28 Meeting-3-


「マーサ」


響哉さんの声だ――。

私の記憶のテープは、そこで切れた。


「……ここに居たんだね」


ほっとしたような声に、机に突っ伏していた私は頭をあげようとして、軽くうめく。


「無理して動かないで」


響哉さんが私を、壊れ物でも扱うようにそおっと抱き上げた。


「ベッドに行く?」


「ううん。

 ソファでいい。お絵かき帳見てたら、昔のこと思い出しちゃって。また、頭が痛くなっただけだから」


「お絵かき帳、で?」


「そう。お絵かき帳で」


響哉さんはなるほど、と言うと、ふわりと私の額に触れるだけのキスをした。


「頭痛がおさまるまでここで横になって。

 ベッドにもリビングにも居ないから、心配したよ」


響哉さんは私をソファにおいた。


そうして、ぼんやりしている私の様子を時折心配そうに伺いながら、パジャマから服に着替え、軽い食事を取り、書類の山に目を落とす。


時折どこかに電話をかけながら、書類をてきぱきと振り分けていく。


ようやく頭痛が和らいだ私は、のろのろと身体を起こした。


「何か食べる?

 それとも、ココアでも飲む?」


響哉さんはあれほど真剣に見つめていた書類を、あっさり手放して、私に微笑みかけてくれた。


「ココア飲む」


「待っていて」


響哉さんを待っていると、電話が鳴り出した。私はそれを掴んで、キッチンに向かう。


「響哉さん、電話」


「誰から?」


トレーにココアと珈琲を載せた響哉さんは手を外さずにそう聞いてくる。


「佐伯先生」


ああ、と、響哉さんは笑う。


「代わりに出てくれない?」


「もしもし」


「……はぁ」


何か叫ぼうとでもしていたのか、先生は私が出てきたことを知ると疲れたようなため息を一つ。


「響哉は?」


「今、手が放せないみたいで」


「ああ、そう。

 ねぇ、真朝ちゃん。彼氏は選んだほうがいい。

 今からでも遅くないから、そこから逃げなさい」


また、新しい冗談の類かしら。

度がきつすぎてついていけない。


「……どういう意味……?」


私が首を捻ると、先生は電話越しにため息を一つ。


「知らないほうがいいこともあるか。

 体調に異変は?」


「今朝もまた、頭痛が起きて昔のことを思い出したけど――」


「きっかけは?」


「お絵かき帳」


「そう。

 初体験じゃなくて、お絵かき帳ねぇ」


……!?


あまりにもさらりととんでもないことを言うので、私は思わず赤面してしまう。

もっとも、電話越しにその動揺が通じたとも思えないけれど。


「……あの、先生?」


「真朝ちゃん」


私の動揺とは裏腹に、先生はとても落ち着いた声で切り出した。


「過去を思い出すときに頭痛がするのは、既にちょっとした癖になっている気がする。

 頭痛なんて感じなくても、ちゃんと昔のことは思い出せるはずだから。

 安心して、過去を懐かしめばいい」


「……はぁ」


不意に医師モードにでもスイッチが入ったのか、先生が穏やかに話す言葉が、信頼の置けるものに聞こえるから不思議。


「ついでだから教えてあげるよ。響哉がどうしてわざわざ、今、アメリカから日本に、君の傍に帰ってきたのか」


え?


思わぬ告白の予感に、私は身体を硬くする。


「どうせアイツははぐらかすだろうから。

 ね、響哉は何て言って真朝ちゃんの実家に来たの?」



「私のフィアンセだって言ってたけど――」


クツクツと、先生は喉を鳴らして笑う。


「それで着いて来ちゃったの? 真朝ちゃん。案外乙女チックなところがあるんだね」


いや、別に私が夢見る乙女だったわけじゃなくて、パパ直筆の書類を突きつけられたし、白石から迫られて逃げたかったし――。


と、言い訳しようと思ったら、電話を取り上げられてしまった。


「マーサ、ココアが冷めちゃうよ。

 いつまでこんな男と長話するつもり?」


響哉さんは、わざと電話の向こうにも聞こえるようにそう言った。


「あ、響哉。

 お前、×××なんて、いったい何に使うつもりなんだよ。

 このド変態っ」


電話の向こうで、怒鳴り声があがる。

残念ながら、×××の部分は聞き取れなかったんだけれど。


響哉さんは呆れ顔で肩をそびやかした。


「そーゆー発想しか出来ないお前の方がド変態だと早く気付け。

 出来たら長時間使っても、痕が残らないものだと助かる。

 よろしく」


そうして、響哉さんはさくっと電話を切ってしまった。


え~。

話の続き、すっごく気になるのに……。


響哉さんは困った瞳で私を見て、むにゅっとほっぺたをつまんだ。


「マーサ、電話を切ったくらいでそんなに切ない瞳をしないで。

 俺が辛くなる。

 あの色男にいったい何を吹き込まれたのかな?

 ……まさか、心変わりした、なんて言わない……よね?」


響哉さんが不安と心配をミックスしたような瞳で私を覗き込むので、慌てて首を横に振る。


「そんなわけないじゃない。

 ただ、響哉さんが先生に一体何を頼んだのかちょっと気になるけど……」


ああ、と、響哉さんは相好を崩して、私の頬を撫でた。


「それは着いてからのお楽しみ。

 ソレがないと俺と一緒に眠れないって言ってくれるといいんだけど」


……は?

  逃げろ、と、まんざら冗談でも無さそうに言っていた佐伯先生の声が頭に甦ってきた。



ま、でも。


どっちの言葉にも冗談の色がふんだんに混ざっていて、真実なんて見えてこない。


「それより、マーサ。

 久しぶりに絵を描いてくれないかな」


響哉さんの柔らかい声で、電話のことなんて頭の隅に追いやってしまった。


「何の絵?

 クマさん?」


「いいね、懐かしい。

 昔書いた絵、見たい?」


「……持ってくれてるの?」


私はびっくりした。

だって、13年近く昔に小さな子供が遊びで書いた絵……だよ?


「当たり前だろ。

 大事にすると約束した」


リビングに入ると、そのテーブルに、私が昔描いたクマの絵が、額に入れて置いてあった。


言っておくけれど、それは、小さな子供なら誰でも書きそうな粗雑なもので、特別な芸術性を感じられるようなものではない。


それなのに――。


大事に、こんな立派な額なんかに入れて。


「思い出した?」


響哉さんの言葉に、私は大きく頷いた。


「うん。

 さっき思い出したのが、この絵を描いているところなの。響哉さんが鳩の写真を見せてくれたときのことよ。

 ね、この前の映画を見て、ママと響哉さんの映像ははっきりしてきたんだけど、パパの映像がどうもいまいちで……。

 どこかに、パパの姿、残ってない?」


少しずつ甦る記憶の中で、パパの姿だけがおぼろなのが、気になっていた。


「そうだな。

 頼太に探すように言っておくよ。……アイツが少し落ち着いたら、だけどね」


響哉さんは意味ありげにウインクして見せた。


私は勧められるがままに、マシュマロ入りのココアを飲み、渡されたクレヨンでテディベアの絵を描き始めた。


仲の良い二体のテディベア。


そういえば、絵を描くのも好きだな――私、なんてことを思いながら、クレヨンを動かす。


私が描いたのは、ブラウンとベージュのテディベア。

真ん中には薔薇の花束。


「ウェディングドレスは着せないの?」


書類に目を通していた響哉さんが、完成間近な時に顔をあげてそう聞いてきた。


「……え、今からもう、無理……」


だって、二体とも裸のままがっつり色を塗っちゃったんだもん。


「そういえば、まだ、鳩は飼ってるの?」


私の言葉に響哉さんは肩を竦めた。


「アメリカには連れて行けなかったから……。

 生きているならいまでも、実家でヘンリーが面倒を見てくれているはず」


響哉さんは懐かしそうに目を細めた。


「……逢いに、いかないの?」


私は絵の上側に、鳩の絵を付け加えながらそう聞いた。


「難しいことを聞くね、マーサは」


苦笑を浮かべて付け加える。


「なかなか、立ち寄りづらい場所なんだよ、あそこは」


だから、私は話題を変えた。


「どうして、鳩を飼ったの? マジシャンになるのが夢だった?」


「最初は、そうだな。

 何も無いところから、モノを出したり、不意に姿を消したりできるマジシャンに憧れた。

 小さな子供の頃にね。

 俺も、そんな風に自由自在に生きれたらなーって、空を見上げて思ったのがきっかけかな」


響哉さんは何でもないことのようにさらりと言うけれど。

それほど、須藤家というところは不自由な場所だったということ、なのかしら。


それから、私の表情が曇っていることに気づいた響哉さんは、そんな顔しないで、と囁くとココアの味がする私の唇にキスをする。


「でも、結局手品なんて種も仕掛けもあるわけじゃない?

 だから、より自由な鳩や、他人を演じる俳優に憧れたのかもしれないな」


そこまで言うと響哉さんはおもむろに立ち上がった。


「絵、完成したら貸してくれる?」


「いいよ。

 プレゼントしても。

 でも、額に入れなくてもいいから」


「何言ってんの。

 これだって、額に入れて部屋にずっと飾ってたんだから。

 もちろんアメリカにも持っていってたよ」


「そ、ソレは駄目っ」


子供の絵なら、まだ可愛げがあっていいかもしれないけれど。

こんな変哲も無い絵まで飾られたらどうして良いのか分からない。


「どうして?

