28 Meeting-2-
ふと、目を覚ましたとき、隣には響哉さんが眠っていた。
――今、何時なのかしら――。
時計に目をやれば、もうすぐ朝の6時になるところだった。
薄明かりの中、長い睫毛、高い鼻梁、キメの細かい肌に目は釘付けになってしまう。思わず吸い寄せられるように、そっと響哉さんの頬にキスを落としたその瞬間。
響哉さんは反射的に私の手を強く掴んで瞳を開けた。
……あんなにぐっすり寝てたのに。
そして、相手が私であることを確かめるとふわりと口許を緩ませて、腕の中に私を抱き寄せ再び眠りに落ちていった。
私は、ぬいぐるみにでもなったようにじっと息を潜めてしまう。
一瞬見せた、あの怯えたような瞳――。
そういえば響哉さんは、尾行されても、家に誰かに押し入られても、冷静な判断を下していた。
――そもそも。普通に車を運転していて、そう簡単に尾行に気づけるものなのかしら。
玄関のドアを見るだけで、人に押し入られた形跡なんてわかるものなのかしら。
どちらも、普段から注意してなければ分からないことに違いない。玄関にはきっと、何らかの仕掛けがしてあったんだわ――。日常的に。
『俺の人生に君を巻き込んでも、いいかな?』
保健室で耳にした、響哉さんの躊躇いがちの言葉の意味はこれだったのかしら――。
須藤家の次期当主候補だった人間たる者、『平穏な日常』とは無縁ってこと――?
次に目が覚めたのは、もう、10時も過ぎてから。私は相変わらず響哉さんの腕の中に居た。そっと顔をあげる。響哉さんはいまだ、深い眠りの中にいたので、私はそっと腕の中から抜け出した。
リビングは綺麗に片付いている。
着替えて、珈琲を作る。トーストを焼いて、簡単な朝食をすませた。
しばらく、リビングで宿題をやっていたけれど、響哉さんが起きる気配は無い。
……結局、私って何の仕事につきたいんだろう……
答えの出ない疑問は、時折ふっと私の心に浮かんでくる。
確かに英語は、好きだけど――。
それだけで、仕事を考えて良いものなのかしら。
頭が混乱したときは、そう、紙に書くといいんだっけ。
私は部屋に戻って、引き出しを漁った。
本当に響哉さんって、凄いわ。
だって、つい先日まで住んでいた部屋と、ううん、私が住んでいた部屋と、まるで同じなんだもの――。
……あれ?
引き出しの一番下から出てきたのは、『おえかきちょう』。
平仮名で書いてあるそれは、随分と古いクマの表紙の――。
一瞬、くらりとした眩暈に襲われた。
頭に割れそうな痛みが走る。
これはきっとまた、過去を思い出す兆し。
頭痛に慣れてきた私は、部屋の椅子に座って、じっと耐えた。
嵐のような頭痛が、去っていくのを、じっと。
++++++++++
『今日はやけに大人しいじゃない』
耳に馴染んだ柔らかい声に、小さな私は動かしている手を止めた。
『しぃ、須藤くん。
真朝の絵を描いているときの集中力はスゴいんだから。
いくら淋しいからって邪魔しないでちょうだい』
でも、ママの助言はもう手遅れで。
クレヨンを投げた私は、考えるより前にキョー兄ちゃんに飛びついていた。
『マーサちゃん。
遊ぶなら、片付けないと』
『いやぁんっ』
せっかく抱き上げてもらったのに、すぐに下に置かれた私は遊んでもらえないと勘違いして、大騒ぎ。
『クマを書いてるの?
こんなにいっぱい』
『そう。
須藤君がくれたテディベア、本当にお気に入りなんだから。いつもべったりなのよ。
もしかしたら、テディベアのことを須藤くんの化身だとでも想ってるのかもしれないわ』
『いや、響哉のことをテディベアの化身だと思ってるんだよ、きっと』
そう言ったのは、パパ。
言葉の端々に不機嫌が滲み出ていた。
『ねぇ、キョー兄ちゃん。てて、いたい?』
私は、目線の先にある響哉さんの手に、ばんそうこうが貼ってあることに気がついてそう聞いた。
ん? と。
片付け終わったのか、キョー兄ちゃんはやっと私の目線にまでしゃがんでくれた。
抱きついていいかどうか戸惑っている私の頭を、ぽんと叩くように撫でると笑って言う。
『忙しさにかまけて放って置いた子に、思いっきり齧られた』
当時、殊更に私が騒がなかったのは、キョー兄ちゃんがなんて言っているか理解できなかったからだ。
即効手を叩いて笑ったのが、パパ。
『やっぱり、響哉に彼女居るんじゃない。
こんなところで油売ってないで帰ってあげたら? 傷が増えるぞ~っ』
はぁ、と、キョー兄ちゃんはこれみよがしにため息をつくと、未だ抱きついてよいかどうか判断がつかずに戸惑っている私を、ふわりと抱き上げた。
突然視界が広がった私は、きゃっきゃと大喜び。
『真一。
お前が望んでいる彼女とやらは、とてつもなく色が白くて、相当な自由人だ』
『彼女自慢?
