31 At home-2-
「頼りないね」
ため息混じりの低い声が聞こえ、私は思わず身体をびくりと震わせた。
「――覗きなんて、趣味が悪い」
「だったら、部屋のドアくらい閉めておけ」
入り口でそう言った佐伯先生は躊躇いもせずに、部屋の中に入ってきた。
「ちょっと……響哉さん?」
焦った私が身じろぎしているのに、私の上に居る響哉さんは、むしろ艶やかに微笑むばかりで、困った様子は微塵も無い。
「そう。
閉め忘れていたなんて気づかなかったな」
――嘘ばっかり。
言いながら、響哉さんは私の首に巻いてある布を外していく。
「これ、包帯に変えてくれる?」
「……ハイハイ。
いくらでも変えてあげるから、そこ、どいてくれない?」
「嫌だ」
「……きょうっ」
驚いて目を見開く私とは対照的に、
「だろうな」
と、佐伯先生があっさりと受け止めるから、余計に混乱してしまう。
「ちょっと、先生っ」
「必要なものを持ってくるから、ちょっと待っててね、真朝ちゃん」
……って、あっさり踵を返して出て行くのも止めて下さい……
「ちょっと、響哉さんっ。
放してよ」
同じテンションでもがく私を、傷ついた子供のような瞳で覗き込むのはどうかと思うの。
「――どうして?」
「恥ずかしいもんっ」
「別に、恥ずかしがることなんて何もないと思うけど」
言った後に、唇を耳に近づけて囁いてくる。
「それとも恥ずかしいことして欲しい?」
――既に十分恥ずかしいんですけどっ
響哉さんは、それでも私の上から、左隣へと場所を代えてくれた。
ただ、腕の力を緩めてくれる気はないみたい。
「泣いてくれたら放してあげる」
「……意地悪っ」
そう言って見ても、本当に渾身の力を振り絞って逃げる気になれないのは、私を見つめている黒い瞳があまりにも優しくて――人里離れた夜空で一際輝く星のようでもあって――吸い込まれそうだから。
響哉さんは私の髪を整えながら、頭をそっと抑えた。
途端、冷たい感覚とびくりとするような痛みが首の傷に走る。
「……痛いっ」
「だろ?
こんな意地悪な男と一緒に居ると、もっと痛い目にあわされるかもよ?」
上の方から聞きなれた声が降りてきて、ようやく私は首の痛みが佐伯先生がつける消毒液によるものだと知った。
――いつ、戻ってきたのかしら――
「……えっと、治療の前に一声掛けてもらえませんか?」
「響哉には目で知らせたんだけどなー」
先生はしれっとそう言うと、私の右手をとった。
「起き上がっちゃ、駄目?」
私はごく当たり前の質問をしたつもりなのに、響哉さんは「駄目」の一言でそれを制した。
しかも、響哉さんの手が、私の頭に乗せられたままなので、なんとなく起き上がりづらい。
「はい、左手もね」
先生は手際よく、手錠ですれた両手首を消毒し、ガーゼと包帯を巻いていく。
「……さ、俺が出来るのはここまで」
「――え?
でも、これじゃお風呂に入れないわ――」
「一日くらい入らなくても大丈夫。
寝付くまで傍に居てあげるから、今日はもうこのままお休み」
響哉さんは、佐伯先生がそこに居るというのに、起き上がることも、躊躇うことさえなく、私を腕の中に抱き寄せる。
「ちょっと……っ。
私、靴も脱いでないし、服も着替えたいし。
それにっ」
私は響哉さんを振り払って起き上がる。
「アイツはいったい何て言ったの?
先生、教えてください」
乱れた髪をほとんど無意識のうちに撫でて整えながらそう言った。
「靴は脱げばいい。
服も脱がせようか?
アイツが言ったことはまた明日にでも教えるよ。
今日はとにかく、ここでこのまま休むんだ」
先生はそう言って、私の左手を掴んだ。
「あまり手を動かすと、痛むだろ?」
不審そうな目の私に向かって、先生はなんてことない顔でにこりと笑う。
「知ってる?
響哉、今朝、俺に手錠を注文してくれって頼んだんだぜ?」
「手錠……?」
私は寝転んだままの響哉さんを見る。
ふわりと笑って私に手を伸ばす。そうして、手首より少し上のあたりを握る。
「今朝起きたとき、マーサが傍に居なくてどれだけ心配したと思ってんの。
だから、手錠で二人を繋いでおけば安心かと思って。
軽くて傷がつかないようなものがあったら頼太に手配してもらおうと思って」
いくら、甘い瞳と優しい声でも、その発言内容はどうかと思うんですけど。
「ま、別にそれを何に使おうと俺が関与することじゃないけどね」
「関与してください。
っていうか、変なものを響哉さんに買い与えないで下さい」
そう言った途端、響哉さんは起き上がって私を背中から抱き寄せた。
心臓はどきりと跳ね上がる。
……人目を気にする、とかいう発想って響哉さんにはないのかしら。
「じゃあ、他のヤツに頼むからいいよ」
その言い草は、拗ねた子供のもの。
とても、30代半ばの良い年をした大人のものとは思えない。
「響哉さ……」
ふぅ、と、耳に息が吹きかけられて、思わず声が止まる。
だって、まだ、目の前に佐伯先生が居るんだよ?
「いいよ、頼太。
マーサのことは俺にまかせて。
靴も服も脱がせて、そのまま眠るほかないくらいの快感に溺れさせてやるから」
「……だったらいいけど」
……何が?
ふざけた会話に、頭がついていかずに、ふと何の気なしに俯いた。
重力に従って髪がばさりと落ちる……。
私は、息を呑んだ。
どうして、右側の髪しか見えないの……?
響哉さんの手が、私の左側の髪を撫ではじめたから?
……そうだっけ。
違う気がする。
私はまた、都合よく何かを忘れているだけじゃ……
心臓が急に煩く鳴り響きだした。
「真朝ちゃん。
今夜は、疲れただろう?薬を飲んで、ゆっくりお休み」
私が記憶の海に溺れそうになる寸前、佐伯先生がそう声をかけてくれた。
私は首を横に振る。
そうやって、先延ばしにしても意味が無いの。
だって――。
私は自分の左手をおそるおそる持ち上げて、そっと自分の頭に触れた。
やっぱり。
左側の髪の一部が、ごっそり、短くなっている。
ベッドの上で、とっさにナイフから逃れたとき、耳に響いた「ザク」っという音の正体は、私の髪の毛が切られた音だったんだ。
誰も、それに触れずにいてくれたから、私は今までそのことに気づかなかった。
一部だけ、髪の毛が短くなった私の姿は、相当おかしいに違いないのに。
顔面蒼白になる私を、響哉さんは強く後ろから抱きしめていた。
「明日、スタイリストさんに髪を整えてもらおうようお願いしてあるよ。
エクステンションつけてもらおうか。それとも全部切りそろえてもらう?」
頭が真っ白になった私は、ふるふると首を横に振る。
寒くも無いのに、身体中が震える。
今更ながら、恐怖がこみあがってきて、それが涙を押し流していった。
「いやっ。
いやぁ……っ」
響哉さんは私を腕の中に抱き寄せてくれた。
ひとしきり子供のように声をあげて泣き、声も涙も掠れてきた頃、響哉さんが呟いた。
「怖かったね。
もう、大丈夫。
本当に……俺が悪かった」
響哉さんの唇が、そっと私の瞼に触れた。
渡されたタオルで涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を拭いてくれる。
「折角だから、今夜のうちに話そうか?
アイツが――カルロスがなんて言ったか」
背中から、先生の声が響く。
――落ち着くのを待っててくれたんだ。
私は顔をあげて、こくりと頷いた。
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