 すごく素敵なのに。そんなに照れることないじゃない」


……思い出したっ。

  パパとママは私に将来の夢を押し付けるような人ではなかったけれど、私が絵に夢中になっていた頃、「画家になればいいじゃない」って言ってくれた気がする。


「私、小さい頃画家になりたいって言ってた?」


記憶を確認するように響哉さんに聞いてみる。

響哉さんは懐かしそうな目でふわりと笑う。



「一度だけ、マーサの口からそう聞いたかな。

 でも、じゃあ、俺が画廊を開いてマーサの絵を全部飾ってあげる、って言ったらきょとんとしてたけど」


……画廊なんて、小さな子供には難しすぎる言葉なのでは。


「今からでも遅くないよ。

 ね、いつだってギャラリーの一つや二つ、立ててあげる」



甘い笑顔で、何でもないことのようにそう言っているけれど、私が頷いたら本気ですぐにでもギャラリーの準備を始めそうで、怖い。


「べ、別に画家になりたいわけでは……」


響哉さんが、ふわりと私の頭を撫でる。


「今すぐ将来を決めてくれって言ったわけじゃないよ。

 何か決意があるなら邪魔をしたくないと思ったまでだ。

 ……だから……。

 俺が余計なことを言ったばっかりに悩ませたのなら悪かったね」


「……そんなことっ」


首を横に振る私を、引っ張りあげて響哉さんが腕の中に抱き寄せてくれる。


「何の邪魔にもならないなら、遠慮なくアメリカに連れて行っても構わない?

 ……それとも日本で暮らしたい?」


響哉さんは、不安を隠さない声でそう聞いてきた。

心臓が、きゅんと、鷲掴みにされて、身体が震える。



「……私はっ」


震える私の唇に、響哉さんはそっと人差し指をつける。


「心が決まったら、教えてくれる?

 どっちでも、俺の気持ちに変わりはないよ。

 10年も待っていたんだ。後数年、傍に居れない位我慢する。

 ――もっとも、時間が出来たらすぐにこっちに飛んでくるし――。

 いや。仕事があるときだけ向こうに行くことにするよ」


響哉さんにかかれば、アメリカでさえすぐ近くに感じるわ。


「そろそろ準備できたかな?」


若干呆れている私をおいて、響哉さんはテーブルの向こうに回る。

これは、そう。

ずっと昔に見たのと同じ光景。


「種も仕掛けもありません……って言わないの?」


響哉さんは肩を竦めて、ふわりと笑ってから、真剣な目で言った。


「マーサに嘘はつかないよ」


種も仕掛けもない、なんてマジックじゃ嘘の中には入らないのに。


「いい?」


いつかと同じように、私の絵の上にそれを覆うほどのタオルをかけた。


「One two three!」


パチリと指を鳴らして、ハンカチを持ち上げると――。

箱を持ったテディベアが座っていた。


「16歳の誕生日にこれを――渡したかったんだよ、本当は」


響哉さんは、はにかんだような笑顔を浮かべてそう言って、テディベアを抱き上げた。



「Will you m……」


響哉さんが最後まで言葉を言い終わらないうちに、部屋中に漂う甘い空気を引き裂くかのように、ケータイ電話が鳴り出した。



「Dammit!」


響哉さんは頭の中が英語モードになっているのか、吐き捨てるようにそう言うと、肩を竦めて電話に出た。


「起きてる。

 分かってるって。……時間がないんだろ?

 でも、後5分くらいくれても良かったのに……。

 いや、こっちの話。

 分かった、ちょっと待って」


響哉さんは、テディベアを私に渡す。


「こんなリングでプロポーズするなって言う、神のお告げかな、きっと。

 これは、遅すぎた誕生日プレゼントとして受け取って」


頷くと、響哉さんはクマが持つ小さな箱を開けて、きらきらと輝く幾つもの小さなダイヤが埋め込まれているシルバーの指輪を取り出した。

躊躇いも無く私の手をとって、丁寧な仕草で左手の薬指にはめてくれた。

私はドキドキしすぎて声も出ない。


「ごめん、マーサ。

 人に将来の仕事を考えろって言ってる大人が仕事さぼりっぱなしなのは良くないと思って、ちょっと心を入れ替えてみることにしたんだ。

 週末に働くのは主義じゃないけど……。

 行ってきていいかな?」


いつもいつも、ケータイ電話を電源ごと切って投げ捨てる響哉さんにしては珍しいほど、大人な意見に私はこくりと頷いた。


もっとも、ただ単に、仕事の期限が差し迫っているからだとは思うけど。


「お仕事頑張って」


「ありがとう。

 ……それとも、一緒に来る? 独りで留守番させるの心配なんだけど……。

 頼太を呼ぼうか?」


「ううん。 

 先生だって、週末くらい自由な時間が欲しいんじゃない?

 私、ここで宿題やってるから心配しないで行ってきて」


小さな子供に独りで留守番させるわけじゃあるまいし。

響哉さん、本当に、過保護なんだから。

響哉さんは名残惜しそうなキスを私に残すと、必要な書類をまとめて、部屋から出て行った。

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