だったら写真くらい見せてみろよ』
『了解』
響哉さんは片手で私を抱きとめたまま、もう片方の手でジーンズからケータイを取り出した。
『マーサちゃん、見てごらん。
これ、可愛いでしょ?』
真っ先に見せてくれたキョー兄ちゃんのケータイに映っていたのは――。
色が白く、瞳が円らな――。
『響哉。
もったいぶらずに早く見せろよ』
座ったまま言うパパ。
でも、ママはいち早く私たちの傍に来て、ケータイを覗いた。
そうして、くすくすと笑う。
『あら、本当。
可愛い子じゃない。
こんな子になら、少しくらい噛み付かれたって文句は言えないわね。
でも、須藤くんにそんな趣味があったなんで知らなかったわ』
『ちょっ。
趣味ってなんだよ。
まさか、スゲーものを俺の妻子に見せてるんじゃないだろうなっ』
パパが声を荒げるから、事情の見えない私は、キョー兄ちゃんにぎゅうと抱きついてしまう。
『……お前、どんな想像力してるんだよ。
その発言こそ、妻子の前でどうかと思うぞ?』
さいしってなぁに?と、ママに聞いている私の横で、キョー兄ちゃんは呆れ気味にケータイ電話を投げた。
『……は、と……?』
それをぱしりと受け取ったパパは、目を丸くしてしばしそれを眺めている。
『そう。
別に、モザイクが必要なスゲー画像じゃないだろ?』
キョー兄ちゃんは、パパの口真似までして、からかうように笑っていた。
『お前、鳩なんて飼ってんの?』
『ね、変わった趣味してるよねー、須藤くんって。
伝書鳩?』
ママの言葉に、キョー兄ちゃんは首を横に振る。
『いや。
マジック用の鳩』
『マジック?
キョー兄ちゃんもお絵かきするの?』
おえかきにハマッていた私の言葉に、キョー兄ちゃんは苦笑を漏らす。
『マジックって言うのは、それじゃなくって。
そうだな、こういうの』
キョー兄ちゃんは、私をダイニングに置いてある子供用の椅子に座らせ、テーブルの向かい側に立つと、丁寧に一礼した。
『種も仕掛けもありません』
両手を広げて見せてくれる。
『そして、マーサちゃんの描いた絵があります』
キョー兄ちゃんは、さっき私が書いたクマの絵を引っ張り出してきて私に見せた。
『ねぇ、マーサちゃん。
この絵、お兄ちゃんにくれない? 大事にするから』
『いいよ』
私はこくりと頷いた。
『ありがとう』
チュ、と。
キョー兄は私が描いたクマの絵に、大切そうにキスをした。
そうして、おえかきちょうから丁寧にはがし、テーブルの上に立てる。
『では、お兄ちゃんからマーサちゃんにお礼です』
ポケットから取り出した白いハンカチを、その絵の上にかけた。
『One two three!』
掛け声とともにキョー兄ちゃんがハンカチを取ると、そこには絵ではなくて、本物の小さなテディベアが置かれていた。
『須藤くん、そうやって真朝にむやみやたらとモノをあげるのはやめてって……』
呆れ顔のママに、キョー兄ちゃんはしぃ、と人差し指を立ててみせる。
『これは無償であげたわけじゃない。
マーサちゃんのクマさんと交換。
だから問題ないでしょ』
正直、二人の会話なんて耳に入ってなかった。
私は、目の前に急に現れた小さなテディベアに夢中になっていた。
『どうぞ』
キョー兄ちゃんが、それを取って渡してくれる。
『これ、マーサの絵から出てきたの?』
キョー兄ちゃんは私の傍に戻って頭を撫でてくれる。
『これが、マジック。
分かったかな?』
『クマちゃん貰えるの?』
にっこり笑う私。
ママは苦笑を浮かべる。
『……ほら、マジックが何か真朝には伝わってないみたいよ』
++++++++++
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます