? という言葉はごくりと飲み込んだ。


「二度、オスカーを受賞しているし。

 最近は、クライムムービーにハマってるみたい。

 私は、ギャングシリーズが好きよ。ほら、知らない? 四人組が上手く警察を巻いて、強盗を繰り返す話。

 シリーズ最新作は『ギャング イン ラスベガス』。

 テンポも良くて、風刺も効いていて、ギャングが皆スマートでかっこいいのよ、これが」


――クライムムービー好きだから、最初に自分が黒幕だと名乗ったのかしら。


テンションが上がってきた女性の話を耳にしながら、私はそんなことを考えてしまう。


でも、そんな凄い監督が、日本の――お世辞にも一流ともいいがたいような――若手記者を使ってまで響哉さんを脅して、いったい何がしたいというの――?


「そろそろ、映画が始まるわね。

 悪いけど、これとお弁当をもってここに行ってくれない?

 お弁当は、ここに来ているはずだから」


春花さんが略図と手順を書いた紙を渡してくれた。


『盗聴器の無い部屋だから、安心していいわよ。上映時間は2時間だから、自分の分も取っていって二人でゆっくり食事してね。』


紙の端に、そう、書き添えてある。


愛らしく全体的に丸みを帯びた文字はきっと、仕事中には使わない、春花さんの素の筆跡に違いない。



――でも。

  それは逆に、ここには盗聴器が仕掛けてあるという風にも取れた。


「そんな――、私が行きましょうか?」


隣の女性が顔をあげる。


「結構よ。

 引き続きモニターチェックをお願いね」


有無を言わせぬしっかりした口調。

そして、春花さんは、私にだけ見えるようにウインクを投げてくれた。


途端、キャリアウーマン然とした姿は崩れ、愛らしい女性に変わる。




――ほんの一瞬、だけれど。

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