27 ラバー-2-

相変わらず車の上に置いてある封筒を、響哉さんはため息をついて取り上げて、無造作に車内に置いている小さなゴミ箱に放り投げた。


「……それ、開けなくていいの?」


助手席に座ってそう聞いた私に、響哉さんはなんでもない顔で微笑んで見せると、手を伸ばしてくしゃりと頭を撫でてくれた。


「大丈夫。

 心配しないで」


……だって。

今日の封筒は、今までのと違ってなんだか一段と高級感が漂っている。


封筒の裏に垂らされた紅い蝋の封なんて、……その存在は知っていたけれど、生で見たのは初めてだもの。

響哉さんは頭を撫でた手で頬を撫でると、私の顎を持ち上げた。

そのゆっくりとした仕草が、とても心地良くて、慣れたネコのように瞳を閉じる。


けれども。

予想外に長い沈黙に、瞳を開く。


響哉さんは、重たい決意を秘めた人のように硬い表情で私を見ていた。


目が合った瞬間、いつもの甘い笑顔に変えてはくれたけれど。瞳の奥に潜む、彼の感情までは消し去れないみたいで。


そのアンバランスさを目の当たりにして、私の胸まできしんでしまう。


「……響哉さん、どうしたの?

 私、なんか困らせてる?」


昨夜から、響哉さんの中の『何か』ががらりと変わってしまったことは、その雰囲気の変化で伝わっていた。

その、『何か』が何か分からないけれど。

響哉さんは私の言葉に破顔する。

途端、彼の顔はまるではにかんだ少年を思わせるような柔らかい表情に変わった。


「困らせてるのはきっと、俺の方だね。

 ゴメン、マーサ

 俺の人生に、君を巻き込んでも、……いいかな?」


遠慮がち、躊躇いがちの声に、私は即座にこくりと頷いた。


こんなに巻き込んだ後に、何を今更と、思わなくもないけれど、彼のどことなく緊張感を帯びた表情を前にして、軽口なんて挟めなかった。


「ありがとう」


掠れた声でそう言うと、再度私の頭を撫でて、車を出した。


置き去りにされた唇が淋しいと思ってしまう、けれど――。

私は今まで響哉さんにどれほどそういう思いをさせたのかと思うと、胸の奥がチクリと痛んでそれ以上何も言い出せなかった。


なかなか家につかない――ということに私がようやく気がついた時、車に乗ってからどれだけの時間が経っていたのだろう――。


運転席を見れば、響哉さんは時折バックミラーに視線をやりながら、ため息をかみ殺していた。


「……何かあったの?」


「……大丈夫、って言いたいところなんだけど。

 さっきから、ずっと、つけられてる」


急に現れた非日常的な物騒な言葉に、私はぞっとした。


「誰に?」


「……さぁ。

 分かってんのは、いまどき逆に目立つような白のカローラに乗ってるってことくらいだ」


「白のカローラ?」


私は首を傾げる。


「そ。ずっと昔、目立たない大衆車として尾行によく使われてたらしいよ?

 今ならよっぽどプリウスの方が目立たないと思うけど」


響哉さんは軽口を叩く。


「それで……どうするの?」


響哉さんは、心配そうな私を見て、「大丈夫、心配しないで」と言ってふわりと微笑んだ。


「マーサに気づかれないうちにまきたかったんだけど……。

 仕方ない。

 車酔い、しない方?」


「車酔いは、まだ、したことないけど――」


それは良かった、と呟くや否や、きりっと表情を引き締めた響哉さんが、ぐいっとアクセルを踏み込んだ。


「キャアっ」


「マーサ。

 舌を噛むから黙ってて。それとも、タオルでも噛む?」


響哉さんはくすりと笑うと、乱暴にハンドルを捌きながら、片手で私の頬を撫でる。


「もぉ、口開かないから運転に集中してっ」


「はいはい」


緊張している私と真逆の余裕の笑みを浮かべると、響哉さんはちらりとバックミラーに目をやり、形の良い眉を微かに潜めた。


「コックローチ並にしつこいヤツだな」


乱暴にそう言い捨ててから、ころりと声音を変える。


「本当に次は、悲鳴なんてあげちゃ駄目だよ?」


いい子だから、ね、と。

まるでベッドの中にでもいるかのように、場違いなほど甘く優しく囁かれるが、ここは高速で暴走する車の中。

響哉さんは信号の変わるタイミングまで分かっているかのように、一度も信号に引っかからずに、数ある車を避けながら進んでいる。


パトカーが追ってこないのが不思議なくらいの暴走車の中に居る私は、こくこくと頷くほかない。


「Ready」


私は奥歯を噛み締めてこくりと頷く。


「Go!」


響哉さんは一際楽しそうにそういうのと同時に、思い切りハンドルを切った。

耳をつんざくような音が、下から響く。

響哉さんは180度方向を変えると、ひょいと隣の斜線へ移って何でもないかのように走り出す。

まごまごしているカローラが、瞬く間に視界から消えていった。


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